4-5

 デンタルミラーで外をのぞくと、敵の影はなかった。


 そうは一度後続の者たちに目をやってから戸をくぐった。診療所の外はいつもとかわりない。正面に駐車場。左手にトンネル。右手に踏切。空が白みはじめている。風が冷たい。


 敵の影はないが、すぐそばにいるのを感じる。いつもとかわらぬ光景は、いつもと同じではない。病原菌のような見えない脅威におかされている。


 彼は右手に生成した「ランセット」で地面を掻いた。空いた左手でバックパックのストラップをつかむ。自分の力で敵中に血路を開かなければならない。


 耳の端でずっと捉えていた音が次第に大きくなる。彼は空を見あげた。彼の頭上を旋回した黒い影が直立姿勢でホバリングし、下降してくる。黒いよろい三叉みつまたほこ、前部が長いヘルメット――あの「わに」だ。


 それは彼の前に降り立った。同一平面上に立ってみると、背丈は彼とかわりなかった。距離はおよそ3m。「ランセット」で飛びこめる範囲内だ。そして敵の矛の届く距離でもある。


「我々の同胞どうほうはどこだ」


「鰐」がいう。ヘルメット越しにしてはクリアな声だ。スピーカーから発しているのだろう。


 蒼は診療所の方に手で合図をした。仲間たちが建物から出てくる。先頭の沙也さやは人質のがいに大剣を突きつけてしゃがませている。


「あっ、やっぱりあの『犬』だ」


 ハルカがいうと、沙也はふりかえった。


? あれカタチ的に鰐じゃね?」


「えー、犬でしょ」


 ハルカのいう「犬」が胸部を赤と青に光らせた。こちらの手にある魔骸の胸でも光が明滅する。はっとして蒼はそれを指差した。


「そいつうしろ向かせろ」


 れんが魔骸の腕を叩いてふりむかせる。ひもで縛られた手がこちらを向く。


 蒼は「犬」をにらみつけた。


「勝手にやりとりするな。こっちのいってることはわかるよな?」


「犬」はわずかにあごをあげた。


「我々は翻訳プログラムを使用している」


 女の声に聞こえるのはプログラムの音声らしい。抑揚よくようがなく、感情が読みとれない。


 蒼は「ランセット」の先で空中に小さな円を描いた。目の前のこいつを殺せるだろうかと考える。ことばを発しない蜥蜴とかげどもなら殺しても心は痛まないが、会話のできる相手ならばどうか。命乞いされたら、とどめをためらってしまうのではないか。


「犬」が一歩進みでる。不意を突かれて蒼は身構えた。


「我々はウィラックという。遠い星からやってきた」


 蒼はの全身を観察した。金属の鎧は表面にツヤ消しの加工が施され、朝の光を鈍く帯びている。ヘルメットに浮かぶ幾何きかがく模様が絶えず動く。目も耳もないが、こちらの姿を捉え、こちらの声を聞いている。


「ほら、やっぱUFOだったんだ」


「プルちゃんにはUFOの定義から説明しなきゃ駄目みたいだな」


 ハルカと沙也がしゃべっている。


 蒼は「ランセット」の先を「犬」に向けた。


「それでウィラックさんよ、あんたの――」


「それはちがう。ウィラックとは我々の総称だ。私の名前はメイム。メイム・カラ・ヤント」


「ご丁寧ていねいにどうも」


「きみの名前も教えてくれ」


「断る」


 蒼がいうと、「犬」は手を差しだした。


「それでは話の続きを」


「仲間はどこだ。俺たちを囲んでるんだろ?」


「犬」が周囲に顔を向ける。蒼も相手の動きに警戒しつつそちらを見た。魔骸が次々に姿を現す。建物の陰から、林の中から、トンネルの上から――見慣れた町の光景がぎょうのものたちで埋めつくされる。無数の銃口がこちらを向く。


「さて、今度は我々の話だが――」


「犬」は動揺する蒼に構わず続ける。「同胞を解放しろ」


「断る」


 蒼はかぶりを振る。


「もし解放するならば、きみたちの安全は保障する」


「信用できない」


「きみたちの目的は何だ」


「東へ行く。その間、俺たちを攻撃すれば、あの人質は死ぬことになる」


「東とはトーキョーのことか?」


「よく知ってんな」


「いま我々の使節団がそこに行っている。きみたちの政府と話しあいをしている」


……? 何の話しあいだ」


「きみたちが殺した我々の同胞の話だ」


 空気の張りつめるのがわかった。ヘルメットの向こうでおそらく「犬」は彼らなりの怒りの表情を浮かべている。


 蒼はかえってあごをあげ、胸を張り、相手をにらみつけた。


「確かに俺はおまえの仲間を何匹も殺したよ。数えきれないくらいな。だけどおまえらもたくさん殺した。病気をき散らして、町の人を――俺の親や友達を殺したじゃねえか。おまえらは殺されても文句はいえないだろ」


「病気については我々も聞きおよんでいる」


「犬」の声は抑揚よくようがないままだ。「だがその原因は我々にもわからない」


「とぼけんじゃねえよ!」


 診療所の方から怒鳴り声がした。見ると花蓮が「犬」を指差している。


「タイミング的におまえらしかありえねえんだよ!」


「この世を滅ぼそうとする悪魔だってわかってるんだからね」


「どうせ生物兵器でも使ったんでしょ」


 ハルカと沙也も口をそろえて「犬」をののしる。


「犬」は彼女たちの方を向いた。


「そんなことはない。この星に最初にやってきた我々の同胞は、この星の人間に危害を加えようという意図を持たない。彼らは生物兵器など持っているはずがない。彼らは難民だ」


「何……?」


 蒼は「犬」の顔を見つめた。相手のヘルメットには感情を読みとるための取っかかりとなるものが何もない。


「彼らは植民星の異常気象から逃れてきた。その途中で船が故障し、この星に不時着したのだ」


「犬」が矛を握る手に力をこめ、またゆるめる。


 蒼は山奥でのことを思いだした――ざわが「となりの山に木の倒れた跡がある」といっていた。あれが不時着の痕跡だろうか。


 殺した魔骸のことを考える――単発の銃を持った連中。小人数で町を偵察していた。山道に警報装置を仕掛けていた。山奥にテントを張って暮らしていた。今朝、診療所を襲った奴らや、いま自分たちを囲んでいる奴らとはちがう。


 蒼の殺した者たちは生きのびようとしていた。住人のいなくなった町に最後まで残ることを願った彼と同じだった。


 彼はウインドシェルのジッパーをおろした。自分の体から立のぼる血の臭いで息が詰まる。右手の「ランセット」が重い。


「そんなこといわれたって信じられるわけないじゃん」


 花蓮のことばに「犬」がふりむいた。


「近く、きみたちの政府から発表があるだろう」


 ハルカと沙也が顔を見あわせる。


「難民だったら助けてあげなきゃ駄目じゃない?」


「それより病気の件どうなった」


 蒼は彼女たちを遠く感じた。彼女たちは怒りや憎しみにきうごかされているわけではない。蒼のようにはらの底から、血の一滴一滴からいてくる殺意を経験していない。


 彼にはそれがあるから心鈍らず敵を何匹でも殺せたし、殺されるかもしれないという恐怖に目をつぶっていられた。


 だが彼女たちはちがう。誰かにいわれてここに来た。その点では蒼よりも劣っていて、またあわれでもある。


「あいつら――」


 蒼は左手で彼女たちを指した。「政府の奴にいわれて来たんだ。おまえらの仲間を生け捕りにしてこいって。だからあいつらに責任はない。政府と話をしてるっていうなら、問いあわせてみてくれ」


「犬」が顔の横にてのひらを当てる。


「そのような部隊について、きみたちの政府は関知しないといっている」


 それを聞いて診療所前の者たちが騒ぎだす。


「は? 何それ」


たすきさんって人にもう一度きいてみて」


「やっぱあの人信用しちゃ駄目だわ」


 戦いはもう蒼の手から離れてしまった。政府だとか星だとか、もっと大きなものがこれからはそれをになうことになる。命のやりとりから解放されたよろこびも、魔骸を皆殺しにするという夢が断たれた悲しみもない。たとえば、冬の日溜まりに座りその暖かさを自分だけの貴重なものと感じていても、やがて春になればその暖かさは等しくみなに分けあたえられる。それと同じで蒼にはただ時が過ぎただけのこととしか思えなかった。


 大きなものたちに戦いの行方はゆだねられ、彼の手にはしょうなものだけが残った。誰も目を留めない小さな町に取りのこされた命――いま彼が守るべきものはそれだけだ。


「すこし相談したい」


 仲間たちを指したまま彼はいった。


「わかった」


「犬」が矛を地面に突く。


 蒼は相手から目を離さずに診療所まであとずさりした。


 仲間たちは明らかに意気消沈していた。とらわれの身である魔骸の方がかえって落ちついて見える。


「こいつ、あいつらのとこに返さないか?」


 蒼がいうと、みな一様にうつむく。襷木とかいう者に見捨てられたのがこたえているのだろう。


 人にいわれてやるからこうなる。ひとりではじめた自分とはちがう。


「偉そうにしやがって」といった由一ゆういちはこうした思いを見透みすかしていたのだろうか。


「こいつを東京まで連れていっても、向こうで『連れてこいなんていってない』ってはしはずされたら誰も守ってくれない。俺は向こうにいる奴らを信用できない。信用できないところへ苦労して進んでいくより、いま目の前にいる信用できない奴らと交渉する方がマシだ。やばいことになるなら早い方がいい。あとになればなるほど取りかえしがつかなくなる」


 一息にいって蒼は熱剤ねつざいをかじり、水筒の水を飲んだ。


 花蓮が顔をくしゃくしゃにしている。


「なんでなの……なんで私たちがこんな目にわなきゃなんないの。悪いのはあいつらで、私たちのやってることは正しいのに」


「正しき者は死後かならず神様のお引きたてをいただけるからね」


 ハルカが彼女の肩に手を置く。「現世のことに心を囚われていては駄目」


「結果わかっててガチャまわしてる人は余裕あるねえ」


 沙也が防護服のジッパーをおろして煙草を取りだす。マスクをずらし、1本くわえて火をけながら蒼の方を見た。


「死後の世界がどうとかいうのとくらべて、上原うえはらくんは現実的でいいね。人間としてはおもしろみがないけど」


「悪かったな」


 蒼がいうと沙也は煙を細かく吐きながら笑った。由一はそっぽを向いている。


「何か意見は?」


 蒼がきいても答えない。


 他の者も異論はないようなので、彼は「犬」に呼びかけた。


「人質を解放してもいいが、ひとつ条件がある」


「何だ」


「犬」も声を張りあげる。翻訳プログラムとやらは声の大きさも自動で調節してくれ

るようだ。


「俺たちを東京まで運べ。歩けない奴がいる」


「いいだろう」


「犬」がまた顔の横に手を当てる。


 蒼は人質の手を縛る紐に「ランセット」を当て、断ち切った。


「行け」


 そういって背中を押す。魔骸は起きあがり、一度こちらをふりかえってからゆっくりと歩きだした。


「うちら、あれに乗れるのかね」


 沙也が空中の巨大な円盤を指す。


「さあな」


「東京もどったら襷木のおっさんに文句いおう。タクシーくらい寄越せって」


 蒼は彼女に合図して立ち位置を交換した。空いた左手で彼女の防護服をつかむ。


「もし奴らが妙な動きをしたら槍の爆風でつっこむぞ」


「あれ怖いんだよなあ、音が」


 近づいていく魔骸を仲間の魔骸が迎えるべく集まる。そのまわりに待機するものたちは蒼の側に銃口を向けている。


「ちょっと何してんの!」


 背後で花蓮のとがった声がした。蒼はふりかえった。


 由一の血走った目が正面に見えた。弓が固く引き絞られている――「ナイトロ・エアリアル」。つがえられた矢の先端が蒼の方を向き、小刻みに震えていた。


 彼はとっさにしゃがみこんだ。


「うおっ、何だ!」


 襟をつかんでいたために沙也の体をひっぱってしまう。


 頭上の空気が切り裂かれた。


 視界の端で何かがちらつく。


 火だ。


 仲間のもとに向かう魔骸の体が燃えあがっていた。天を突く赤い炎の黒いしんと化し、地面に崩れおちる。手と足をばたつかせ転げまわるその様は早送りの映像を見ているようだった。悲鳴なのか、たんを切るような音が長く伸びてあたりに響きわたる。


 鎧の胸を光らせながら「犬」が炎上する魔骸に駆けよった。他の魔骸たちはあの透明な布をひろげ、火に叩きつけて消そうとする。


 その熱を蒼は顔の皮膚に感じた気がした。


「何てことするの……」


 背後でハルカの声がする。


 彼女は隣に立つ由一を見つめていた。彼女の表情は、怒るでもなく悲しむでもなく、さげすむようでいてゆるすような、蒼がいままで誰の上にも見たことのないものだった。


 由一の表情もまた奇妙だった。口元には引きつったような笑いを浮かべているが、目には何の色もない。


「俺に指図すんじゃねえ……俺に指図すんじゃねえ……クソが……偉そうにしやがって……」


 炎を見つめ、ぶつぶつつぶやいている。


「うわ、やっべえ……どうすんだこれ」


 沙也が剣を地面に突き、起きあがる。


 詰めかけた魔骸で診療所前の道が埋まる。火を消そうとしているもの以外は蒼たちに銃を向けているが、撃つことはしない。この場の長である「犬」の指示を待っているようだ。


 行くならいましかない。人質がいなくなった以上、ここに留まるという選択肢はない。


 蒼は仲間たちの方をふりかえった。


「荷物捨てるぞ」


 自分も肩を揺すってバックパックを地面に落とす。空いている左手に投げ槍を生成する。


「走れ!」


 蒼は号令とともに槍を投じた。

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