序章【勝手にしやがれ】
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もうすぐ春が訪れる――。
この人工知能統括国家ヴェルデムンドには、いくつか存在する
夜半過ぎには、地域一帯におどろおどろしい雷鳴が響き渡った。やがてコンサートホールの大反響音にも似た氷の粒が叩きつけられた。
そろそろ店仕舞いをして、ようやく暖かい布団に潜り込もうと目論んでいた
「こんな時に限って、望まねえ面倒が舞い込んで来やがる……」
そんな悪寒に襲われた。彼はぶるぶると首筋の辺りを震わせながらハイネックのシャツに手をやる。
すると、やはり彼の勘は鋭く、やがて薄暗い店内にずぶ濡れの
「いやあまったく、毎年この時期はすごいですねぇ……ご覧の通り、やられてしまいました」
特段挨拶をするでもなく、無粋な感じでやって来たこの小柄な人物、噂の発明法取締局きっての若手Gメン、
「正太郎様……お手数とは存じますが、小紋様に何か温かいお飲み物でもお出し頂けたら有難いのですが」
マリダは、そのキラキラとした派手な外見とは似つかわしくない
薄暗くジメジメとした店内には、いつの時代の物かも分からないクラシカルなジャズミュージックが流れている。正太郎は仕方なく、やかんに昨日市場で手に入れたばかりの新鮮な水を入れ、湯を沸かし、これまた近頃手に入れたばかりの地球産のコーヒー豆を丁寧にミルで挽いた。
「ふうん。どうやらこの香りはどこか他の物と違って少し甘く感じるような。そうか僕が思うに、おそらく……中米辺りが原産地じゃないかと。いかがですか?」
鳴子沢小紋、相変わらず鋭い。
「ああ、今は希少なグアテマラ産の豆だ」
正太郎は口角を上げて言った。「うちは知っての通り、食いもん屋じゃないんだがな」
嫌味の一つでも言いたくなる。が、正太郎にとって理解に勝るスパイスは存在しない。
「でも、今どきこんな原始的な感覚の嗜好品は流行りませんね」
「ケッ! 食えねぇ奴だな」
小紋は裏表がなく、全てにおいて屈託がない。
「商売じゃ、こんなのは高くて扱えねぇんだがな」
丑三つ時に招かれざる客である。彼は当初眉根を寄せていたわけだが、相手が
打ちっぱなしのモルタルの店内には、ジメジメとした空気が淀んでいた。マリダが、小紋の外套を衣紋掛けに袖を通していると、香り高いグアテマラ産のコーヒーが淹れ上がった。
「ありがとうございます」
小紋は軽く頭を下げ、砂糖とミルクをたっぷり入れてからカップのコーヒーを二度三度すすった。
「それで早速で申し訳ないのですが、この話を聞いて頂きたいのです。あの、激しい戦場を駆け抜けて来た生き証人のあなたに――」
あまりの神妙な面持ちに正太郎は少したじろぐが、小紋は構わず矢継ぎ早に切り出す。
「これは我々統治者の間で秘密裏に伝わっている話なのですが……。実は、あの世界頭脳【ダーナフロイズン】が何者かの手によって動かなくなりました……」
「はあ!? だってお前、ありゃあ、お前らの絶対的な神様みたいなもんじゃねえか!」
あまりの衝撃に正太郎は二の句が継げない。
あんぐりと口を開けたままの彼に、小紋はゆっくりとした口調で、
「まあ簡単に言うとですね――幸いなことに起動はしているのです。でも、何を問いただしても【Think by yourself=自分で考えろ】としか答えが返って来なくなってしまいました」
「なんじゃそりゃ!?」
その昔、正太郎ら反ヴェルデムンドを掲げてゲリラ活動を行っていた者からすれば、
(あれだけみんな命を懸けて戦って来たというのに……)
と、かなりしっくり来ない話である。
それは十年前のことだった。加速する人口爆発、食糧問題、エネルギー問題、そしてさらなる天変地異や気候変動に対し、先進国を中心とした国々は人類の明るい未来を担う目的で人類保護計画“ブルーバードライン計画”を実施。その計画の中核を成す意味で誕生したのがウルトラ人工知能【ダーナフロイズン】だった。
それまで人類は、第二の地球を宇宙に求めようとしていたが、人工知能神【ダーナフロイズン】はそれを善しとしなかった。
理由は、
《人類にとって、もっとリスクが少なく価値がある大地を求むる》
という事である。
しかして【ダーナフロイズン】が提示したのは、新しい技術【他次元への渡航】である。この人工知能神は、人類に対して全く新しい技術を指し示し、実行させたのであった。
そしてたどり着いた行き先が、巨大な植物がヒエラルキーのてっぺんに君臨する大地、名付けて、
《ヴェルデ・ムンド=緑の世界》
なのである。
そしてさらに、第二の計画があった。それが“ヒューマンチューニング計画”である。
その内容は、
《この厳しい環境において生存するために、肉体の半分近くを人工物に変え肉体と頭脳を著しく強化する》
ということである。
この技術は、トータルネッティングと呼ばれる三次元感覚ネットワークを通じ、人々の感覚や知識を共有化することで、肉体的、精神的、知的な部分を補うことを目的としている。
だが、技術的に生殖器官に負担を掛けたり、人間がトータル化することで精神も中性化することから問題もないわけではなかった。
その技術に異を唱えたのが、“自然派”と呼ばれる人々である。
彼らは容易に肉体を捨てることを好まず、あくまで生まれ持ったポテンシャルを活かして生きてゆこうと決意する者たちである。
たとえ生まれ育った地球よりかなり厳しい環境であっても、
「創意工夫と鍛錬さえあればよし」
として、強制的に政府が行おうとしている“ヒューマンチューニング”に命の限り抵抗したのだ。
そして、その衝突が激化したのが五年前の“ヴェルデムンドの戦乱”と呼ばれるものである。
商材を求めてヴェルデムンドにやって来た正太郎であったが、“自然派“の理念に賛同し抵抗運動に加わった。
そして、成り行きで数多あるゲリラの影の中心人物となり、新政府設立を阻止しようと画策していた過去がある。
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