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 ※※※


 正太郎は夢を見ていた。それはまだ彼が地球にいた頃。そう、少年時代の夢だ。


 彼が高校生だった頃、世界では宇宙探査競争の真っただ中であった。

 宇宙探査競争というのは、地球外の衛星、惑星、恒星、またはそれに付随する宇宙空間で五年以上の生活ができたと証明されれば、そこの自治権を認め合う、

【ビハール・シャリーフ協定】

 という国際協定が合意されたことが発端になっている。

 この協定が合意された背景には、大まかに二つの理由があった。

 先ず一つ目は、

「刻一刻と厳しくなる自然環境の変化に対応するために、人類が適応できる新天地を求めようとしたこと」

 二つ目は、

「それに見合うまでの科学技術が人類にはなかったこと」

 である。

 それまで人類は、様々な戦乱や戦争によって科学技術が進歩してきたのは周知の事実である。なぜなら、人は争うことによってお互いを高め合う性質を持った生き物だからである。

 皮肉なことに、熱い戦争と称される直接的軍事力の衝突が著しく科学的進歩を後押ししてきたことは言うまでもない。

 そして直接的な軍事衝突が行われなかったとしても、経済的な鍔迫り合いによる仮想的な戦争も本質的には熱い戦争と何ら変わりはなかった。

 つまり、競争力無くして進歩あらざるがごとし、というのが首脳会談の本質的な見解だったのだ。

 このひっ迫した世界情勢において、

「人類が生き延びるには」

 と課題を設けたのちに示し合わされたのが、宇宙探査競争、つまりビハール・シャリーフ協定の合意への成り行きだったのだ。


 羽間正太郎には、日次悠里子ひなみゆりこという幼馴染がいた。

 彼女は後のフェイズウォーカーの基礎ともなったフェイズワーカーと呼ばれる汎用型作業用ロボットの開発の権威である日次信之介ひなみしんのすけ博士の孫にあたる。

 フェイズワーカーは、今後の宇宙空間や新天地を開発する上での作業には欠かせない存在として、さらに最も重要な課題として注目を集めていた研究の一つである。正太郎も知り合いのよしみで、その研究ラボには子供の頃から出入りしていたのだ。

 その年は例年よりも身に染みるほど冷え込んだ夏だった。

 正太郎は授業をサボり、校舎の屋上でひなたぼっこをしながらうつらうつらと校庭を見下ろしていた。校庭では、どこかのクラスが体育の授業をしているが、もう真夏だというのに皆長袖のジャージを着用している。

 すると、出入り口のドアがいきなり開かれた音が屋上一帯に響き、

「ああっ、やっぱりここにいたのね正太郎。あなたこんな所で何やってるの!? 私、すごい探したんだから!」

 彼女は額に汗しながら息せき切らしていた。彼女自慢の漆を流したように煌めく長い髪が、屋上の風に乗ってさらさらとたなびいている。

「なんだ悠里子か、脅かすなよ。たまにはゆっくり寝かせてくれよ」

「なんだじゃないわよ! あなた一応クラス委員長でしょう? 今度の文化祭の出し物決めるのみんな楽しみにしてるんだから。ほら、教室で首を長くして待ってるわよ」

「アアン? そんなの俺がいなくたってなんとか出来んだろうが、小学生じゃあるめえによ。俺ァ、お前んとこのじいちゃんの研究に付き合わされてクッタクタなんだよ! そのぐらいみんなで好き勝手にやってくれればいいんだよ」

「だめよ。確かにおじいちゃんの研究はハードそのものよ。あなたは今度のワーカーの試運転の為に色々と体を鍛えなきゃいけないのも分かってる。でもね、それはそれ、これはこれなの! みんなの期待に応えるのがあなたの役目でしょ!」

 悠里子は寝ころんだ正太郎を無理矢理起き上がらせようとする。

「もう、ふざけんなよ。お前さあ、俺より成績もいいし学校の連中にも人気あんだから、お前が責任者やればいいじゃねえか! きっとお前のファンだとか言ってるミーハーな輩も喜ぶと思うぜ」

「なによそれ、ふざけてるのはそっちじゃない! 勝手なこと言わないで! あなたはみんなに選ばれてこうなったのよ!」

「うるせえなあ、だったら俺ァ、んなもん選ばれたくなかったよ! もうこんなこと全部やめてやるからな! お前のじいちゃんの研究の手伝いだって、クラス委員のことだって!」

 正太郎はいきなり立ち上がった。あろうことか制服の上着をいきなり脱いで床に叩きつけた。

 その光景を目の当たりにした悠里子は目を真っ赤にして、

「もうバカ正太郎っ!」

 と、思いっきり彼の頬を右手でひっ叩いた。  

「何なのよあなた、何なのよバカ! ちょっとくらい何でもやれるからって、ちょっとぐらい何でも出来るからって、何お高く留まってんのよ! そんなんじゃ、そんなんじゃ……」

 悠里子は大声で泣きだした。顔をぐしゃぐしゃにして天を仰いで雄たけびを上げるかのように。

「悠里子、お前……」

 正太郎はぶたれた頬を抑えた。何故か分からないがとても心に堪えた一撃だった。


 あの夏が過ぎて冬になるころ、彼女の一家は最新の研究をするためにアメリカに居を移すことになった。それは日本とアメリカの共同開発という名目上の事案が出来たからである。

 勿論、フェイズワーカーの被験者として正太郎にもお誘いがあったのだが、

「とりあえず君は、日本で高校を卒業してから来なさい」

 と信之介博士に助言され、彼女ら一家を見送ることとなった。

 空港での見送りの時、悠里子は、

「正太郎、待ってるからね。絶対早く来てね」

 そう言って正太郎の頬にキスをした。

「ば、ばか。早くったってあと一年あんだろうが……」

「あなただったら出来るはずよ。だってあなたは出来る男だもん、おじいちゃんが言ってた。ううん、私がそう思うからきっとそうなのよ」

 そう言い残して彼女ら一家はアメリカに旅立った。それが羽間正太郎にとって悠里子と直接顔を合わせた最後の瞬間になった。

 なぜなら、彼女ら一家が乗った旅客機は、反協定派と呼ばれる宇宙進出反対勢力のテロリストによってハイジャックされ、そのまま旅客機は太平洋上の海の藻屑と消えたからである。


「悠里子……」

 昏睡状態の中、正太郎の脳裏に焼き付いた記憶が何度も何度も繰り返されるのである。




 

 

 


 

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