虹色の細胞⑤


 仮にも彼女は、発明法取締局の元エージェントである。そして、あらゆるモラルをわきまえた成人女子の端くれでもある。

 そんな彼女が、あまりの食欲を抑え切れず、どこの誰かも分からぬ他人様ひとさまがこしらえたものを勝手に手を付けてしまったことが問題なのである。

 ただでさえここは〝聖都市サンクチュアラ〟に移り住むための試験会場なのである。こんな行為を試験官たる〝大型人工知能イーリス〟にでも見られていたならば、減点対象となりるだろう。

「それに、このペペロンチーノに毒でも入っていたら、もう僕はこの世にいないかもね……」

 それを食べ終えてから、もう十分以上は経過している。この料理に即効性の毒薬でも混じり込んでいたら、その効果は出て来てもおかしくない時間である。

 だが、彼女の身体に未だその異変も感じられなかった。ただただ目の前にあった料理が美味しかったという事実があるだけである。

「なんなんだろう? これ、どうなっちゃてんだろう?」

 これが、昔から伝わる童話の類いなら、そろそろ何らかの鉄槌やしっぺ返しが訪れるに間違いない。小紋も子供の頃は、そういった染みた物語の帰結に心をどぎまぎされたものだ。

「なのに、何も起きないなんて……」

 しかし、それよりも彼女が驚いているのは、自身の欲へのコントロールを見失ってしまったことである。

 自身、こんなことは人生で初だったかもしれない。

 たしかに彼女は、憧れの羽間正太郎を追い求めて、弱肉強食の大地ここヴェルデムンドにまで渡航してしまった過去がある。だが、こんな根幹的な欲求を見失うほど行儀の悪い性格ではない。


 

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