四、ドラゴン・レディ
治安警察庁舎や帝国大学の存在する首都の北方、馬車を乗り継いで休みなく走って三時間程。大誓約山脈の入り口に到着した頃には体の節々が悲鳴を上げている。それでも、これで終わりではない。むしろこれから始まるのだ。
馬車の駅のすぐそばには大誓約庁の庁舎がある。というより庁舎しかない。駅を降りればそこが庁舎の受付になっている。石造りの建物は一切魔法儀式を使わずに建てられているので、一般的な建築物と異なり、魔法の効果を阻害するどのような術であっても通用しない。ここを破壊しようと思ったらこの場にやってきて物理的な力を行使するしかない。過去の大戦争の教訓を生かした建物だ。
庁舎の背後にはアケボノ帝国のほぼ中央を走る大誓約山脈がある。許可なき人間は一歩たりとも足を踏み入れてはいけない。また、ドラゴンもここからうろこ一枚でも出てはいけない。太古の昔、ドラゴンと人類が結んだ大誓約は生きている。そして、その当時の人間は死に絶えたが、最後のドラゴンもここで生きている。
受付の役人に書類を提出した。この庁の役人はいわゆる役人然とはしていない。常時張りつめて仕事をしている。普通の役所の役人を扱う要領はここでは通用しない。
座って待つように指示され、庁舎の隅で壁の彫刻を眺める。学校で習ったドラゴンと人の歴史が四枚の浮彫として掲げられている。歴史の解釈は様々だが、時間つぶしにと思って浮彫を読み解いていった
一枚目は太古のドラゴン王時代。翼をもつ巨大なトカゲの姿をしているドラゴンたちが圧倒的な力で人間を支配し、奴隷にした時代。しかし、人間は屈辱的に従えられながらも、ドラゴンの知識を吸収していった。この庁舎の描き方は、ドラゴンを極端に悪として表さないように気を遣っている。
二枚目はそれに続く大戦争時代。人間は吸収した知識で反乱を起こす。奇襲の効果もあり、一時はドラゴンを絶滅寸前まで追い込むが、あとわずかのところで反撃され、ドラゴンの隠し持っていた知識で今度は人間が絶滅寸前まで逆襲される。凄惨な時代だが、一枚目と同じく、淡々と事実を表し、どちらが悪という描き方をせずにあいまいにした印象になっている。
三枚目は大誓約前夜。ドラゴン、人間ともに疲弊し、もう戦を続けるのは不可能になっていた。また、これ以上の戦は最終戦争となり、世界の破滅をも意味していた。そこで、お互い現在の領域にとどまり、今後一切争わないという第一大誓約を結ぶ。これが第二大誓約とも呼ばれる今の大誓約のもとだ。
これと次の四枚目は大誓約を讃える内容となっており、ドラゴン、人間がともに手を取り合い、真剣に将来を話し合う様子が好印象を与えるように強調されている。
四枚目がはるかな過去から現在まで続く今の大誓約を表すもっとも長い彫刻になっている。
ドラゴンは成体になれば以後不老不死であり、肉体を回復不能まで傷つけられないかぎり死ぬということはない。しかし、生きるのに飽いたり、ある哲学的悟りの境地に達したドラゴンは自ら滅びを選び、大戦争の精神的衝撃からほとんど繁殖をやめてしまったことと相まってその数は減少していった。
そのころ人口を回復し、再発展し始めていた人間は、ドラゴンの知恵と知識が失われるのを惜しみ、その時生き残っていたドラゴンと話し合って大誓約を改定した。その第二大誓約では、人間は世界のいたるところへ進出することが許される。しかし、生き残っているドラゴンのために一部地域は絶対に手をつけない禁忌の地域となる。ドラゴンはその地域からは出てこず、自ら消滅を選ぶまではドラゴンの支配領域となる。そのかわり、必要とあれば人間はドラゴンの知恵と知識を授かることができる。
また、その結果生じた利益をドラゴン自身が享受し、運用することもできる。これにより、利口なドラゴンは人間社会を経済的に支配し、世代交代の早い人間が過去を忘れ去っても、社会の根本を支配しているのはドラゴンということになり、むやみに攻撃できなくなる。現在、社会になくてはならない会社や組織の背後にはドラゴンがいると考えても間違いではない。
みごとな出来栄えの四枚の壁面彫刻をなんども見返しながら、最終的な許可が下りれば、そのドラゴンの最後の個体に会うのだと考えていた。
「帝国治安警察、ハラ上級捜査官、どうぞ」
早すぎる。ここに来て気が変わったのか。落胆して帰りの馬車のことを考えながら呼ばれた役人のところへ行く。
「どうぞ、レディがお待ちです」
ほっとしたが、顔には出さなかった。
「分かりました」
「ご案内します。いちおう念のために伺いますが、レディへの対応については大丈夫ですね」
「はい。書類にある通り、大誓約庁の定めた対応教習については修了しています」
「では、こちらへ」
その役人は先導して長く曲がりくねった廊下を歩き、地下深くへ降りて行った。途中何人もの警備員に照合や確認を受ける。うんざりしたころ、城門のような大扉の前に出た。その脇の人間大の大きさの通用門をくぐる。
「ここから先はまっすぐです。お一人で行ってください。終わればそのことはこちらでわかりますので迎えに来ます」
そういって返事を待たずにさっさと帰っていく。言われたとおりにまっすぐ進み、突き当たりの扉を習慣で叩こうとして教習を思い出した。叩く必要はない。
扉を開けると耳障りな鐘の音が響いた。向こう側は巨大な卵型の洞窟になっていた。天井が発光しているので暗くはない。ちょうどとがった端から入った感じだった。
「いらっしゃあい。あなたがハラ上級捜査官? おもしろそうな相談を持ってらしたわね。さあもっと前に、顔を見せてちょうだい」
向こうの丸い端にドラゴン・レディがうずくまっていた。巨大な桃色のトカゲが猫のように香箱を組んでこちらを見下ろしている。うろこでおおわれていても、その下の盛り上がった筋肉がわかる肩と、そのあたりから生えた翼を呼吸に合わせて動かしている。
「これはレディ。ご機嫌うるわしゅう。本日はわたくしごときのつまらぬ相談事にお知恵を拝借できますこと、恐悦至極に……」
「もお、そんな挨拶いいのよ。それいつの教習? ずいぶん古臭い言い方ね。もっとくだけた話し方でいいのよ」
レディは途中で口を挟む。にやにや笑っているように見えるその口は、私など一口に飲み込めそうだ。
「あなた、おいくつ?」
「二十九です」
「まあ、それで上級? 優秀でいらっしゃるのね。上長はカノウ捜査部長ね。あの人もよくできた人だわ」
「ご存じなのですか」
「ちょっと助けてあげたことはあるわ。あの人は勘がいいわね」
「ありがとうございます」
「あら、ございます、なんてまだちょっとお固いわよ。まあ、そこらへんの岩にもたれるなり腰掛けるなりどうぞご自由に。人間用の家具を置いたほうがいいんだけどついつい忘れちゃうのよね」
呆気にとられながら、ちょうどよい高さの椅子になりそうな岩があったので腰を掛ける。岩はほんのり暖かかった。そういえば洞窟全体が暖かい。不快な湿気もない。どういう仕組みだろうか。
「ところで、ケルトン教授は残念なことをしたわね。何度か話をしたことがあるわ。堅苦しい格好の神経質そうな感じの人」
「最近はお会いになりましたか」
「いいえ、大分前よ。そう度々会いたいと思う人じゃあないわね。あなたご結婚は?」
「まだです」
頭の中で教習を復習する。いきなり話が飛んでとまどうが、ドラゴン・レディに雑談はない。訪ねてきた要件はすでに提出書類でわかっているはずだし、レディ自身も独自の情報源を持っている。
レディに会ってからの一連の質問はすべてそれに関連したことのみだ。雑談にふけっているように感じられたり、話が急に飛んだり、無駄話をしているように感じられるが、これはドラゴンの思考に人間が追いついていないだけで、レディとしてはすべて論理的に繋がっている必要な質問になっている。だから、どんな質問にも答えなければならない。
「ええ、人間としてはいい男に見えるけどなあ」
「こればかりは、縁のものですから」
「縁がないの? さみしいわね」
それと、正直に答えなければならない。ドラゴンには嘘という概念はない。人間が時に嘘をつくことは理屈の上ではわかっているが、理解はしていない。情報を意図的にゆがめる行為は厳禁だ。
「さあてと、鈍器で殴られたのよね。かわいそうに。痛かったでしょうねえ」
「いいえ、即死です。ほかの外傷は認められませんでした」
「警備は? 怪しい奴とかいなかったの?」
「寮で窃盗事件がありましたが、研究棟には怪しい者の出入りは確認されていません」
「さっすが帝国大学の警備ね。じゃあ、犯人は身元が分かっている者ってことね」
「あまり考えたくないことですが、それなりの社会的地位のある者の犯行のようです」
「夜中にケルトン教授の研究室に出入りできて怪しまれない者。そんなにいないんでしょ? 全員捕まえて縛り首にしちゃえば……って、ごめん、そういうんじゃないのよね。人間社会は」
論文のことを持ち出したいが、それはやってはいけないことの筆頭だ。レディに相談するときはこちらから答えを聞いてはいけない。せかしてもいけない。レディと話をして、自然と答えが出てくるのを待つしかない。
「犯行時刻の範囲は絞られてるわね。前夜給仕がお茶を持って行ってから、翌朝見つけるまで」
「その通りです」
「ほかの人は? 犯行時刻に居場所を証明できない人は? あら、あたしってばかね」
真夜中の居場所を即座に、かつ完璧に証明できる奴がいたら、そっちのほうが怪しい。私は微笑んだ。だから動機が重要なのだ。
「皆大学にこもりっきりなのね。なにが楽しいのかしら」
「帝国大学は自治都市のようなものですから、生活するだけならたいていのものはそろいます」
「生活するだけなら? 遊びは?」
「娯楽はべつです。大学ですから。当然」
「西地区?」
「良いところではありませんね」
「行ったことはあるの? もちろん、捜査以外でよ。個人的に」
「あります」
表情が変わるのを抑えたかったが、赤面するのは止められなかった。
「あら、可愛い。真っ赤になって。でもごめんなさい。これは聞くべきではなかったかもしれないわね」
「いいえ、レディ。どんなことでもお聞きください。捜査に必要であれば、すべての問いに答える覚悟はできています」
「いい覚悟ね。責任感か。人間が社会的動物であるから持っているものね。そういうの見るの好きよ。ぞくぞくしちゃう」
レディの翼が洞窟の天井まで広がり、また折りたたまれる。翼は蝙蝠のような皮膜でできており、発光する天井に透けて細かく血管が走っているのが見えた。
「ケルトン教授はどんな風に否定したの? トサ教授の学説を」
「トサ教授は、その……、レディが最後のドラゴンであると主張し、過去の記録を根拠としていました。ケルトン教授はそれを完全に否定しました。何か発見したようなことをほのめかしています。そして、トサ教授をひどく侮辱したそうです」
「まあ、それじゃ、学説の否定とかそういうお話じゃなくて、ただの喧嘩じゃない」
「そうですね。なにがきっかけかはわかりませんが、食堂で大声だったので多数の証言が得られました」
「で、あなたはどう思うの? あたしが最後のドラゴン?」
「わかりません。でも、そうでなければいいなって思います」
「どうして?」
「レディはさきほど、私が独身なのは縁がないからと答えた時、さみしい、と感想をおっしゃいました。さみしい、という言葉を使うのであれば、そういう感情もお持ちかなと考えたんです。だから、お仲間のドラゴンがいればいいなと思いました」
レディはまた翼を天井に届くほど広げる。血管が脈打ち、その翼は体色以上の濃い桃色に染まっている。翼が伸びきると色は一瞬で薄れ、もとのようにきちんと折りたたまれた。
「ドラゴンの残存個体についての検証」
なにを言い出したかすぐにはわからなかったが、論文の訳だとわかり、じっと続きを待つ。ドラゴンは息を吸い込む音を立てると目を閉じ、口を開く。
「レディ以外のドラゴンは消滅したっちゅう奴がおる。そんなことあらへん。この論文でそれを証明したる。それとな、わしはめっけたんや。レディ以外の個体の記録や。雄の可能性もあんねんで。すごいやろ……(レディ以外のドラゴンは消滅したという主張をする者がいる。それは誤っている。この論文において、そのことを証明する。また、私はレディ以外の個体の記録を発見し、それは驚くべきことに雄の可能性がある)」
レディは息を吸い、目を開いた。
「ここまでよ。残念だけど、あとは解読できないほど焼けているわ」
「ありがとうございます」
「この捜査。あたしも加わるわよ。警察の外部協力者として。治安警察とカノウ捜査部長には大誓約庁から話を通しておくから」
レディは大きな目をぱちぱちして私を見下ろす。
「あなたは今後、手続きなしでここまで来ていいわ。最優先でお相手してあげる」
「早速だけど、泥棒はどうなったの? トサ教授は? 事件のあった夜は何してたの?」
私は捜査について説明し、少しためらったが、トサ教授の事件についても話した。外部協力者として認めるかどうかは決まっていないが、レディと大誓約庁の要請が却下されるとは思えなかった。
「そう。窃盗犯は臆病な賭け屋で、トサ教授は人間らしい用事で忙しかった、と。で、今は被害者ね。人の運命はめまぐるしいわね」
レディの翼は呼吸に合わせて小刻みに動いている。桃色の巨大な生物が何かを考えている。
「どうしたの? 何を見ているの?」
「失礼しました。翼を」
「どう思う?」
いたずらっぽい口調だった。
「使えるのですか。飛ぶのに」
「もちろん。あまり高く飛ぶと大誓約に引っかかるけど、時々は山の上を飛ぶのよ。いい気分」
レディは顔を近づけてきた。
「ねえ、給仕はお調べになった?」
「いいえ。ただ、永年勤続表彰を受けています。信頼がおけます」
「そっちじゃなくて」
首を傾げる。何のことを言っているのだろう。
「夜中に研究室を回っても不審に思われない、空気のような給仕がいるでしょう」
「ランプの油補給係ですね。しかし……」
「それぞれの事件の夜に回っていたのは同じ人? それとも違うの?」
「すみません」
私は自分の間抜けさを呪った。一人前の仕事ができると思っていたらこれだ。
「あら、また赤くなった」
「すぐに調べます。しかし、動機が不明です」
「目標が決まったら、調べる方法はいくらでもあるでしょう」
「その通りです。ご協力感謝いたします」
レディは片目をつぶる。
「最近練習してるの。ウィンクってこうするんでしょ」
「ちょっとぎこちないです。まだ練習がいります」
「あら、きびしい」
ドラゴン相手に嘘はつけない。
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