4-3
あらかじめこの診療所に物資をデポしておいたらしく、水や食料が豊富にあった。
日が沈むと、明かりが外に漏れぬようカーテンを閉め、食事の仕度をした。ふたつのガスストーブを囲んで車座になる。各自ヘッドランプを装着して手元を照らす。
「あったかい食べ物ひさしぶりだからうれしいね」
カップラーメンの
クッカーで
「あれ? プルちゃん、蓋留めるシールは?」
「ビニールといっしょに捨てちゃった」
「うわ雑な女。苦手だわ~」
みなカップラーメンができあがるのを待ってじっとしている。その光景が蒼の目にはとても
「
正面に座る
蒼はうなずいた。ヘッドランプが上下して、奥の壁に映る花蓮の影が一度薄くなり、また濃くなる。
「家族は?」
「この病気で死んだ。近所の人もみんな死んだ。高校の奴もたぶん死んだ」
壁の影が揺れる。
「その
「ああ」
「立派だねえ」
「バカにしちゃだめだよ。立派なことじゃん」
ハルカが彼をにらみつける。
「だから立派だっていってんだろ。バカになんかしてねえよ」
由一は鼻で笑った。「そんなことより、もう3分たったんじゃねえか?」
カップラーメンの蓋を取り、先割れスプーンで掻きまぜる。
沙也がラーメンを
「私はこの力でモンスター相手に無双したいってことしか考えてなかったからな。人のこととやかくいえない」
自分のことを立派だとも蒼は思わなかった。ただこの町に生まれ育ち、そこに病が
お湯が沸いたのでカップラーメンの容器に注ぐ。ハルカがラーメンに手をつけず、蒼を見ている。彼は
あのときは20人ほどいたのに、いまではたった5人しかいない。死んだ者たちのことを思うとつらかった。鼻をくすぐる香りに罪の意識が混じる。生きるための営みにうしろめたさが伴うようになる。
彼はふと、背後をふりかえった。影の中に沈んで魔骸が横になっている。
「あいつに何か食わしたのか?」
「水はあげたけど」
花蓮が答える。
蒼は立ちあがり、部屋の隅に積まれた物資をさぐった。フォークと水のペットボトルを取る。床に置いてあったカップラーメンも取り、窓の方へと向かう。
「おい、余計なことしてんじゃねえぞ」
由一の声に蒼はふりかえる。
「生きたまま連れて帰るんだろ? 飢え死にしたら元も子もない」
魔骸の拘束を解いてやった。壁に寄りかかる魔骸の眼前でカップラーメンの蓋を取る。白く湯気があがるのを小さな目が追った。
「これを使って、こうやって食うんだ」
フォークで食べる真似をして、魔骸に手渡す。金属に
「水もここ置いとくから飲めよ」
ペットボトルを開封し、ベッドの上に置く。魔骸は指先でフォークをつまみ、
蒼は火のそばにもどった。ハルカが新たなカップラーメンを差しだしてくる。
「はいトマト味。女子っぽいやつ好きなんでしょ?」
「ありがとよ」
彼はそれを受けとって包装を
「あっ、食後のコーヒーに使おうと思ってたのに……」
沙也が小さな
由一と花蓮は蒼から目を
またひとりの食事だと蒼は思う。だがその方が罪の意識やうしろめたさを感じずに済むような気がした。
熱さに目をさました。
蒼の体は汗にまみれていた。頭が痛い。節々も痛い。まるで発病したばかりの頃みたいだ。
掛布団を蹴って
ポケットから
寝返りを打つと、ベッドがきしんだ。診療所のベッドは鉄パイプを
部屋の奥では魔骸が
カーテンの隙間からぼんやり青い
動くものの気配がして、蒼はゆっくりと背後を見た。
ハルカが起きだして、ブレザーに
すこし待って蒼もベッドから出た。靴を履こうとして
槍を拾いあげ、ハルカを追う。廊下の向こうで彼女の声がする。
廊下の途中、待合室近くにトイレがある。そこから低いうなり声が聞こえていた。
蒼は引きかえして新しいペットボトルを取ってきた。
トイレから青い顔をしたハルカが出てくる。
「だいじょうぶか?」
彼は水のボトルを差しだした。
「うん」
彼女は受けとり、うがいをしてトイレに吐いた。
「まだ吐き気あるのか?」
「うん。でもだいじょうぶ」
歩きだそうとした彼女の膝が崩れた。ペットボトルが床に落ちる。蒼は槍を捨てて彼女の体を抱きとめた。
「汗臭い」
彼女の声が鎖骨のくぼみに響く。
「そっちもな」
彼女の髪は近くで見ると
蒼の肩に彼女の鼻が
「今日、歩けるか?」
口が彼女の耳に近いので、おのずと
東京を目指して国道を行くとなると、
山道をとおって
ここから山道に入るまで歩いて1時間半、峠越えに2時間というところか。
「歩けるよ」
ハルカも囁くように答えた。
「もし歩けなくなったら、おぶってやる」
「いいよ、そんなの」
「俺、いったよな? おまえのこと守るって」
「あんたは殺す側。守るのは私。みんなと
「チマタの人々はどうでもいいよ。おまえはまずおまえのことを守れ」
蒼がいうとハルカは顔をあげた。
「ちっちゃい頃からずっと、世界は終わるって聞かされてきた。お母さんも
彼女は蒼をまっすぐに見る。蒼は手の中に彼女の薄い肉づき、細い肩を感じていた。それは幼い彼女――死や終末に
「みんなを救うことは私を救うことでもあるんだよ。この世の終わりを恐れていた私への救い。どうせ終わりが来るからって
「あの魔骸を連れて帰ったらみんな救われるって?」
「うん」
ハルカはうなずく。「あれを調べたら、きっと病気のこととか魔骸の弱点とかいろいろわかる。私に魔骸を全滅させる力はないけど、それを手助けすることはできる」
「そっか」
蒼もうなずいた。「うん、そうかもな」
彼女のいっていることはさっぱりわからなかった。今後ふたりがどれほど親密になっても、ある部分は永遠にわかりあえないのだろうと思う。
それでもよかった。いまふたりは同じところへ行こうとしている――東へ進み、山を越える。
そして同じ夢を見ている――魔骸を滅ぼす。
それ以外のことはいまのふたりに必要ない。
ハルカがさっきまで顔を押しつけていた蒼の肩を見つめた。
「ごめん、鼻水つけちゃった」
蒼はウインドシェルをひっぱった。
「どうせ汚れてる」
ハルカは顔を伏せ、
「守るっていってくれたことはうれしかった。ありがと」
「うん」
彼女が身を離す。匂いも体温も蒼の手の中から去っていく。視線だけが絡みついて離れない。
床にペットボトルが落ちている。
「あ、水」
「ん」
彼女に手渡そうとして、蒼は動きを止めた。
何かの気配がある。
「どうしたの」
彼女は
彼は天井を見あげた。しばらく凝視していると、ごとりと重たい音がした。この診療所は平屋建てだから、何かいるとしたら屋上だ。
ハルカも天井を見つめていた。蒼は彼女のそばに寄り、耳打ちした。
「他の奴ら起こせ」
彼女はうなずき、足音を殺してベッドの部屋へともどっていった。
蒼は近くの診察室に身を隠した。わずかに顔を出して戸口の方をのぞく。
戸にはめこまれた擦りガラスの端に大きな黒い影が見え隠れする。人間とは見まちがえようがない。でかすぎて
彼は槍を握って感触を確かめた。ここから戸まで5m。投げれば充分に届く。
診察室の中を眺めわたす。寝返りを打つのにも苦労しそうな狭いベッドが置かれている。机の上にはパソコンや文房具がある。奥の流しを見て彼は喉の渇きをおぼえた。
机のそばにあるカートに目が留まった。それを引きよせ、トレイの上から歯医者が使う鏡を長くしたようなものを取る。
廊下に差しだし、角度を調節すると、戸がよく見えた。2枚の引き戸が重なるあたりに光るものが突きでている。ゆっくり、円を描くように動く。どうやらガラスを切りとろうとしているようだ。
蒼は深呼吸した。この間は奴らの
もう1本投げ槍を生成し、床に置いておく。
鏡の中では鍵が丸ごとえぐりとられた。穴から大きな手が入りこんできて戸を開ける。
魔骸が
蒼は廊下に身を乗りだし、槍を投げつけた。突き刺さると同時に消えろと念じる。魔骸が弾けとんで
後続の敵が発砲してくる。これまでのものとちがい、連発式だ。爆発音が響き、光が明滅する。
陰に隠れていた蒼は腕だけを出して槍を投げた。壁のどこかに刺さって爆発する。一瞬、銃撃がやむ。
2本目は狙いをつけた。戸口の陰からこちらを見ていた魔骸の肩に刺さって上半身を吹きとばす。
蒼は廊下に出て、戸に背を向け走った。背後で銃声がする。天井が焼かれるのが見えた。
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