4-3

 あらかじめこの診療所に物資をデポしておいたらしく、水や食料が豊富にあった。


 日が沈むと、明かりが外に漏れぬようカーテンを閉め、食事の仕度をした。ふたつのガスストーブを囲んで車座になる。各自ヘッドランプを装着して手元を照らす。


「あったかい食べ物ひさしぶりだからうれしいね」


 カップラーメンのふたがしながら沙也さやが声を弾ませる。


 クッカーでかしたお湯をカップラーメンの容器に注ぐ。ハルカが空のマグカップを蓋の上に置いた。


「あれ? プルちゃん、蓋留めるシールは?」


「ビニールといっしょに捨てちゃった」


「うわ雑な女。苦手だわ~」


 そうの分のお湯がなくなってしまったので、もう一度クッカーをガスストーブにかける。


 みなカップラーメンができあがるのを待ってじっとしている。その光景が蒼の目にはとてもそうちょうなものに映った。ガスストーブの火に落とす視線は死者をいたんでいるかのようだ。先割れスプーンを握りしめる手は神に祈りを捧げているかのようだ。太古のむかしから人間はこうして夜を過ごしてきたのだろうと思う。もっとも、いま囲んでいるのは赤々としたたきではなくガスの青い炎で、ヘッドランプのLEDが壁に映しだす人の影はくっきりとしていて揺れもしない。


上原うえはらくんは――」


 正面に座るれんが手の中のスプーンをもてあそぶ。「この町の人でしょ?」


 蒼はうなずいた。ヘッドランプが上下して、奥の壁に映る花蓮の影が一度薄くなり、また濃くなる。


「家族は?」


「この病気で死んだ。近所の人もみんな死んだ。高校の奴もたぶん死んだ」


 壁の影が揺れる。


「そのかたきを取るために上原くんは戦ってるの?」


「ああ」


「立派だねえ」


 由一ゆういちが床に手をつき、胸を反らす。「まるでヒーローだな。宿命っつーかさ。俺らとはえらいちがいだ」


「バカにしちゃだめだよ。立派なことじゃん」


 ハルカが彼をにらみつける。


「だからだっていってんだろ。バカになんかしてねえよ」


 由一は鼻で笑った。「そんなことより、もう3分たったんじゃねえか?」


 カップラーメンの蓋を取り、先割れスプーンで掻きまぜる。


 沙也がラーメンをすすり、湯気で眼鏡を真っ白にくもらせた。


「私はこの力でモンスター相手に無双したいってことしか考えてなかったからな。人のこととやかくいえない」


 自分のことを立派だとも蒼は思わなかった。ただこの町に生まれ育ち、そこに病が蔓延まんえんし、がいが現れたから戦っただけのことだ。わざわざ町の外からやってきた「ワイルドファイア」小隊の方がよっぽど立派だろう。死んだ者たちもそれぞれに夢や目標を持っていたにちがいない。自分に関係のない人たちのために身を危険にさらすなど、蒼には真似のできないことだった。


 お湯が沸いたのでカップラーメンの容器に注ぐ。ハルカがラーメンに手をつけず、蒼を見ている。彼はあごをしゃくって食べるよう促した。他人との食事はこういうのがめんどくさい。こういうのが嫌だから鉄塔の下で野営したあの夜も周囲とは食事をともにしなかった。


 あのときは20人ほどいたのに、いまではたった5人しかいない。死んだ者たちのことを思うとつらかった。鼻をくすぐる香りに罪の意識が混じる。生きるための営みにうしろめたさが伴うようになる。


 彼はふと、背後をふりかえった。影の中に沈んで魔骸が横になっている。


「あいつに何か食わしたのか?」


「水はあげたけど」


 花蓮が答える。


 蒼は立ちあがり、部屋の隅に積まれた物資をさぐった。フォークと水のペットボトルを取る。床に置いてあったカップラーメンも取り、窓の方へと向かう。


「おい、余計なことしてんじゃねえぞ」


 由一の声に蒼はふりかえる。


「生きたまま連れて帰るんだろ? 飢え死にしたら元も子もない」


 魔骸の拘束を解いてやった。壁に寄りかかる魔骸の眼前でカップラーメンの蓋を取る。白く湯気があがるのを小さな目が追った。


「これを使って、こうやって食うんだ」


 フォークで食べる真似をして、魔骸に手渡す。金属におおわれた胸部が赤と青の光を発する。


「水もここ置いとくから飲めよ」


 ペットボトルを開封し、ベッドの上に置く。魔骸は指先でフォークをつまみ、めんを巻きつけて口に運んだ。


 蒼は火のそばにもどった。ハルカが新たなカップラーメンを差しだしてくる。


「はいトマト味。女子っぽいやつ好きなんでしょ?」


「ありがとよ」


 彼はそれを受けとって包装をいだ。蓋を取り、クッカーに残っていたお湯を注ぐ。


「あっ、食後のコーヒーに使おうと思ってたのに……」


 沙也が小さな海老えびを先割れスプーンで突き刺し、口に放りこむ。「まあいいけどさ」


 由一と花蓮は蒼から目をらし、黙々と食べている。


 またひとりの食事だと蒼は思う。だがその方が罪の意識やうしろめたさを感じずに済むような気がした。




 に目をさました。


 蒼の体は汗にまみれていた。頭が痛い。節々も痛い。まるで発病したばかりの頃みたいだ。


 掛布団を蹴ってぐ。体の熱で闇に陽炎かげろうが立ちそうだ。枕元に置いておいたペットボトルを取り、水を飲む。室温が低いので歯にみるほど冷たい。


 ポケットから熱剤ねつざいを取りだしてかじる。口の中にひろがる渋みを水で流しこむ。


 寝返りを打つと、ベッドがきしんだ。診療所のベッドは鉄パイプをいで作ったような安っぽい代物で、やたらとうるさい。そのせいで昨夜はなかなか寝つけなかった。


 部屋の奥では魔骸がきゅうくつそうに体を折りまげながら寝ている。蒼は悪い夢を見ているような気がした――皆殺しにしてやると誓った相手と同じ部屋で眠るなんて。


 カーテンの隙間からぼんやり青いが入ってきている。腕時計のバックライトをける。午前5時半。


 動くものの気配がして、蒼はゆっくりと背後を見た。


 ハルカが起きだして、ブレザーにそでをとおしながら部屋を出ていく。


 すこし待って蒼もベッドから出た。靴を履こうとしてやりが足に当たる。熱と頭痛はこれを昨日から出しつづけていた副作用らしい。


 槍を拾いあげ、ハルカを追う。廊下の向こうで彼女の声がする。


 廊下の途中、待合室近くにトイレがある。そこから低いうなり声が聞こえていた。


 蒼は引きかえして新しいペットボトルを取ってきた。


 トイレから青い顔をしたハルカが出てくる。


「だいじょうぶか?」


 彼は水のボトルを差しだした。


「うん」


 彼女は受けとり、うがいをしてトイレに吐いた。


「まだ吐き気あるのか?」


「うん。でもだいじょうぶ」


 歩きだそうとした彼女の膝が崩れた。ペットボトルが床に落ちる。蒼は槍を捨てて彼女の体を抱きとめた。


「汗臭い」


 彼女の声が鎖骨のくぼみに響く。


「そっちもな」


 彼女の髪は近くで見るとあぶらで固まり束になっていた。出会ったときに漂わせていた甘い香りはもうない。それでも彼女の放つ匂いは他とはまるでちがう。彼女の頭にほおを寄せ髪の香を胸の奥まで吸いこむと、よろこびで声を漏らしそうになった。


 蒼の肩に彼女の鼻がかぎのように引っかかっている。押しつけられた頬や胸の柔らかさが彼の体の無骨さを際立たせる。服の生地越しに伝わる熱が同じ病を共有しているのだと彼の肌に告げている。


「今日、歩けるか?」


 口が彼女の耳に近いので、おのずとささやき声になった。


 東京を目指して国道を行くとなると、大蓮おおはすとうげ九十九つづらりを越えていかねばならなくなる。歩く距離が長いし、ひらけているので魔骸に見つかるかもしれない。


 山道をとおって菰岳こもたけ峠を越えればもっと早いはずだ。こっちの道はかつての街道で、おそらくは最短距離を走っている。


 ここから山道に入るまで歩いて1時間半、峠越えに2時間というところか。


「歩けるよ」


 ハルカも囁くように答えた。


「もし歩けなくなったら、おぶってやる」


「いいよ、そんなの」


「俺、いったよな? おまえのこと守るって」


「あんたは殺す側。守るのは私。みんなとちまたの人々を守る」


「チマタの人々はどうでもいいよ。おまえはまずおまえのことを守れ」


 蒼がいうとハルカは顔をあげた。


「ちっちゃい頃からずっと、世界は終わるって聞かされてきた。お母さんも御師おし様も先達せんだつのみんなもいってた。だからずっとずっと怖かった。私も教会の人たちも巷の人々もみんな死んじゃうんだって」


 彼女は蒼をまっすぐに見る。蒼は手の中に彼女の薄い肉づき、細い肩を感じていた。それは幼い彼女――死や終末におびえて震える小さな彼女の姿を容易に想像させる。


「みんなを救うことは私を救うことでもあるんだよ。この世の終わりを恐れていた私への救い。どうせ終わりが来るからって自棄やけになって自分や家族や正しき教えを大事にしなかった私への救い」


「あの魔骸を連れて帰ったらみんな救われるって?」


「うん」


 ハルカはうなずく。「あれを調べたら、きっと病気のこととか魔骸の弱点とかいろいろわかる。私に魔骸を全滅させる力はないけど、それを手助けすることはできる」


「そっか」


 蒼もうなずいた。「うん、そうかもな」


 彼女のいっていることはさっぱりわからなかった。今後ふたりがどれほど親密になっても、ある部分は永遠にわかりあえないのだろうと思う。


 それでもよかった。いまふたりは同じところへ行こうとしている――東へ進み、山を越える。


 そして同じ夢を見ている――魔骸を滅ぼす。


 それ以外のことはいまのふたりに必要ない。


 ハルカがさっきまで顔を押しつけていた蒼の肩を見つめた。


「ごめん、鼻水つけちゃった」


 蒼はウインドシェルをひっぱった。


「どうせ汚れてる」


 ハルカは顔を伏せ、ひとてんするように小さくうなずく。


っていってくれたことはうれしかった。ありがと」


「うん」


 彼女が身を離す。匂いも体温も蒼の手の中から去っていく。視線だけが絡みついて離れない。


 床にペットボトルが落ちている。


「あ、水」


「ん」


 彼女に手渡そうとして、蒼は動きを止めた。


 何かの気配がある。


「どうしたの」


 彼女はいぶかししげな顔をする。蒼は病院の戸口をふりかえった。りガラスの向こうはぼんやり青みがかった朝で、不審なものの影は見られない。


 彼は天井を見あげた。しばらく凝視していると、と重たい音がした。この診療所は平屋建てだから、何かいるとしたら屋上だ。


 ハルカも天井を見つめていた。蒼は彼女のそばに寄り、耳打ちした。


「他の奴ら起こせ」


 彼女はうなずき、足音を殺してベッドの部屋へともどっていった。


 蒼は近くの診察室に身を隠した。わずかに顔を出して戸口の方をのぞく。


 戸にはめこまれた擦りガラスの端に大きな黒い影が見え隠れする。人間とは見まちがえようがない。でかすぎて鈍臭どんくさい奴ら。人を殺しておいて平気な顔の蜥蜴とかげあたま


 彼は槍を握って感触を確かめた。ここから戸まで5m。投げれば充分に届く。


 診察室の中を眺めわたす。寝返りを打つのにも苦労しそうな狭いベッドが置かれている。机の上にはパソコンや文房具がある。奥の流しを見て彼は喉の渇きをおぼえた。


 机のそばにあるカートに目が留まった。それを引きよせ、トレイの上から歯医者が使う鏡を長くしたようなものを取る。


 廊下に差しだし、角度を調節すると、戸がよく見えた。2枚の引き戸が重なるあたりに光るものが突きでている。ゆっくり、円を描くように動く。どうやらガラスを切りとろうとしているようだ。


 蒼は深呼吸した。この間は奴らのすみを急襲したが、今度はこちらが襲われる番だ。だがいま急襲するつもりの奴らはこちらに待ち伏せされている。それぞれの立場に確かなものなどない。殺そうとして殺される。死にたくなくて殺す。


 もう1本投げ槍を生成し、床に置いておく。


 鏡の中では鍵が丸ごとえぐりとられた。穴から大きな手が入りこんできて戸を開ける。


 魔骸がって戸口を潜ってくる。奴らにこの建物は小さすぎるのだ。円形の鏡いっぱいに蜥蜴の顔が映る。


 蒼は廊下に身を乗りだし、槍を投げつけた。突き刺さると同時にと念じる。魔骸が弾けとんで飛沫しぶきと肉片に化し、天井から床までを濡らした。


 後続の敵が発砲してくる。これまでのものとちがい、連発式だ。爆発音が響き、光が明滅する。


 陰に隠れていた蒼は腕だけを出して槍を投げた。壁のどこかに刺さって爆発する。一瞬、銃撃がやむ。


 2本目は狙いをつけた。戸口の陰からこちらを見ていた魔骸の肩に刺さって上半身を吹きとばす。


 蒼は廊下に出て、戸に背を向け走った。背後で銃声がする。天井が焼かれるのが見えた。

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