示唆に富んだ文章で興味深く読ませていただきました。
ただ一点どうしても気になったことが…
「華のJK」である主人公の語り口として、「鬼籍」とか「十把一絡げ」といった表現が少し固く、読み手としては共感を妨げられるように感じたりするのかな…と思いました。
いきなり現れて偉そうに指摘して大変恐縮ですが、
私自身の執筆の課題と重なる部分を感じ、
ご指摘させていただきました…!(難しいですよね、読み手の共感ってなんなんしょ…)
結末が靄になかに放り込まれたのはすごく読後感のいいエンドだと感じ、個人的にはそのうやむや感がすっきりきました!
失礼いたします!
作者からの返信
こんにちは、コメントありがとうございます!
なるほど、確かに使う言葉のチョイスはキャラクターの性格や属性を決める大きな部分にもなりますし、正直そのあたりまで「詰めて」書いていなかったのが実際の所です。
これで私の正体が「女子高生」では無いことがバレてしまったようでお恥ずかしい限りですw
貴重なご意見及び一読して頂き、本当にありがとうございます。
今後の創作活動の参考にさせて頂きますので、今後とも宜しくお願いします。
自殺中
傷みはスローモーション。
生きる事より痛いとおもう。
そうするなら
生きた方がマシや思う。
途中で苦しさに耐えきれんくて
上手く死にきれなくて。
のりは
自殺して死にきれなかった人を知っている。
生きるという選択肢を100%捨てて、苦しみに耐えて自殺した人もいる。
たまに彼女がのりに会いにくる
悪いけど
のりはそっちには
当分行けない。
※自殺は死に損
誰が悲しむとか考えない事
作者からの返信
山本のり 様
こんばんは、コメントありがとうございます!
なるほど、興味深いご意見です。
身近でそういった方達を見たことによって形成される価値観は私には無いもので大変勉強になります。
それを踏まえて本作の趣旨に組み込むならば、私は自殺を「各個人が持つ選択肢の一つ」であると考えてこの作品を書き上げましたが。その選択に関する基準として「損得」が含まれるのかもしれません。
その行為や根拠を是とするか否とするか、それは個人の自由ですので私は押し付けませんし強制も受けません。
けれど、のり様が提示した「損得勘定」は間違いなく根拠の一つになりうる要素であり、私が皿に載せていないものであると思います。
読んで頂いた上に勉強もさせて頂きました。本当にありがとうございます!
個人的にとても良いお話だと思います。
命の価値を自分なりに考えて、自分なりに前に進もうとしている彼女にぼくは好感が持てました。
僕だけなのかもしれませんが。
最後の彼女の選択がどちらだったのか。
物語からは知ることができませんが、彼女の選択に敬意を。
文才も何もない一凡人ではありますが、素敵な作品に出会えた感謝と、作者さまへの敬愛を込めて
作者からの返信
いいひと 様
こんばんは、コメントありがとうございます!
極めて無責任な言い回しにはなりますが、彼女の選択は彼女にしか分からず、自分のことは自分で決めるしかない―――そういう作品として表現したつもりですので、もしよろしければご自身で考察などしてくださると大変嬉しく思います。
身に余るお言葉を頂き、本当にありがとうございます。
編集済
最近僕自身もそういったところを良く考えるようになり、作者様の考え方をとても「その通りだ」と思えるところが沢山あり、コメントさせていただきました。
人は1分1秒先の自分の保証のない世界で生きていて、そのことをあまり考えず惰性に生活しているのではないかと良く思います。
もちろんそんなこと普通は考えませんし、考える前に今の生活に追われる毎日だと思います。でも、みんながみんな強く生きれる訳でもないですし、心の弱い方も沢山いらっしゃるとは思います。そういった方に何が何でもというのは少し辛いんじゃないかなと。
その中で生きていくのは凄く輝かしいものであるはずですし、それを行う人はその分辛い思いも必ずするはずです。でも、その人の何も知らないのに勝手に「生きろ‼︎」なんて少し違うんじゃないかなとずっと思ってました。
個人を尊重するっていうのはその人のその思いもその時の場面も全て含めてということなんじゃないかなと僕は良く思います。簡単に聞いて「俺なら出来る」なんてそんな無責任なこと言うのは違うと思いますので。
この作品を読めて良かったと思います。
考えが間違えているなんて、その人の人生を何も知らない人が言うのは間違っているなと思いますので、作者様のこの作品がもっと沢山の方に読まれると嬉しいなと思います。いろんな意見があって当たり前で、それぞれ生き方も考え方も違うのに型にはめていこうとするのは違うと僕は言っていきます。
ネットだから好きにしていいなんて巫山戯んなって感じで、相手の心に寄り添える人が増えますように祈ってこれからも生きていきます。
作者様もお体に気をつけ生活を続けてください。
作者からの返信
@km19931201 様
こんばんは。コメント及びお気遣いの言葉ありがとうございます。
@km19931201様のコメントには考えさせられる部分もありましたので、私なりの返答をしたいと思います。
仰る通り、他者の思想や人生に他人が無責任に干渉したりするのは私も疑問があります。
中でも「死生観」については混沌としているのが常であり、
本人ですら掴みかねることが多い部分です。
それを他者が「自分に置き換えて」勝手に類推し、何らかを強要することを私は正しい事だとは思えません。
究極的には「生死の選択」は自分のみが持つ精神の自由であり、本来であれば社会常識などで縛れるものでは無いからです。
けれど、勘違いをして頂きたくないのですが、「それ」は自分だけでは無く他人にも当てはまる理屈であり権利でもあるということです。
周りの人が自ら生命を断てば、少なからず傷を負いますし、最悪の場合は不幸が連なってしまうこともあるでしょう。
なので、「自殺」が本人の自由であるとは言え、そういった不幸を減らす努力を怠ってはいけないとも思うです。
勿論当事者にとってそれが些事となるか大事となるかは本人次第ではありますし、前述の様に他人がどうこう言える問題ではありませんが、なるべくなら不幸は少ない方が素敵であると個人的には思います。
尤もその辺りも含めた全てが、当人の「選択」の先に有ることは意識するべきなのかもしれません。
なんだか説教臭くて押し付けがましい意見を述べてしまいましたが、作者としては@km19931201 様が感じた事こそが全てであると考えます。
最後になりましたが、改めて読んで頂けた事に感謝を捧げたいと思います。本当にありがとうございました。
つい数日前に「自殺? 好きにしたらいいんだよ」的なエッセイを読んだ後にこの作品に触れ、自殺肯定のムーブメントが来たというか、無思慮に「生きろ」という社会の声に対して反感を持つ側がついに声をあげはじめたかと思いました。善哉善哉。
たとえ社会に責任ある立場でも、自分の命を自身の所有物とする権利は基本的人権としてあると考えます。
自分の身の振り方は自分の好きにすればいいと思うのです。たとえそれが自殺であろうと。
P.S.
>三十二階の階段を上がる
を階段=人生、の比喩表現だと思って「32歳? JK設定忘れた?」と一瞬混乱しました。
作者からの返信
鯖田邦吉 様
こんばんは、コメントありがとうございます!
私はそのエッセイを読んでいないのでアレですが、最近カクヨム内で「自殺はダメゼッタイ」の旨を主題に掲げた作品をチラチラ見かけまして、私の中の捻くれ者が疑問の声を上げたので本作を書きました。
仰る通り、本来自殺であろうとなんであろうと身の振り方は各個人の自由だとは思いますが、本作ではそういった「立場」や「役割」を持たない「持たざるもの、それ故の自由」みたいなものを表現したいと考え、ああいった論理と理論を展開しました。
追記である階段の段数については混乱させるような表現で誠に申し訳ございません。
確か仏教的に「三十二」という数字に意味があった気がしたのと、段数が多ければ多いほど覚悟の強さのメタファーになるかなと考えたからです。…失敗でしたかね?
【追伸】
いや待てよ、「自殺? 好きにしたらいいんだよ」的なエッセイ…???
私も読んだ気が…???
想像するに男性の作者が、女子高生の内面を克明に描いて、妄想じみたところがなくて危なげのないのは作者の力量をうかがわせるもののようにも思った。
吐露されている思想の内容は良くも悪くも高校生に相応しいもののように思った。
内容はわるくないと思ったが、「暴言暴論」のようなタグをつけるのは保険をかける行為のようで私は好きではない。「宗教」のタグもさほど適当ではないように思った。
作者からの返信
青丹よしお 様
内容だけでなくタグまでもを絡めた鋭いご指摘、ありがとうございます!
全てを見通され、少し気恥ずかしい感じもしますが…。
「暴言暴論」についてですが、これはあくまで私個々人の独善的な解釈を元にした死生観であり、万人に共通する絶対的で普遍的な真理じゃないという意味を込めました。
「宗教」につきましても、人の生き死にを真面目に考える事自体が一種の宗教なのかなと考えて設定致しました。
尤も、そういった思いも既に「保身」であり、「保険」なのかも知れませんが……。
編集済
彼女には自分の先が見えていなかったのか。
見えていないのであれば、間違った選択ではない。
か細くとも先が見えていたのであれば、早まったのかもしれない。
……などと書いてしまいましたが、知人に自殺をした者がいて、本人は良かったのかのかもしれませんが、その後のことを見ていますと、何ともいたたまれなくなるんですよ。
でも、これは自殺する本人の話。周りは関係ないんですよね。
失礼致しました。
追記:
あ、いえいえ、不愉快とかそう言ったものではないです。ちょっと私の表現にも棘があったかもしれません。そうであれば、お詫び申し上げるのはこちらの方です。
そして、本陣さんの仰るのは至極冷静です。その考えは非常に理解できますよ。
一時期は私も自殺を考えたことのある人間ですから。
ただ、私は善悪は置いといて、踏みとどまった。
思い詰める自殺と衝動的な自殺——その観点で考えると、私のは衝動的な自殺だったのかな、と思いました。
作者からの返信
大地 鷲 様
コメント及びお星様をありがとうございます。
お知り合いの件、お悔やみを申し上げます。
無責任ながら申し上げれば、個人的な価値観と社会通念上の価値観。
究極の状況でそのどちらを優先するのが正しいのか――それは本人にしか分からない事ですし、当事者たる本人のみに選択権があるものだと私は考えます。
勿論、残された側の気持ちがあるのは百も承知ですが、そういったどうしようもない無情さを本作では描いたつもりです。不愉快に思われたのであれば、お詫び申し上げます。
死を覚悟した人に、寄り添えるのはそれこそ同じく死を覚悟した人だけ。
一緒に死ぬつもりがないのに、「死なないで」というのは
画面の外から「ヒーロー」に助けを期待するようなものだと僕は思う。
それで死を覚悟した当人が救われるのなら問題ないが、大半はそうじゃない。
たしかに人の死は誰かを傷つける行いかもしれないけど。
もしそうだとしたらボロボロになるまで傷つき、そんな状態になるまで放っておいた人も同じくらい悪いのだ。
そこに気がつかない人が殊の外多い――と僕は思う。
だからこそ僕らは苦しいときには苦しいと声を上げなくてはならないのだ。
そしてそれを真に聞き取り、寄り添える世界こそ――今僕らが目指すべき本当に必要な平和な社会だと言えるのではないだろうか
作者からの返信
こんばんは、コメント及びお星様をありがとうございます!
本作の語り部は恐らく、自分や自己があって、それ以外の全部がまるっと「社会」や「世界」であると認識していると思うのです。
故に何らかの理由で自分以外の全てと距離を置きたがっている彼女の前に、きっとそんな「ヒーロー」は現れることは無いでしょう。
そして川乃こはく様が仰る様に彼女達が内なるそれを言葉にして、自分以外の外界に訴える事が出来た時、物語と世界は変わるのかもしれません。
結びにはなりますが、私には無い感性と思想に触れたことはとても新鮮な気持ちですし、改めてありがとうございますと言わせて頂きます。