4-4

 そうは廊下に出て、戸に背を向け走った。


 前方からガラスの割れる音が聞こえてきた。右腕に「ブラッドレット・ランセット」を生成し、部屋におどりこむ。


 カーテンが炎に包まれている。そばにあるベッドにも燃えうつり、白い煙が部屋に立ちこめる。


 正面にいる沙也さやと目が合った。大剣を手に、ベッドの陰に身を隠している。


「あいつら窓から入ってくる。おお和田わだくんが食いとめてくれてる」


 窓の反対側にある壁際ではハルカが「カスケード・シールド」を展開している。その内部には捕まえたがいれんもいた。


 泡のうしろから由一ゆういちが矢を放つ。「ナイトロ・エアリアル」の炎がバリケードとなって敵の侵入を許さない。


「おい、玄関の方どうなってる」


 彼が蒼に向けて怒鳴る。


「一応足止めはしたが、たぶんまた来るぞ」


「よし、俺がやる」


 由一は足を引きずりながら蒼のそばまで来た。座りこみ、廊下の方に矢を放つ。炎の壁で入り口のドアが見えなくなる。


「あの魔骸を捕虜にしておいたおかげで助かった。爆弾放りこむみたいな無茶してこなかったからな」


「ねえ、敵の攻撃終わったっぽくない?」


 沙也が剣の切先きっさきを床に突いて立ちあがった。


 蒼は花蓮の方を向いた。


「まわりに敵はいるか?」


「カスケード・シールド」の中で花蓮がてのひらを上に向けた。指の先で「プローブ」の針が回転する。


「敵だらけだよ。数えきれない。完全に囲まれてる」


 蒼は窓の外を見た。庭の木が炎上している。魔骸の影はない。


 まさかこのまま引きさがるわけでもあるまい。敵の次なる一手は何か。


 ふと、先ほどのことを思いだした。ハルカといたとき――屋根の上を歩く足音。


 蒼は天井を見あげた。何かが動いている。複数の足音がする。


「上から来るぞ!」


 天井が崩落した。魔骸が2体降ってくる。1体は床に着地し、もう1体は沙也の隠れていたベッドの上に落ちた。重みを支えきれずにベッドがひしゃげる。


「うおらああああッ!」


 沙也が大剣を振りかぶり、ベッドの魔骸に叩きつける。魔骸は腕も胴体も手にしていた銃もぶったぎられて床に転がった。もう1体が彼女に銃を向ける。だが彼女の方が速い。真っ向からの面打ちに床までりさげられて魔骸の体はまっぷたつに裂けた。


「こいつらヤワいね~」


 沙也は笑う。彼女の鼻から一条ひとすじ血が垂れた。


 蒼は上を見る。足音はまだやまない。


 また天井が爆破される。コンクリート片が降ってきて沙也が頭を抱えた。


 魔骸が2体、今度はハルカたちのそばに飛びおりてくる。


 1体が低い姿勢のまま蒼に銃を向ける。


 彼は「ランセット」を床に突きたてた。爆発させると体が浮きあがる。魔骸を飛びこえ、奴らの空けた穴のへりにつかまる。眼下の敵は彼の動きについてこられない。


 自由な手に「ランセット」を生成し、飛びおりる。魔骸の肩口に突き刺しながら爆発させると、滝のように血を吹きだし、肉が砕け散った。


 となりにいた魔骸が銃を構えようとする。それを蒼は新たな「ランセット」でぎはらった。両腕が切断される。彼は身をよじる魔骸に飛びつき、首を掻いた。骨を断ち、あとは手でじ切る。断面からどっとあふれる血が「カスケード・シールド」にかかり、中のハルカが嫌な顔をした。


 蒼は刈りとった首を天井の穴から外に放りなげた。魔骸どもへのメッセージだ――ここに入ってくるものはみな死ぬ。覚悟して来い。


 泡の中のハルカと目が合う。その瞳にあわれむような色が浮かんでいることに気づく。彼女のいうとおり、彼女は守る側で、蒼は殺す側だ。「ランセット」を爆発させる。中から血に汚れていない手が現れる。


「今度こそやんだかな」


 沙也がベッドをまわりこんでやってくる。床に溜まる血を踏んだか、足を滑らせ、尻餅をついた。助けに行こうとした蒼も滑って、ベッドにつかまる。目が合うと可笑おかしくなって笑ってしまう。


「だいじょうぶか?」


 彼は手を差しだした。沙也はその手を取ろうとしてためらう。


「触んない方がいい」


「どうして」


「『セプティック・デス』の毒が手についちゃった。防護服を着る暇なかったから」


 見ると、彼女の手は赤く腫れあがり、まるで風船細工のようになっていた。大剣のつかが濡れて光る。


「痛むか?」


「ちょっとね。不便な力だよ、我ながら」


 彼女は剣を床に突いて起きあがる。「そっちは体だいじょうぶ?」


「ちょっと熱っぽいかな」


「それくらいなら平気だね。それより、おなか空かない?」


「空いた」


 積んである物資の中からチョコバーを取りだす。沙也はシーツで鼻血を拭ってからかぶりつく。蒼はしゃくの合間に熱剤ねつざいを口に放りこみ、味を中和させた。


「あー煙草吸いたい」


「昼メシどうするかな。山の中で火を使えりゃいいけど」


 1本食べおわり、水を飲んで一息つく。


「おい、おまえ食うか?」


 蒼は由一に声をかけた。彼は廊下の向こうを見つめたままふりかえりもしない。沙也があめを舐めながら防護服を着はじめた。


「あんたたち、なんでそんな落ちついてられるの? どうかしてるよ」


 花蓮がいう。蒼は彼女にチョコバーを勧めた。彼女は首を横に振る。人質の魔骸が床にひろがる仲間の血におびえ、身をすくめている。「カスケード・シールド」を消したハルカが部屋の隅にしゃがみこみ、おうする。


「プルちゃん、水飲みな」


 そういって沙也がペットボトルを手に歩きかけたとき、頭上が騒がしくなった。


 遠い空でそう除機じきをかけているような音。それがやがて近づいてくる。


「空飛ぶやつ来たか」


 沙也がつなぎ状になった防護服のジッパーを首まであげる。


「建物の中にいる者たちに告ぐ――」


 声が響いた。蒼たちは顔を見合わせる。


 マイクをとおしたような声だった。すこし高くて、女のもののように聞こえる。


 蒼は天井の穴から空を見た。声の主らしき者の影はない。


「そこから出てこい。そして我々の同胞どうほうを解放しろ。そうすればきみたちの命は保証しよう」


 声の中にとげとげしいものは聞きとれない。むしろ優しくさとすような調子だ。


「日本語しゃべってるよ」


 マスクを装着した沙也の声はこもって聞こえた。「まさかあいつら人間だったってオチじゃないよね」


「勘弁してよ」


 花蓮が顔をしかめる。


「で、どうする?」


 蒼は彼女たちの顔を見まわした。「魔骸のいうとおり出ていくか、それともここでろうじょうするか」


「籠城ってのはさ、援軍が来るってわかってるときだけ成立するんだけど」


 防護服のフードとマスクの間から目だけ出した沙也がいう。


「来るかもしれないよ」


 ハルカのことばを沙也は鼻で笑った。


「来ないっしょ。無線も通じないのにどうやってうちらのこの状況を知るわけ?」


たすきさんならきっと何とかしてくれるよ」


 ハルカは起きたばかりのときよりさらに青い顔をしている。


「誰なんだよ、そのタスキギってのは」


 蒼がたずねても彼女は答えない。代わりに沙也が口を開いた。


「政治家だよ。衆議院議員。今回の件の責任者だっていってた」


「私たちのこと全力でバックアップするっていってたのに」


 花蓮がひたいに手を当てる。「結局口だけだったのかなあ」


「わかんないよ。いまも私たちのために働いてくれてるかもしれない」


 ハルカが食ってかかるような調子でいう。沙也はゴム手袋の口をひっぱってぱちんと鳴らした。


「私はあの人、最初から信頼できないなって思ってた。ことばが薄っぺらいもん。まあ政治家にしては若くてイケメンだからプルちゃんは好きかもしんないけどさ」


「そんなんじゃないよ!」


 ハルカが唇をとがらせる。蒼はそれを横目に見た。ちくりと胸が痛む。彼の知らない男と会うとき、ハルカはどんな顔をするのだろう。彼女のことを、まだ何も知らない。


「ここにいない奴の話をしててもしょうがない。いま何をすべきか考えよう」


 そういって蒼は部屋の中を見渡した。さっきまで寝ていたベッドはれきに埋まっている。天井は崩れおち、もう残っている部分の方がすくないくらいだ。床の血が乾きはじめて、靴の底がねばつく。


「このままじゃたないな。建物も俺たちも」


「あいつらのいうとおり、ここから出た方がいいってこと?」


 花蓮にきかれて蒼はうなずいた。


「私も出ていく方に1票」


 沙也が小さく手を挙げる。「『セプティック・デス』はもうちょい広い場所の方が戦いやすい」


「出ていって勝ち目あるわけ?」


 花蓮がいう。そのとなりでうずくまる魔骸を蒼は見つめた。


「こっちには人質がいる。こいつを盾にして何とか山を越えよう。東京に入れば、他の人間もいるし、たぶん何とかなる」


「何とかならなかったら?」


「そんときゃ世界の終わりだろ」


 彼は自分のいったことに笑い、ハルカを見た。彼女は笑っていない。


「じゃあ私も出ていくのに賛成」


 花蓮が魔骸の腕を小突く。「完全に囲まれてるけど、こいつ使えばワンチャンあるかも」


「俺は反対だ」


 背後で声がして、蒼はふりかえった。


 由一が壁に背中を預けながら彼をにらんでいた。


「なら対案を出せよ」


 蒼がいうと、由一は壁を離れ、近づいてきた。引きずる左足の爪先が血溜まりにかり、乾いた床にかすれた線を引く。


「対案なんかねえよ。ただテメエの指図は受けたくねえってだけだ」


「何だそりゃ」


 こんなときにつまらないことをいうと思い、彼を押しのけようとした。その手を彼は振りはらい、襟首えりくびをつかんでくる。


「気に食わねえんだよテメエ。あとから来て偉そうにしやがってよォ」


 蒼は困惑した。も何も、彼はずっとここにいた。ここにしかいなかった。


 由一の食いしばる歯の隙間から息が漏れ、そのたびにえきが白く泡立つ。


「まあオメエが偉そうにするのもわかるよ。オメエには戦う理由がある。病気で親が死んで、かたきを取りてえっていうんだもんな。なるほどなって感じだよ。同じ状況だったら俺だってそうした。ちゃんとした理由だ。でもな、俺にだって理由はあったんだ。オメエとくらべりゃたいしたことないかもしれねえけどな。テレビで病気の人を見てあの人たちを助けたいって、魔骸のことを知らされてあいつら殺してえって、心から思った。目立ちたいとかドヤりたいとかじゃなく、本当にそう思ったんだ」


 彼は蒼の襟首を放し、フリースジャケットのそでをまくった。「それなのに何だよ、これはよ。オメエは力の後遺症っていったら熱が出るだけなのに、俺はこれだ」


 彼の腕には大きな水脹みずぶくれがいくつもできていた。昨日見たときよりもひどい。腕の内側の柔らかい皮膚に浮いた腫れは体液で張りつめて光っている。破れて血の混じった汁を垂らしているのもあった。しゅうが蒼の鼻をく。


「なんでなんだよ。おかしいじゃねえかよ。ちょっと『ナイトロ・エアリアル』を使っただけなのに、全身こうなっちまった。痛くてしょうがねえ。服がこすれるだけで悲鳴をあげそうになる。どうしてなんだ。俺だって一生懸命にやったのに。不公平じゃねえか。おまえは住んでるところがもう有利で、モチベーションもあって、ひとりでも戦えて、後遺症も軽い。俺は場所が悪くて、それでも努力して、何とかここまで戦ってきたのに、体がいうことを聞かねえ。はじめから俺は駄目だったんだ。病気に負けるって決まってたんだ。なんでなんだよ畜生。なんで世の中こんなに不公平なんだよ」


 由一は涙を流していた。


 蒼は彼のいうことが理解できなかった。自分がそんな特別な存在だとは思えない。ただこんな状況におちいってしまったから戦ったというだけのことだ。公平か不公平かというなら、むしろ自分こそが不公平だと主張できる立場だろう。


 由一が真っ赤な目で彼をにらむ。


「おまえは最初から偉そうだった。俺たちを見くだしてた。俺にはわかったよ」


「そんなことはない」


「どうかな」


 彼はきびすを返し、足を引きずりながら去っていく。その背中を見つめながら蒼は、いい加減なことをいう奴だと憎むとともに、かつての自分を見るようだとも思った。夢を語る者たちを見くだしながら、どこか仰ぎ見ている部分もあった。彼らは自分とはちがうと思っていた。そうやって彼らを特別な存在だと見なして、彼らが逃れようもなくその状況にあるという可能性を考えてもみなかった。


 夢はこちらで選べるものではない。あるとき突然、前途に立ちふさがり、否応いやおうなく人の運命をねじまげる。そのせいで死ぬことだってある。


 まるで病だ。


 周囲の者たちが移動の仕度をはじめる。蒼も動こうとしたが、動けない。呼吸が苦しい。脚がしびれる。熱が出る。


 彼はポケットから解熱剤を取りだしてかじり、辛うじて一歩を踏みだした。

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