野望の㊳

「ねえ、マーティズ? 今夜、私の研究事案が上に認められそうなんだけど、その前祝いとして二人で谷間の見下ろせるレストランでディナーでもどうかしら?」

 ゲッスンライト研究所の一日目の仕事を終えようとする頃、帰り際に同僚の女性に声を掛けられた。無論、中身は羽間正太郎だが、外身は蔵人・ジミー・マーティズとして認識されてのことである。

 声を掛けてきた相手は、かねてより蔵人に好意を寄せているアンナ・ヴィジットという透き通る白い肌をした金髪が眩しい美しい女性である。

 彼女は研究者としては珍しい溌溂としたキャラクターの持ち主だが、どうやら蔵人より五歳年上の姉さん的な位置にいる女性らしい。

「ああ、アンナか。僕はアンナのお誘いならいつでもオーケーさ。何なら朝方のコーヒーまで付き合ってあげてもいいんだぜ?」

 蔵人に扮した正太郎は、あらかじめ蔵人・ジミー・マーティズの仕草や話す言葉の癖を完璧に模写する訓練をしていた。勿論それだけではなく、彼の人間関係や過去の経歴までも完璧なまでに。

「あら? マーティズ。最近研究所で見掛けなかったけれど、少し見ない間にやたらセクシーに感じるわ。またどこかでいい女でも捕まえちゃったりしてるんじゃない?」

「ば、馬鹿なことを言うなよ、アンナ。僕は独り身の寂しい研究者なんだからね、そんなにからかわないでくれよ。それよりアンナだって、最近とても綺麗になったじゃないか」

「えっ?」

「あ、いや、これは僕の勘違い! アンナが綺麗なのは元からのことだった。今更口に出して言うほどのことでもなかったね」

「まあ、お上手だこと!」

 正太郎は完全に蔵人になり切っていた。だが、蔵人・ジミー・マーティズという男が、こういう軽口を平気で叩くことには内心呆れかえる。

 それもそのはずで、蔵人・ジミー・マーティズは女好きの女遊びで定評があり、先ごろの繁華街でミックスでありながら泥酔するまで徘徊し、そこを反乱軍の工作員に拉致され捕虜となったのだ。正太郎が成り代わるには打って付けの人物であることは間違いない。

 

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