アルサンダール家の④


「なっ、誰だ!? この声はアイシャなのか!?」

 今の今までその存在を忘れていた。いや、言い換えるならば、忘れさせられていたその存在を!

「正太郎様! その方の言いなりになってはいけません! 早くお離れになって下さい!!」

 アイシャの急を要したその言い様には、逼迫した何かが込められている。

「アイシャ! なぜ君がここに!?」

「列太郎さんに連れてきてもらいました! さあ、早くその方からお離れになって!!」

「な、なに!? 列太郎に? それになぜ悠里子から離れなければならないんだ!? 俺はもう、悠里子を手放したくはない」

「いいえ、そのお方は、正太郎様のお考えになっているユリコ様ではありません!!」

「なんだって!?」

「そこにいる、正太郎様が抱いていらっしゃるそのお方は、正太郎様がお望みになった思い出の中のユリコ様なのです!!」

 正太郎には、アイシャが何を言っているのかまるで意味が分からなかった。というよりも、今の正太郎には、いつものような冷静な判断が出来ていない。

 その様子を窺っていた悠里子は、

「ねえ、正太郎。何よこの女。わけの分からないこと言ってるんだから耳を貸す必要ないわ! さっさと最後まで溶け合っちゃいましょう!」

「だめです! 正太郎様、お気をお取戻しになって!! そのお方の言うことを聞いてはいけません!」

「正太郎! いくらこの女があまりにも綺麗だからって、この女の言うことを鵜呑みにする正太郎じゃないわよね? あなたは私の物よ! あの女なんかに渡すつもりなんてこれっぽっちもないんだから! さあ、溶け合うのよ、正太郎! そうしなければ、私……!!」

 悠里子はそう言って、正太郎の胸の中に顔を埋め込んだ。正太郎の全身に、埋め込まれるのと同時に得も言われぬ快感がくまなくほとばしる。

「正太郎様!! だめです! お気を確かに持って!! あなたはまだ、この世界に必要な人なんです。あなた自身が自分の弱い所に飲み込まれてはいけない人なのです!!」

 それはアイシャの言う通りであった。

 この一連の現象は、無論アヴェルの仕掛けた“パンドラの箱”によって開かれた禁断の技術の応用である。

 アイシャはあの後、燃え盛る森の中を探索する中で、ゲネック・アルサンダールの人影と出会うことができた。だが、それは完璧なゲネックではなかった。なぜならそのゲネックは、アイシャの考えるゲネック・アルサンダールでしかなかったからだ。

 アイシャはあまりにも父と年齢が離れているがゆえに、ゲネック・アルサンダールという人物のことをよく知らないで育った。

 晩年、ゲネックは末娘のアイシャの介護を受けながら余生を暮らしていたが、その期間はとても短くとても芯から全てを知り得る親子関係とは程遠いものであった。

 だが、父ゲネックは、幼少の頃よりアイシャの類い稀なる才能を見抜いており、その人生観と生き様をアイシャに語ることで、それまでの穴埋めをしたというわけだ。

 しかし、アイシャは知らなかった。ゲネックが黄金の円月輪の元首領であることを。

 黄金の円月輪の首領であるということは、つまりそれは綺麗ごとでは物を語れぬということを意味する。

 アイシャが探し求めて出会ったゲネックの人影は、とても余裕に満ちて円満な好好爺そのものであったが、幸運にもアイシャの搭乗していた烈風七型――いわゆる烈太郎の記憶の中にある“ゲネック先生”とは似ても似つかないものであると指摘されたとき、アイシャはその存在を、

「これは、私の中にあるお父様なのね……」

 と気付かされたお蔭で、その存在がまやかしであるということを知ったのである。

「正太郎様! いけません! それ以上は……!!」




 

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