4-8

 沙也さやの体が痙攣けいれんしはじめた。背中をアスファルトに打ちつけ、跳ねる。その勢いで体が頭を中心に回転していく。足が意志を持っているかのように路面を掻く。


 蒼は彼女にのしかかり、押さえつけた。ものすごい力でねとばされそうになる。近くで爆発音がして、背中に破片が降ってくる。彼は彼女を抱く腕に力をこめた。彼女の震えが心に伝わり、閉じこめていた恐れが外に出ようとしている。彼は歯を食いしばった。


「沙也!」


 うしろから体をひっぱられる。


 ハルカが彼を引きはがして沙也にすがりついた。


「なんでこんな……なんで……」


 鼻血を指で拭ってやり、ほおを撫でる。沙也はうつろな表情のままだ。


 れんの木馬がそばに停まる。そこから降りようとする彼女を蒼は手で制した。


「待て! そのまま乗ってろ!」


 彼はハルカの肩をつかみ、自分の方を向かせた。


「いまからこいつをあの木馬に乗せる。俺とおまえの2人でやる。いいな?」


 ハルカはあふれる涙を拭いながらうなずく。彼女のほおに沙也の血がつく。それを取ってやろうとして蒼は手を出しかけ、ひっこめた。


「行くぞ」


 沙也のりょうわきに手を差しいれ、ハルカには脚を持たせる。合図して持ちあげ、大型木馬の座席に乗せた。


「シートベルトみたいのあるよ」


 花蓮が指差す帯状のものを結び、沙也の体を固定する。


「よし、行け!」


 木馬の尻を蹴って合図する。花蓮がそろそろと発進し、やがて加速して国道をまっすぐに駆けていく。


「わたしたちも行こう」


 ハルカの乗ってきた木馬にふたりで乗る。ハルカがハンドルを握り、蒼は彼女の腰をつかんだ。


「しっかりつかまってて」


「わかった」


 木馬が急発進したので、彼はあわててハルカの背中にしがみついた。


 ブレザーの背中がちくちくと頬を刺激する。間に挟まる長い髪の毛はすこしべたつく。


 沿道で爆発があった。家が1軒、跡形もなく四散する。


 破片が降ってきて蒼の顔や肩に当たった。


いたっ」


 ハルカが頭をさする。


 風景が後方に流れていく。道路が爆発し、火山の火口みたいに噴石を飛ばすが、それも流れていく。魔骸の爆弾攻撃を完全に振りきったようだ。


 津久見つくみ湖駅前の交差点を通過する。富士谷ふじや駅、この津久見湖駅と来て、次がたか駅だ。電車なら山を穿うがつトンネルがあるのでまっすぐだが、国道は山をかいしてとうげを越えなくてはならない。


「このまま道なりに行け。くねくねしたのぼりを抜ければ横山台よこやまだい市だ」


 ハルカの返事はない。蒼はふりかえろうとして、風になびくピンクの髪に視界を塞がれた。毛先が蒼の顔に当たり、引っかかれたような感触を残す。


「沙也だいじょうぶかな」


 彼女が風にまぎれるほど小さな声でつぶやく。


「向こう着いてすぐ医者にせればだいじょうぶだろ」


 そのことばは単なる気休めではなかった。出血の具合から見て厳しいだろうと思いつつも、心のどこかで山を越えれば助かるのではないかと希望を持っている。あれだけ自分の町にしつしていたのに、いまでは東京のことをどんな夢もかなう場所であるかのように思っている。


 それでも――蒼は空に浮かぶ魔骸の円盤を見あげた――あれは消えてくれそうもない。魔骸がいる限り、世界はもとどおりでいられないだろう。


「犬」のいっていたは成功するだろうか。物別れに終われば、戦争だろう。人類と蜥蜴とかげあたまの宇宙人が殺しあう。


 彼はこれ以上戦いたくはなかった。地球を守るなんてことは自分の手に余る。それに、もう疲れてしまった。熱はさがらないし、歩きつづけて飛びまわって膝も足首も痛いし、全身傷だらけで、頭はかゆい。


 この先は他にまかせる。大きなものを背負って戦うのにもっと向いている者がいるはずだ。


「ねえ――」


 ハルカが声をあげた。「何か聞こえる」


 彼女はふりかえり、顔にまとわりつく髪を払いのけた。


って何だよ」


「キーンって。いま乗ってるこれみたいな音」


 蒼は来た道に目をらした。木馬の姿はない。


「何もいないぞ」


 そういったあとで違和感に気づく。「いや……聞こえる」


 はっとして空を見あげた。羽ばたきも旋回もしない影が飛んでいるのが見える。


「あの『犬』だ。追ってきやがった」


 7、8mほどの高度を「犬」は一直線に飛んでくる。音が次第に大きく耳障みみざわりになる。木馬よりもかなり速い。


「犬」の持つほこの先が三叉みつまたに分かれているのもはっきり見える距離になった。そこからは詰めてこない。攻撃の隙をうかがっているのか。


 蒼は座席の左右にあるタラップに足を乗せた。投げやりを生成し、「犬」めがけて投げつける。「犬」が横にスライドしてかわす瞬間に爆発させるが、すこし遠すぎた。


 この攻撃パターンは相手の仲間を倒したときに一度見られている。もう読まれてしまっているだろう。


「ランセット」を生成する。遠距離が駄目なら近距離でやる。襲いかかってきたところにカウンターを食らわせる。


 身構えていたが、敵は来ない。すこしの間、上から蒼を観察していたが、やがて速度をあげ、頭上を越えていく。


「まわりこんで待ち伏せする気?」


 ハルカが髪を押さえながら上空の「犬」に視線をやる。


「いや、ちがう――」


 蒼は前を向いて座りなおした。「前の2人を襲う気だ」


「飛ばすよ!」


 木馬が加速し、ハルカの髪が蒼の顔を強く打つ。彼は「ランセット」のない左手で彼女のブレザーをつかみなおした。


「このスピードでカーブ曲がれるのか?」


「何とかする!」


 さらに加速して、体がうしろにひっぱられる。蒼は右手の「ランセット」を消し、ハルカの体にしがみついた。顔が彼女の髪に埋まる。彼女の匂いに包まれる。


 風に舞う髪の隙間から赤と白のコンクリートブロックが見えた。国道から道が分かれ、大きくカーブして国道の上をとおる立体交差となる。


 蒼は舌打ちした。あの道を行けばよかった。その存在をすっかり忘れていた。高速道路に通じる道だ。峠道の九十九つづら折りなんかより高速でまっすぐ行った方が早く着けた。


 だが「犬」の動きを見る限り、花蓮は国道をそのまま進んでいるようだ。ならば追いかけるしかない。


「やばいやばいやばい!」


 ハルカが叫ぶ。


 道が右にカーブしていく。ガードレールが迫ってくる。彼女が体をカーブの内側に傾けハンドルを切っても、加速のついた木馬は曲がりきれず外に膨らんでいく。


 タラップがガードレールにこすれ、火花が散った。


 蒼は左手に「ランセット」を生成し、ガードレールに突きたてた。爆発させると反動で木馬が浮きあがる。


「おおっ、飛んだぁ!」


 ハルカが悲鳴をあげる。木馬は道路の中央にふくし、走りだした。


「うわ~、事故るかと思った」


「それはこっちの台詞せりふだ」


 蒼は先程の接触でめくれあがったタラップを見おろした。


「いた! あそこ!」


 ハルカが叫ぶ。前方を行く花蓮の木馬が見えた。


 上空には「犬」の姿がある。


「上! 敵が来てる!」


 ハルカが呼びかけると、花蓮はふりかえり、空を見あげた。


「犬」が一度体を起こし、それから頭を下に向けて急降下をはじめる。


 蒼はハルカの肩をつかみ、座席の上に立った。


「ブレーキだ! ブレーキかけろ!」


 花蓮の乗る木馬がぐっと膨れあがったように見えた。急減速した彼女との距離が一気に縮まる。彼女に上から襲いかかろうとした「犬」は、路面をかすめてV字状に上昇していった。


 ハルカがスピードをあげて花蓮に並ぶ。


「沙也はだいじょうぶ?」


「たぶんね」


 花蓮は座席の上に横たわる沙也を見た。「意識はもどってないけど」


 蒼は上空で旋回する「犬」を目で追った。


「あいつ意外と小回り利かないみたいだな」


「このままかわしていけば逃げきれそうじゃない?」


 ハルカが背後にまわろうとする「犬」を見あげ、蒼と目を合わせた。


「この先はカーブの連続だ。今度はこっちが小回り利かなくなる」


「わたしのドライブテクがあれば行けるよ」


 そういってハルカは正面に向きなおった。


ねえ……」


 接触でゆがんだタラップに花蓮が目をやり、顔をしかめる。


「犬」が花蓮の横にまわる。国道の左側にはコンクリートで固められた斜面があって、その上を飛んでいた。


 花蓮とハルカは目を見合わせた。


「また急ブレーキ?」


「私が合図するよ」


「いや――」


 蒼は「犬」を見あげた。「俺がやる」


「あんたが合図するの?」


「そうじゃない」


 立ったまま右手に「ランセット」を生成する。ハルカが彼を見あげる。風になびく髪が目にかかり、彼女は手でそれを払った。


 蒼は彼女を見おろした。見ていると、早朝、彼女を抱きしめたときの感触が肌に蘇ってくる。あの瞬間、はっきりと自分は生きていた。それと引きかえに死すべき運命を受けいれてしまうほどに鮮烈な記憶だった。


「おまえのいうとおりだ。俺は殺す側にいる。殺すためにこの力はある」


「犬」がこちらに矛を向け、急降下してくる。


 蒼はとなりの木馬に飛びうつった。花蓮と沙也の間の座席を踏み、その向こうに身をおどらせる。地面に「ランセット」を突きたて、爆発させると、体が浮きあがる。


 降下してきた「犬」と正面からぶつかった。弾きとばされないよう、しがみつく。金属の管に触れたのでそれをつかんだ。


「犬」が垂直に上昇していく。急な加速で振りおとされそうになる。蒼は片手一本でぶらさがるかっこうになった。右手がつかんでいるのは「犬」の背中にある飛行装置らしきものの一部だ。


「放せ!」


「犬」が叫び、蒼の胸を足で押す。彼は下に目をやった。先程までいた国道が細い線となり、湖は水溜まりほどの大きさになっている。それらを囲む山々が地図で見た形をしている。はるか下を1羽の鳥が舞う。

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