五、恐怖と憐憫
翌日、レディの捜査協力はすんなり認められた。報告書を提出し、片手にコーヒーを持ったまま、カノウ捜査部長が読み終わるのを待っていた。
「同じ給仕だったんだな」
「そうです。どちらの事件の夜も、このエノという給仕が研究棟を回っていました。今捜査官を一人監視につけ、別の者が交友関係を調べています」
「動機は何だ? そこを調べなきゃって言ったのはお前だぞ。それから、下書き焼いたのもそいつか」
「そう思われます。帰りに馬車でずっと考えていたんですが、もしかしたら過激派かもしれません。大誓約破棄を唱えてる中に荒っぽいのがいるでしょう」
「めったなことを言うなよ」
部長の目が光った。捜査官たちが聞き耳を立てているのが分かる。
「辻褄が合います。ドラゴン研究者を二人殺害。一人は超一流で、他の生き残りの存在を発表しようとしていた。その論文下書きを焼いた。もう一人も一流。いなくなれば研究を停滞させられます」
「推測が多すぎる。それに論文の内容をどうやって知ったんだ」
「ええ、だから泳がせます。すぐに尻尾を出すでしょう。それに、トサ教授との喧嘩の証言からすると、ケルトン教授は秘密を守るのはそれほど上手じゃない。聞き耳を立てていれば仕事の内容くらい分かったんじゃないですか」
エノは素人だった。私も加わって三人が尾行を担当したが、三日後、西地区の零細出版社に連れて行ってくれた。
その出版社は反体制的な本や下層民向けの新聞を出していた。よくあるやつで、問題を指摘したり不満を煽ったりするが、現実的な対案や解決策は提案しないという種類のものだった。
監視を一人残し、そこの社員や出入りする者を記録させた。微罪でもいいから踏み込めるような何かを犯してくれるのを待つ。
その二日後、用紙の納入について、犯罪組織を背景とした強要が確認された。
出版社に踏み込むのと勤務中のエノの確保を同時刻に行うよう計画が立てられた。私はエノの側に回った。踏み込みは体を動かすだけの仕事で面白くなさそうだったからだ。それに、エノの動機を聞いてみたかった。
十時前、巡回に出ようとしていたエノに任意での同行を少々強めにお願いした。あっさりと言うことを聞いた。こうなるとわかっていたようだった。
「巡回していました。いつも通りです」
取調室で、エノは同じ話を繰り返した。どちらの夜も仕事をしていただけです、と。
「西地区の出版社に出入りしていたのは?」
「叔父が働いているので、時々遊びに行っていただけです」
「随分と過激な出版社のようだな。油や可燃性の溶剤が過剰に蓄えられていた。印刷設備もないのに」
「知りませんでした。無関係です」
「そうか。では再確認したい。ケルトン教授が殺害された夜、油の補給は何時頃だった?」
「十時すぎです。お話したとおり、ご夫人がお帰りになってから注ぎ足しました」
「教授はどんな様子だった?」
エノは少し考えた。
「いつもと変わりませんでした。無表情で、私の仕事などに興味はないという風でした」
私は机の引き出しから火屋の割れたランプを取り出して置いた。大学の紋章が入っている。
「見覚えあるな」
エノは頷いた。目の前で揺すってみせる。
「底にほんのわずかってところか、これだと」
私はあの朝のことを思い出していた。ランプが落ちて転がっていたのに油臭くなかった。漏れて染みにもなっていなかった。
「今正直に話せば自首として扱ってやってもいい。話さなくてもいいが、出版社の連中からたどればどうせ分かる。その時は恩情なしだ」
エノはうなだれ、すべてを認めた。
夫人が帰り、給仕頭が茶を届けて周囲が静まった深夜、巡回を飛ばしてしまった詫びを言いながら研究室に入り、すきを見て後頭部を打った。凶器は砂を固く詰めた靴下だった。
トサ教授も火屋交換と言って入室し、同様に殺害した。
「論文を焼いたのは?」
「私です。教授たちの会話だと、なにか大きな発見があったって。レディ以外のドラゴンについて」
「そうか、理由を言え」
エノは頭を上げ、私を見た。
「怖かったんです。あなたは怖くないんですか」
「何がだ」
「ドラゴンです。人間社会の背後で、大誓約の盾に守られて我々を操っているレディ。あいつがいなくならない限り、古代と同じです。我々は奴隷のままだ。生き残りなんか探させてたまるか。悪魔の研究などやめさせてやる」
「ふざけるな。大誓約のもと、人類とドラゴンは助け合って生きている。世の中の進歩を見ろ」
エノの目にこれまでと違う感情が浮かんだ。それに気づいた時、私は取り調べを終え、殺人犯として逮捕した。
裁判は恐ろしく早く進んだ。三ヶ月後、判決が下り、出版社を隠れ蓑にしていた過激派は全員鎮静されて魔法協会に引き取られていった。何をされるのかは分からない。
エノは自首扱いになり、恩情として縛り首が認められた。公開処刑場では何も言えないように口をふさがれて執行された。
私はあいつの目を忘れられない。こちらを憐れんでいた。ドラゴンに対する恐怖。その恐怖とともに生きることに何の疑いも持たない私を憐れんでいた。
でも、と、書類をまとめながらコーヒーを飲んだ。レディは、『さみしいわね』と私を気遣ってくれた。
会ってみたくなった。色々と話しをしてみたい。『あなたは今後、手続きなしでここまで来ていいわ。最優先でお相手してあげる』と言われたが、こんな個人的なことでもいいだろうか。
休暇を取ろう。行ってみればいい。そして、恐怖について話そう。殺人を犯すほどの恐怖について。
第一話 了
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