詩のことⅣ

 最近、詩集『ゆらゆらと』で実験的詩作をしています。

 ルビの可能性を探るというか、ルビによる視覚効果を狙っています。これが結構楽しくて、バランスを取ったりするのは大変なんですが、狙った以上の効果があるようです。


 でも。実は視覚的実験は、苦手だったりします。

 これを読んでいる方はお気づきでしょうが、私は40代後半、間もなく五十路という年齢。更に子供時分から若年寄などと呼ばれたくらいなので、頭のどこかを古い感覚が占めています。

 その古い感覚が、視覚的実験を拒否してしまいます。


 視覚的実験が通用するのは、詩を横書きで読むからだと感じます。

 横書きの利点を最大に生かせる文字の配置、ルビ遣い等が嵌まると、文字だけの世界から解き放たれ、詩は新たな前衛芸術のような世界を確立出来るようにも思えます。

 それを否定する気はありません。

 逆に、面白い試みだと思うし、前向きに実験的詩作をしてもいます。


 実験的詩作をしている中、時代の変化に乗りきれない古い感覚が拗ねます。詩は、縦書きで読むものだったのに、と。

 このギャップが、視覚的実験にだけのめり込もうとしない、良いブレーキになっているのかもしれないですね。


 縦書きにせよ、横書きにせよ。私が書く詩は感情の露出で、文学的ではありませんが。(汗)


 私の詩は、私の内面へと切っ先を向け抉り続ける延長にあります。

 自己陶酔型というのかもしれません。陶酔しているつもりは、全くないのですが。

 自己否定と自己嫌悪から生まれていく言葉は、あまり良いものではないと自覚はしています。

 見苦しい、と言われてしまえば、それまでですが、その見苦しい自分を晒すことから私は何かを見つけたい。

 目を背けたくない。


 視覚的実験を試すのも、いかに醜悪なものを表現するか、という探究心からだったりします。



 


 

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