偽りの平穏、そして混沌㊻


 ロング・オブ・メデューサ――。

 つまり、通称〝ヴェルデムンド・ウィルス〟は、この地球上の人々の価値観を一変させた、一つの暴力といったものであると博士は言う。

「そして貴様は、ヴェルデムンド・ウィルスなどという、それらしい名前を世界に吹聴して回ったのじゃ」

「ほう、すべて見て来たようなことを仰りますな、桐野博士。この私が、それほどの器だとでも?」

「器云々うんぬんを語る話などではない!! 逆に、器の大きさで語るのならば、貴様はショットグラスにも満たないスプーンの類い容量じゃ!! それも、よほど小さなティースプーンほどのな!!」

「ハッハッハ、これは手厳しい。でも、よろしいじゃありませんか。ティースプーンなら、器の中身をぐるぐるとかき回すことは容易い」

 一向に口の減らぬ相手に、桐野博士は次第に口調が激しくなり、

「貴様は、あの世界でどこで買い付けたか知らんウィルスを持ち帰り、あのような騒動を巻き起こしたのじゃ!! それで、どれだけの人々が心を痛めたと思う!? どれだけの人々がその信念と引き換えにヒューマンチューニング計画の言いなりにされたと思う!?」

「そうおっしゃる博士も、かつてはヴェルデムンド世界でフェイズウォーカー開発に身を置いていたお一人でしたな。結果的に良かったではありませんか。博士は、ご自身の信念をお曲げにならなくて済んだのだから」

「そういう問題ではない!! 貴様と言うやつは……!! 貴様と言うやつは……!!」

 桐野博士は、そう言って地団駄を踏んだ。これは、博士がスミルノフに捕らえられたばかりの頃の話である。

「そんな奴でさえ、実は頭を悩ましておるのじゃ。どこで頭を抱えておるのか、このわしの知るところではないが。奴は確実にあのウィルスの使用をためらっておる……」


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