4-10

 ハルカの「カスケード・シールド」からやりを突きだし、爆発させることで水面へと浮上した。


 水から飛びだした泡が地面で跳ねる。橋のたもとの小さな船着き場だった。桟橋さんばしにシートをかぶせたプレジャーボートがもやってある。


 道路からはすこしくだった地点で、橋に目をやると、がいの群れがこちらを見おろしていた。


 そうは右手に槍を生成した。


「行ってくる」


 そういって泡から一歩踏みだす。「奴らの木馬を奪ってくるから待ってろ」


「運転は私にまかせて」


 泡の中心でハルカがぐっとこぶしを握ってみせる。


「頼もしいな」


 蒼は深呼吸をした。息をするたび、左脇腹が痛む。左腕はあがらない。右目は塞がっている。


 それでもまだ戦える。うしろには彼女がいる。


 パンツのポケットに手を入れる。湖水に沈んだとき落としたものか、薬はもうなかった。


 1体の魔骸が坂道をくだって近づいてきた。あの「犬」と同じ、黒いよろいを身にまとっている。


「あいつ、ちょっと様子が変じゃない?」


 背後でハルカがいう。


 魔骸は蒼の前に立つと、銃を指でつまんで振り、足元に放った。鎧の胸部を赤と青に光らせる。


 蒼は低く身構えた。降伏のジェスチャーはわなかもしれない。数的優位は相手にあるのに、降伏する理由などない。


 たとえ本当に殺意がないのだとしても、その相手を殺すのにためらったりはしない。奴らの所業を思えば当然だ。


 蜥蜴とかげあたまの小さな目を見つめ、攻撃の隙をうかがっていると、ハルカに肩を叩かれた。


「音がする」


?」


 蒼は彼女に倣って空に目をやった。


 東の方で大きなものをひっかくような音がする。空の染みみたいだったものが次第にひろがり、視界をおおう。ヘリコプターが飛来して、橋のたもとに着陸した。


 空にあるときは小さく見えたが、地上にあると大きい。腹が膨れて尾が長くて、魚のようだと蒼は思った。両親を運んだ救急車と同じオリーブグリーンに塗装されている。


 ヘリコプターのドアが開いた。そこに魔骸が集まる。


 ガスマスクの自衛隊員が野次やじうまの魔骸を引きつれて坂をおりてきた。蒼の家に押しいった者たちと同じ服装をしている。


 そのうしろを歩くのは、袖がゆったりとした上着を着た男だった。顔の彫りが深く、髪は赤い。首にコルセットのようなものを巻いている。外国語らしいものをしゃべると、そのコルセットが赤と青に光った。呼応して、蒼の目の前にいる魔骸も胸を光らせる。魔骸は坂をのぼっていき、コルセットの男と向かいあって光と手振りで何やら話しはじめた。


「何あれ、仲間? 蜥蜴だけじゃなかったんだ」


 ハルカが蒼のとなりに立つ。


もいるくらいだからな」


 回転していたヘリのローターが止まる。


 白い防護服を着た者が小走りに自衛隊員を追いこした。ガスマスクだけ黒くて、それを見た蒼はそこに何か不吉なものを感じた。


 自衛隊員も歩調を速め、白い防護服の者と並んでやってくる。ふたりはハルカの前に立った。白い防護服の方が腰を屈め、ハルカの顔をのぞきこむ。


「ハルカちゃん――」


 くぐもった声がする。ハルカは首を伸ばしてガスマスクのレンズに顔を近づけた。


「……たすきさん?」


 男がハルカの肩に手を置く。


「よくがんばったね」


「どうしてここにいるの?」


「きみを迎えに来た。全部終わったんだよ」


 襷木がハルカの体を抱きよせようとする。彼女は突きとばすようにしてそこから逃れた。


ってどういうこと?」


「我々人類とウィラックがはじめて出会い、語りあった。そして今回の事故が通常では考えられない不運の重なったことによるものだという認識を共有することができた。人類もウィラックも、多くのものを失った。だが我々は必ずやこれを乗りこえることができる」


 ハルカが周囲に群がる魔骸を見渡す。


って……あいつらのこと? あいつらは私たちを殺しに来た悪魔だよ」


「それはちがう。彼らは高い知性と進んだ文明を持った人々だ。それに、異なる種族を含む星間連合でもある。いずれ人類もそこに加わるんだ」


 蒼は蜥蜴頭のウィラックとのウィラックが会話しているのを眺めた。自分がそこに加わっている姿など想像したくもない。


 襷木が視線を蒼の右手に移した。


「それがきみの武器?」


 たずねられても蒼は答えない。


「私は衆議院議員の襷木せいです。きみは上原うえはら蒼くんだね?」


 ガスマスク越しにほほえみかけてくる。沙也さやのいっていたように若い。蒼の父と同じくらいだろうか。


 蒼が無言でいると、相手の方でことばをいだ。


「きみのことは知っている。ひとりでよくがんばったね。怪我をしているようだ。さあ、ヘリで東京へ行こう。治療してよく休むといい」


「死んだ人たちは――」


 潰れたような声が口から漏れた。「なんていわれても納得しないだろう。それはあんたらの勝手な言い分だ」


「亡くなった方々のことを思うと、本当にことばがない。政府としては遺族の支援に全力を注いでいく」


 という分類に蒼は含まれている。だが彼はそのように自分を認識していなかった。むしろ死者の側にいると感じる。これからのことなど何も考えられない。


「行こう」


 ハルカが彼の右腕を取った。ひっぱられて、彼は歩きだす。


 襷木と自衛隊員が先導する。魔骸たちが道を空けた。


「帰ったらまずお風呂入りたい。頭かゆいし臭いし」


 ハルカが頭を掻きむしる。腕を引かれながら蒼はそれを眺めた。


「それからごはんを食べる。味噌みそしるも。カップラーメンはもう嫌だ」


 彼女のことばに蒼はうなずく。


「あと自分のベッドで寝る。昨日のベッドはギシギシうるさくて眠れなかった」


「確かにあれはひどかった」


 坂をのぼりきり、ふたりは橋詰はしづめの道路に立った。


 ハルカがふりかえる。


「それから――」


「それから?」


 蒼は彼女を見つめた。


「それから、いろいろだよ」


 彼女は目を細めた。ほおすすがついている。


「いろいろか」


 蒼はうつむいた。


 死者の側についたつもりでいた。だが彼女にかかっては、やすやすと生者の側に引きあげられてしまう。


 これからも彼は死によって足を取られつづけ、ときには深く沈んでしまうだろう。それでも彼女がいる。彼女の導く方向に進んでいけば、きっと生きていける。


 眼下にひろがる湖面がとがめるような鋭さで陽光を反射する。蒼は開く方の目を閉じ、一度こすった。


「離れててくれ」


 そういって彼女の手から脱する。「ヘリに乗るなら槍を消さないと」


 空に向けて右手を伸ばし、と念じる。槍のぜる音が鉄塔とケーブルのあいだに響き、橋を渡っていく。


 まわりはじめたヘリコプターのローターが余韻を掻きみだす。


   ◀▶   ◀▶   ◀▶


 話しつづけたせいでのどれた。


 蒼はソファから立ちあがり、テーブルのピッチャーを手に取った。グラスに水を注ぎ、飲みほす。


 テレビのニュースでは魔骸から提供された映像を流している。


 魔骸の植民星。異常気象。紛争。あてもなく宇宙に飛びだした難民たち。


 魔骸のじょう在菌ざいきん。彼らの体表に鎧のような甲羅を作りだし、赤と青の光を発する。地球の環境では極めて感染力が高く、また人類には有害である。彼らとのファーストコンタクトによっていくばくかの「健康被害」が発生した。


「だから何だっていうんだ」


 大槻おおつきが吐きすてるようにいう。「元の星に住めなくなった? 自分たちには害のない菌だった? だから2万人死んだのはしょうがないって? ふざけるな。僕はそんな理屈で納得できるほど物わかりよくなれないよ」


 蒼は眼鏡をはずし、目をこすった。左目を閉じてみる。右目の視界は白くかすんでほとんど利かない。「犬」の目潰しを食らってすっかり視力が落ちてしまった。


 魔骸との和解。人類もやがて多種族の共同体である「ウィラック」の一員となる。魔骸と人類は、その枠組みの中で同等の存在として扱われる。外から来た病も内に取りこみ、みずからの一部とする。その病に勝てなかった者たちは取りのこされる。


 取りかえしのつかないものを天秤てんびんの左右に載せて人は、どうにか釣りあいを取ろうとする。彼はそれを受けいれたかった。物わかりよくなりたい。


 病室の戸が開かれた。顔なじみの看護師が立っている。


「蒼くん、ハルカちゃんの意識がもどった」


 彼は大槻をうながし、廊下に出た。彼女のことを思っても泣きわめいたりはしない。物わかりよくありたいからだ。


 水族館のような処置室に入る。消毒液の臭いがなぜだかけがらわしい。


 中央のベッドに横たわるハルカは高い天井からの光を浴びてまどろむように目を細めていた。大槻がそばに寄ると、弱々しく手を持ちあげる。


「大槻さん、いろいろありがとね」


「こちらこそ、よくしてくれて本当にありがとう。病気になって入院して、すごく心細かったけど、ハルカちゃんと沙也ちゃんに助けてもらった」


 大槻はベッドのそばに立ち、しばらく彼女の顔を見つめていたが、やがて蒼に目を向けた。


「外に出てるよ」


 そういって処置室を出ていく。自動ドアが閉まると、閉じこめられた機器の音が耳にさわった。


 蒼はベッドのかたわらに立ち、ハルカを見おろした。

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