4-2

 テントは目立つので張らなかった。


 どうせ誰もとおらないだろうと考え、道の上に寝袋を並べる。


 そうは女子ふたりから離れて眠るつもりだったが、敵襲に備えろといわれて彼女たちと並んで寝た。


 地面に横たわり、星空を見あげる。ライトをけていると敵に見つかってしまうし、沙也さやもハルカも体調が悪そうだったので、日没と同時くらいに寝袋に入った。白々と降りそそぐ星の光に地上の風は冷えていた。横を見ると、マミー型の寝袋から突きでたふたりの顔が並ぶ。


「星きれいだねえ」


 沙也がもぞもぞと体を動かし、眼鏡をかけた。その向こうでハルカの声がする。


「ちょっと欠けてるけどね」


 がいの飛行物体が影になって星を隠している。夜空に空いた大きな穴のようだと蒼は思った。


「林間学校でもコテージけだして星を見たよね。ふたりでさ」


「あったねえ。将来のこととか話したりして。『いっしょの高校行こうよ』とかいって」


「プルちゃんがバカなの忘れてたんだな、そんときの私」


 3人で夜風にさらされて、孤立無援であるように感じた。あの町でひとりで戦っているときにもそんなふうには思わなかったのに、なぜいまそうなのか不思議だった。


「このまま世界は終わるのかな」


 沙也が眼鏡をはずし、目をこする。


「いつかは終わるよ。そう決まってる」


 ハルカがいうのを沙也は鼻で笑った。


「終わるなら終わるでさあ、山とか森とかも焼きつくしてほしいよね。自然は残って人間だけ絶滅するって、何か悔しいっていうか、嫌だな」


「神様のおぼしめし次第だよ」


「まあでも、最後に自分のやりたいことやって死ねるんだからいいか。親のいうこと聞くだけの人生とかつまんないじゃん。いい学校行けとか将来のこと考えろとかさあ、マジくっだらねえ。高校だってさ、プルちゃんといっしょのとこ行っときゃよかった」


「でもうちの学校、勉強できるといじめられるよ」


「マジかー。やっぱ親に感謝だわ」


 蒼は自分が死んだあとの世界を想像してみた。山があり緑があり湖があり、ハルカがそこにいる。


 これまではそんなこと考えもしなかった。家族も町の人も死に、自分が最後だったからだ。自分が死んだあとの世界など存在しないも同然だった。


 世界の存在を実感するには自分の五感だけでは足りない。他の誰かがいなければ――自分の死んだあとにも生きつづけてほしいと願える誰かが。


「世界は終わらない。俺たちが生きのこる。俺がおまえたちを守る」


「あれっ、いまうちら告白されてる?」


 沙也が芋虫いもむしのように体をくねらせる。


「星空の下っていうのはいままでされた告白の中でシチュエーション的に一番だわ」


 ハルカがひょいと足をあげる。


 寝袋の表地にさらさらと当たるものがある。杉の葉が降ってきているのだ。それはあの町にもみもりを埋めた場所にも、ハルカや沙也の上にも降る。蒼の鼻の上にも降ったので、彼はそれをふっと吹きとばした。




 山道をおりると車道に出た。


 朝早くから行動を開始したのだが、ペースがあがらなかった。ハルカはあいかわらず吐いてばかりいるし、沙也は鼻血が止まらない。結局下山するのに午後までかかってしまった。


 地図を見ると、蒼の家の前を走る道の西にある県道であることがわかった。富士谷ふじや駅へ行くのに低山をひとつ越えていくのが近道なのだが、女子ふたりの体力的に厳しい。南下して湖沿いの国道を目指すことにする。


 蒼は熱剤ねつざいをかじりながら歩いた。周囲の雰囲気があの町と似ていて心が落ちつく。道の右手には川が流れている。体調の方は、すこし熱っぽいが問題ない。


「のどかなとこだねえ」


 沙也が道の両脇に目を走らせながらいう。がいの巨体が隠れる場所はなさそうだった。空から飛来するものの影もない。


 国道に出ると、湖上の飛行物体を真下から見あげるかっこうになった。丸い影が空をおおう。底部にも輪郭にも突起がない。ハルカは「UFO」と呼んでいたが、確かに映画に出てくる空飛ぶ円盤のようだ。


 魔骸は宇宙から来たのだろうか。たずねてみるわけにもいかない。


 富士谷駅に着く頃には夕方になっていた。国道から1本入った道を歩いていると、建物の隙間から赤い夕陽が見える。きっと湖面を照らして波頭を白く輝かせていることだろう。その様が蒼の脳裏にはありありと浮かんだ。


 駅舎を離れたところから観察する。自動改札機と窓口があるだけで、人の隠れるところはない。改めて見ると本当に小さな駅だ。殺しあいなんかに巻きこむのが気の毒に思えてくる。


 観光案内所が隣接している。人がいるとすればそこか。


「俺が見てくる」


 沙也とハルカに待機を命じておいて蒼は歩きだした。誰か先に来た者を魔骸が捕らえて待ち伏せしているということも考えられる。


 右手に投げやりを出す。それを両手で保持し、身を低くして駅前広場を横切った。


 階段をのぼり、駅舎の中をのぞく。人影はない。左手の観光案内所に向かう。


 自動ドアはロックされていた。ガラスの向こうは暗い。ひたいをつけて目をらすが何も見えない。となりに公衆トイレがあるのでそこものぞいてみる。


 こうなるであろうことは薄々予感していた。あの空飛ぶ「わに」たちの急襲から逃れられた者などいないはずだ。


 それでもこの場所を調べつづけるのは、何もできず逃げだしたことに対する自責の念からだった。誰も来ないのならというその結果をこの目で見ておきたい。


 閉じることのない自動改札を抜けて、窓口をのぞく。中には誰もいない。カウンターの向こうでは色々な道具が端に寄せて整頓せいとんされてある。明日からでも業務を再開できそうだ。


 蒼は天井を見あげ、長く息を吐いた。やはり誰も来られなかった。生きのこったのは3人だけだ。


 ふと、構内に多目的トイレがあったことを思いだす。この駅で人が隠れられる場所といえばもうあそこだけだ。


 ふりかえって背後にあるそのドアを見たとき、視界の端に違和感があった。そちらに目をやる。


 駅舎と線路とを隔てるフェンスに、ポスターを張るための板が取りつけられている。その隙間から人の顔がのぞいていた。


「うわっ」


 蒼は驚いてのけぞった。手にある槍は攻撃ではなく、転ばないよう地面に突くのに使った。


 はじっと蒼を見ていた。


上原うえはらくん?」


「あっ、えっと……何さんだっけ」


くに。三国れん


 彼女はフェンスを乗りこえて蒼の前に立った。「『プローブ』でここに来るのは感知してた。あとの2人は?」


「近くにいる」


 並んで歩きだした彼女を蒼は観察した。汚れたダウンジャケットは袖口が切れて白い羽毛がはみでている。その下の手首に包帯が見えた。


「怪我したのか?」


「何かわかんないけどブツブツできて血が出てる。あと熱もある」


「解熱剤あるけど」


「薬なら山ほど持ってる」


 花蓮は皮肉っぽく笑った。


 山の中でいっしょに行動してはいたが話したことはなかったので、いまこうして歩いていると何だか気まずかった。夜中に青姦アオカンしているところを見てしまったせいかもしれない。


「あの、ぶち……あいつ、俺の見てる前でやられた。助けてやれなかった。ごめん」


「別にあの人そういう関係じゃないから」


 花蓮が顔をしかめる。「あれはあのときのノリ。見てたんでしょ?」


「え? いや、見てはないですけど……」


 蒼はうなじを掻いた。


「そっちこそハルカとやったの?」


「え? どういうこと?」


「好きなんでしょ? バレバレだよ」


「『プローブ』ってそういうのもわかるのか?」


「見てりゃわかるよ。ハルカを見る目、完全にハートだもん」


 花蓮が笑いだす。蒼は手で目をごしごしとこすった。


 建物の陰に隠れていた沙也・ハルカと合流する。ふたりを見て花蓮はほっとしたような笑顔を浮かべた。


 蒼はハルカをじっと見つめた。そんなにおかしな目をしているだろうか。自分ではわからない。


 彼の視線に気づいたハルカは眉根をひそめる。


「何?」


「いや……」


 蒼は目をらした。花蓮が吹きだし、顔を背ける。


 駅前広場を越えていくと、そこはかつての戦場だった。しゅうすけのやられた家は屋根も壁も破壊されて、博物館の展示のように現代日本の生活を外の目にさらしている。みもりを埋めたところは他より土が黒く、一目でそれとわかる。


 魔骸の死体はなかった。あれだけ切り刻み、きちらしてやったのに、肉の切片・骨のかけらのひとつも残っていない。


 踏切を渡って花蓮が向かう先は診療所だった。蒼が病気になってすぐの頃には人が多すぎて入れなかったところだ。


 ガラスの引き戸を開け、待合室を抜けていく。窓枠に並んだぬいぐるみが色あせた顔を蒼たちに向けていた。


 廊下を行くと右手に診察室が見えた。あたりに薬品の臭いが漂っている。


 突きあたりの部屋にはベッドがいくつも並べてあった。


「何だおまえら生きてたのか」


 おお和田わだ由一ゆういちがベッドの上で片膝を抱えていた。伸ばした方の脚には包帯が巻かれてある。


「脚だいじょうぶ?」


 沙也が歩みよる。


「奴らのレーザーみたいのがかすったんだ。たいしたことねえけど」


 そう答える由一の顔はつちいろをしていた。着ているフリースジャケットのすそが土で汚れている。袖まくりした腕に水脹みずぶくれのできているのが見えた。


「おまえ、富士山のぼってきたみたいなかっこしてんな」


 由一が蒼の持つ槍を見て笑う。蒼も槍を見た。地面に突いたそれは確かに富士登山者が使う金剛杖こんごうづえのようだ。うまいことをいうものだと彼は感心した。


 槍の向こうに何かがいた。大きなものがうずくまっている。


 そこに目の焦点が合ったとき、蒼は息が止まりそうになった。槍を両手に持ち、腰を落とす。


「おい、そいつ――」


「ちょっと、やめてよ!」


 花蓮が彼の前に立ちはだかった。


「おいおい、殺すなよ。せっかく連れてきたんだから」


 由一が妙にのんな声でいう。


 槍の指す先、部屋の隅には魔骸がいた。大きな体を折り曲げ、きゅうくつそうにしている。細い紐でうしろに手首を縛ってあった。


 蒼は槍をおろした。


「あの山からわざわざ連れてきたのか……」


「それが私たちの使命だから」


 花蓮が彼の目をまっすぐに見る。


「結局大きい方を連れてきちまったよ」


 由一が笑い、抱えていた膝を伸ばした。「小さい方はどうなったかな。あいつらに回収されたか」


たすきさんと連絡取れた?」


 ハルカがとなりのベッドに腰かける。


「いや。誰も出ねえんだ。無線はつながるんだが」


「どういうこと? 向こうもやられたのかな」


「さあな。ただ、ろくでもない状態だってことは確かだ」


 由一が力なく笑う。ハルカは唇をとがらせ、何か考えこんでいる様子だ。


「とりあえず行ってみようよ、山の向こう。そしたら何かわかるでしょ」


 沙也が背中のザックを床におろし、ティッシュで鼻血を拭った。


 蒼は窓の方へと歩いていった。花蓮が止めようとするが、手で制する。


 うつむいていた魔骸が彼の近づくのに気づいて顔をあげる。彼はそれを間近に見た。小さな目がまばたきする。まぶたは周囲のうろこより色が薄かった。口吻こうふんの先に縦長な鼻の穴があり、呼吸のたびに開閉する。胸は光っていない。それを使って呼びかけても伝わらない相手だと理解しているのか。


 魔骸のことを何も知らない。それなのにたくさん殺した。いまはこの1匹を生かす必要があるのだという。時と場合によって命の意味がかわる。蒼はもっと単純な方がいいと思った。


「うわ、足めっちゃ臭い」


 ハルカがベッドに乗って靴を脱ぐ。


「ローファーなんか履いてるからだよ」


 沙也はその向こうのベッドに腰をおろし、ティッシュを鼻に詰める。


 蒼は壁に背中を預け、ずるずると滑りおちるようなかっこうで座りこんだ。魔骸がこちらを見ている。にらみつけるが、向こうはそこにこめられた意図を読みとれないらしく、無遠慮な視線を注ぎつづけた。

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