4-7
「行こう」
遠くに
先はまだ長い。歩を速める。右手がひらけて湖面が見える。朝の
背後で大きな音がして、彼はふりかえった。空気が震え、地面が揺れる。
川岸にある林の向こうに黒煙が立ちのぼる。うねりうごめく様はまるで
誰も何もいわず走りだす。
「何か来る! すごいスピード!」
空飛ぶ木馬に乗った
「道から出ろ! 身を隠せ!」
蒼は駆けだした。背後の音がぐんぐん迫ってくる。
民家の庭先に彼は飛びこんだ。
魔骸の光線が塀や
「私たちでやろう」
道の反対側ではハルカと花蓮がしゃがみこんでいる。
「泡を出して身を守れ」
そう指示しておいて、右手に「ランセット」を生成する。
魔骸がUターンして向かってくる。数は10体強。それぞれ1人乗りの木馬に
「ねえ、私も空飛ぶやつやりたい」
沙也がいうので蒼は彼女の防護服をつかんだ。彼女は大剣を持たぬ方の手で蒼の体にしがみつく。
「行くぞ」
「ランセット」を地面に深く突きたて、爆発させる。弾けとぶ土くれを追いこして体
が浮きあがる。
「うおお、こんなに高く飛ぶのか」
沙也は蒼の腰にまわした手に力をこめる。そばにある2階建ての家より高いところまでふたりは飛びあがっていた。
眼下の国道を魔骸たちが行きすぎようとしている。
「ちょっと高く飛びすぎた」
「マジか」
蒼は天に向けて腕を伸ばした。「ランセット」を生成し、消しとばす。爆風に押され、ふたりは急降下した。
「うおっしゃあああーッ!」
沙也が蒼の体から離れ、大剣を振りおろす。そこへ走ってきた魔骸と木馬を叩き
隊列の中央に穴を開けられた魔骸たちは木馬を停め、散開しようとした。そこに沙也が飛びかかる。腕を伸ばし、
1体の魔骸がこちらに背を向け、逃げようとする。蒼は「ランセット」の爆風で
敵の戦力をすこしでも
道の上に危険はなくなったので、花蓮とハルカが出てくる。
「ねえ――」
花蓮が木馬の残骸を蹴とばす。「これ乗ってけば逃げきれるんじゃない?」
「私もそう思ってた。どうして壊したの?」
ハルカが腕を組み、沙也をにらみつける。沙也は蒼の方にふりかえり、腕をひろげた。
「なんで私がやらかしたみたいになってんの?」
蒼は彼女の顔を指差した。
「おい……それだいじょうぶか?」
彼女の着けているマスクにどす黒い血がじっとり染みている。
「鼻血止まんないんだよ。息が苦しい」
沙也は顔からマスクを引っぺがし、捨てた。地面に落ちてべしゃっと音がする。
「体調は?」
「悪くない。右手の感覚がないこと以外は」
防護服のジッパーを引きおろして煙草を取りだす。「マスクないと煙草吸えていいね」
口にくわえて火を
左右に分かれて歩道を行く。
車道の向こう側にいる花蓮が手を振り、来た道を指す。追手がまた現れたようだ。
蒼は前を行く沙也の肩を叩いて追いぬいた。走って彼女たちと距離を取る。
木馬の駆動音が近づいてくる。彼は車道に出た。
敵の数は先程の倍くらいだった。彼から離れたところに木馬を停める。投げ槍では届かない距離だ。20mほどある。接近戦は不利だと学習したのだろう。
以前見た大型の木馬がある。魔骸が3体乗れるものだ。その座席の上に三脚が置かれ、銃が取りつけられた。
蒼は「ランセット」を路面に突き刺し、爆風で飛びあがった。2階建ての家の屋根に乗る。
魔骸の銃が火を噴く。蒼は屋根の一番高いところを乗りこえ、身を伏せた。瓦のリズミカルに砕ける音が聞こえる。
ぽんと、シャンパンの栓を抜いたような音がした。何かが飛んでくる。蒼は屋根に「ランセット」を突きたて、宙を舞った。となりの家の屋根に着地する。さっきまでいたところが奇妙に
細かい破片が飛んできて、蒼は手を顔の前にかざした。魔骸の爆弾だ。前にも見たことがある。投げるには遠すぎるから、何らかの道具を使って飛ばしてきたものらしい。
敵の光弾が屋根を焼く。蒼は飛んだ。車道の中央におりたち、また飛んで反対側の屋根に移る。相手の視線を上下左右に振り、狙いを定めさせない。
攻撃がやむ。見ると敵は隊列を乱している。
沙也が横合いから突撃して、魔骸たちは大混乱に
その退路を蒼は断った。魔骸の群れを一気に飛びこえ、正面に立つ。向かってくるところに斬りつけ、突き刺す。
1体、光る棒で打ちかかって来るものがいる。蒼は予備動作もなしに左手を突きだした。同時に「ランセット」を生成し、腹に突きたてる。相手は苦しみにうめき、上体を屈する。その
消えろと念じ、吹きとばすと、その向こうには沙也がいた。
彼女はちょうど魔骸の首を斬りとばしたところだった。大剣の
何かが飛んできて顔に当たった。触れてみると濡れている。
「あっ、ごめん……」
沙也が駆けよってきた。「だいじょうぶ? すぐ拭きとって」
「何なんだこれ」
蒼は手についた液体を見つめた。透明ですこしねばねばしている。
「私の『セプティック・デス』から出る毒だよ。触ると痛いっていうか、熱いでしょ? 早く拭かないと私みたいに
「これが? 何ともないけど……」
手にも顔にも違和感はなかった。むしろ返り血を浴びた部分の方が乾くにつれて肌が引きつれ、気持ち悪い。
「えっ……?」
沙也は剣を掲げ、日光に
花蓮とハルカが家の陰から出てきて、それぞれ木馬に飛びのった。
「これどうやって動かすんだ?」
大きな木馬の座席に腰かけた花蓮がハンドルのあたりをいじる。
「ペダルとか?」
1人乗りのものに跨ったハルカが足をぶらぶらさせる。「でもこれ大きすぎて届かないな」
どちらの木馬も宙に浮いてはいるが、前に進む気配はない。
「バイクみたいにハンドルのとこまわすんじゃないのか」
蒼は顔の毒を
「わかった! これだ!」
花蓮がハルカに声をかける。「ハンドルの横にある液晶みたいなやつ。これにタッチすればいいんじゃない?」
「え? これ?」
ハルカがハンドルに顔を近づける。次の瞬間、悲鳴とも歓声ともつかぬ叫びを残して彼女は前方にすっとんでいった。花蓮の大型木馬も急発進して彼女を追っていく。
ふたりの巻きあげた
「私苦手だわ~、ああいう守られてないタイプの乗り物」
背後で沙也がぼやいている。
「俺は好きだな。スピードを感じられていい」
蒼はふりかえった。沙也がそばにある木馬の座席に手を置き、笑う。
「
「それ悪口か?」
「かもね」
彼女は薄い笑みを浮かべる。「でも私のはもっとひどい。
「そんなことないだろ」
蒼はふりかえり、ハルカと花蓮が走りさった方を見やった。
「これで終わりかあ」
沙也がぽつりという。
「終わりって何が?」
「戦いが」
彼女は蒼を見つめた。「あれに乗ったらもう逃げきれちゃいそうじゃん」
「逃げきれたらそれでいいだろ」
「でも、もうすこしこうしていたかったなって。日常にもどったってつまんないもん。ハラハラするような冒険もないし、同じ力を持った仲間もいない」
「その代わり命の危険はない」
「危険はあった方がいいよ。だらだらと退屈な毎日をすごすより」
「どうかしてる」
蒼がいうと沙也は笑った。
「上原くんはこのあとどうすんの? どこに住む?」
「さあ」
「
彼女はまぶしそうな、泣きだしそうな笑顔を蒼に向けた。「私と上原くんはいいコンビだったから」
「ああ」
彼は周囲に転がる魔骸の死体を見渡した。
まっすぐな道の先、ハルカたちの操縦する木馬がUターンし、その航跡が交差する。遠くには
周囲の光景はあくまでのどかだ。危険だとか自殺なんてことばは縁遠いものに感じられる。
そののどかさを
蒼はすばやく身を低くした。頭上から
「何これ! どうなってんの!」
沙也が声をあげる。
ふりかえると、遠くで家が1軒消滅していた。地面が大きくえぐれ、基礎も壁も屋根も何ひとつ残っていない。道路に木片やコンクリート片が散乱している。細かい砂粒がなおも降りつづく。
蒼は、さっきの爆弾だろうかと考えた。だが瓦屋根を吹きとばしたものとは威力がちがいすぎる。周囲に目を走らせる。敵の影はない。
気配を感じて蒼は空を見あげた。妙な音がする。何かが風を切る音だ。
「伏せろ!」
彼は叫んだ。
どんと地響きがして、路面のアスファルトが裂けた。黒い土が血のように噴きあがる。爆風が顔にきつく吹きつける。さっき破壊した木馬の破片が四散する。
石が降ってくる。蒼は手で顔を覆った。沙也は大剣を頭上にかざす。
「逃げるぞ」
「うん」
衝撃に背中を突きとばされ、体が浮きあがったように感じた。肩越しに背後を見ると、暗かった。巻きあげられた土で日光が
「避けろ!」
「えっ?」
彼女がうしろに目をやる。「あっ、やば――」
木馬は彼女の体をかすめただけだった。勢いはまったく死なず、地面にぶつかって跳ね、何度かバウンドして最後は電柱に激突して止まった。
ちょっとかすめただけだったのに、沙也は動かなくなった。寝返りの途中で気がかわったような、妙にねじれた姿勢でいる。
「おい……だいじょうぶか?」
駆けよった蒼は血を踏んだ。黒い血が路面に重たくひろがっている。その中心に沙也の頭があった。
彼女の目は開いているが、のぞきこむ蒼に反応はしない。空の、目に痛いほどの青にまばたきもしなかった。鼻血が
地面に転がる大剣が砂と化し、風に舞った。
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