3-9

 泡は何度も跳ねるうち、回転がゆるくなっていった。最後にはハルカの体が地面と平行になって止まる。ぶらさがるようなかっこうになったそうは手を放した。


いたっ」


 沙也さやが落下した彼の下敷きになって声をあげる。


 ふっと泡が消え、ハルカの体が落ちてくる。


「痛っ」


 その下敷きになった蒼は声をあげた。


 ふたりの体の下から沙也がいでる。


「意外と目がまわらなかったな。宇宙飛行士になれるかも」


「俺は駄目だ。まだ地面がまわってる」


 蒼はまた目をつぶる。子供の頃、腕をひろげてぐるぐるまわったときと同じだ。自分を残して世界が回転している。


 ハルカが彼の胸に手を突いて置きあがり、ふらふら歩いていく。肩を揺すり、自分と沙也のザックを地面に落とす。


「プルちゃんだいじょうぶ?」


 沙也が声をかけてもふりかえらない。見ていると、彼女はしゃがみこみ声をあげておうした。


 蒼は駆けていって彼女の背中をさすってやった。厚いブレザーの下に荒く息を吐く体がある。命の感触がする。


「ほら、水飲みな」


 沙也が差しだす水筒を押しのけてハルカは歩いていき、沢の水をすくって飲んだ。


 蒼は周囲に目をやった。岩の間を細い沢が白くたぎり落ちる。三人はきょうこくの底にいた。見あげると空が狭い。あの空に浮かぶ巨大なものは見えなかった。


「うー、気持ちわる」


「プルちゃんってむかしから乗り物酔いしてたもんね。小3の遠足でもバスの中で――」


「このタイミングでその話する?」


 ハルカは沙也の肩につかまって歩く。その顔色は真っ青だった。蒼は彼女の空いている腕に手を伸ばした。


「奴らが追いかけてくる前にここから離れよう。歩けるか?」


「だいじょうぶ」


 ハルカは彼の手をそっと振りはらった。


「どっちに行くの?」


 沙也が沢の上流と下流とを見る。


「ここがどこだかわかんないから、とりあえずのぼろう」


「もっと山奥に行くってこと?」


「山で道に迷ったときは上を目指すのが鉄則なんだ。山道は山頂に向かって集まってるから、のぼっていけばぶつかりやすい。下に向かっていくと道が拡散してるから、ぶつかる可能性が低くなる」


「駄目だよ」


 ハルカが青い顔をして蒼をにらむ。「私たちは山をおりる。集合地点に行かないと」


「何だよそれ」


「仲間とはぐれたり、集団がバラバラになったりしたときのために、集合地点を決めてある。富士谷ふじや駅ってとこ」


「あそこかよ」


 蒼は自宅の最寄り駅を思いうかべた。「富士谷駅だとあの空に浮いてるやつのいる方だな。はっきりいって危険だと思う。それにっていったって、他の奴らはみんな――」


 いいかけて彼は口をつぐんだ。ざわの「笑顔」がちらつく。殺された者たちの断末魔の声が耳に蘇る。ハルカがうつむく。


「でも誰か、あのがいを連れてもどってるかもしれないし」


「あんなの連れて帰ってどうするんだ」


「調査する。魔骸のこと。そうすればどうしてこんなことが起きたのかもわかる」


「おまえら、アレだな……」


 蒼はひたいに手を当てた。「おまえらだけじゃないな? バックに誰かいるな?」


 ハルカは沙也と目を見合わせる。沙也が意を決したような表情を浮かべ、進みでた。


「私たちは防衛省の人にいわれて来た。魔骸を捕獲して生きたまま連れて帰るのが任務」


「何……? じゃあ自分たちの意志で来たんじゃないのか」


「自分の意志だよ!」


 ハルカが沙也の肩を離れ、突っかかってくる。「世界を破滅から救うために私は来たんだ!」


「ちょっと黙っててくれるか。話がややこしくなる」


 蒼はハルカの顔の前に手をかざした。彼女は彼の手を払いのけ、膨れて背を向けてしまった。


 沙也がハルカの方を見てくすりと笑った。


「私もまあ、自分の意志っちゃ意志だけどねえ」


「でも命令されたんだろ?」


「命令とはちがうかな。そんなに強制力はなくて、断ることもできた。でも私たちはそうしなかった。理由は人それぞれだろうけど」


「防衛省がどうとかいうなら、自衛隊でもよこせばいいじゃないか。防護服着せて」


 蒼の念頭には自宅に押しいってスマホを奪っていった者たちのことがあった。


「防護服だと長時間活動できないんだよ。だから生身で行ける私たちが選ばれた。免疫めんえきがあるからね」


だろ。免疫じゃなく」


「まあ似たようなもんでしょ」


 沙也が笑う。「そんで地図と衛星写真を見せられて『ここ行け』っていわれたわけ」


「魔骸のことも全部わかってたのか……」


上原うえはらくんの写真もあったよ」


「俺のも? そんな……」


 蒼はその場にしゃがみこみ、頭を抱えた。世間の目の届かないところでひとり戦っているつもりでいたのに、すべて見られていたのだ。


「だったらなんで助けに来てくれなかったんだ」


 蒼はつぶやいた。


 甘えた考えであることは自覚していた。だがもし外部からの援助があったなら、しゅうすけもみもりも死なずに済んだかもしれない。


 魔骸を皆殺しにするのが夢だなどと考えていたのが恥ずかしい。町の外ではもっと大きな思惑おもわくが動いている。自分が井の中のかわずにすぎぬのだと思いしらされる。


「沙也、もう行こう」


 ハルカが地面に置いてあったザックをつかんだ。蒼の前に立ち、彼を見おろす。


「あんたは誰かに助けてもらいたいの? 私は助ける側。力があるから。ちまたの人々を救う。世界を救う。それができるって信じてる。信じなきゃ誰のことも救えないから」


 沙也が自分のザックを拾いあげる。


「私は他の誰も持ってない、自分だけの力を持つのが夢でね、この病気にかかってそれがかなったんだよ。世界を救えるとかは信じてないけど、力があるんなら使いたいと思う。プルちゃんの手助けもできるし」


 蒼は歩きだした彼女たちの背中を座りこんだまま見ていた。


 彼女たちは力を人のために使おうとしている。ふたりの夢はまばゆい。


 蒼の夢は暗かった。力の使い道も自分のためだ。彼女たちに対して引け目を感じる。


 だが彼はその夢に導かれてここまで来た。


 人とくらべて劣っているように見えるからといって、捨てさるわけにはいかない。


 彼は立ちあがった。


「俺の夢は魔骸どもに復讐することだ。俺の力で奴らを皆殺しにする」


 沙也とハルカがふりかえる。


「へえ。いいじゃん」


 沙也がほほえんだ。「はじめて上原くんの本音を聞けた気がする」


 ハルカは眉根をひそめる。


とか、汚いことばを使うと魂も汚れていくんだよ」


「プルちゃんはうるせえなあ。ここ、一番盛りあがるとこだから」


 彼女の尻を沙也が叩いた。


 蒼はふたりに続いて歩きはじめた。沢をくだっていくのもいとわない。敵に背を向ける安全な道より、けわしい最短距離を行きたかった。


 彼の覚悟も知らずに沙也とハルカは歩きながらおしゃべりをする。


「上原くんはっていうけど、あいつら何匹くらいいるんだろうね」


「100匹くらい?」


「あのUFOには大きさからいってもっと乗ってるでしょ」


「えっ、あれってUFOなの? UFOってふつうもっと小さくない?」


「UFOのとか知らんし」


 明るい声が沢のせせらぎに交じる。


 その会話に加わりたいとまでは思わなかったが蒼は、はじめて自分の夢を人に語って、心の奥に風が吹きこんだような軽やかな気持ちになった。谷底に転がる大きな岩の上を跳び歩く足取りもおのずから軽やかになる。その浮かれたような感覚は夜になると出る高熱の予兆にすこし似ていた。


   ◀▶  ◀▶  ◀▶


 病室の窓にかかるカーテンの隙間から西日が漏れ入る。それがとても貴重なものに思えて蒼はてのひらに受けた。空は広いのにいつだって何かにさえぎられる。


 ぬるくなった紅茶を飲む。しゃべりすぎてのどが痛い。もう話の続きはしたくなかった。この先は彼の夢が破れていく話になる。


 ハルカと沙也の夢は叶ったといえるのだろうか。世界は終わらなかったが形をかえ、自身は力を得た代わりに二度と治らぬ病におかされた。


「ねえ、大槻おおつきさんって夢とかあるの?」


 ハルカが車椅子の上で脚を組んだ。爪先にひっかけていたサンダルが床に落ちる。


 蒼のとなりに座る大槻はびょうのポケットからスマホを取りだした。


「僕はミュージシャンになるのが夢だったんだ。ほら、こういうのやってた」


 彼はスマホをハルカに差しだす。ハルカはサンダルを爪先で拾いあげながら車椅子を前進させた。ひじかけのつまみを前に倒すだけで動くので、操作しているという感じがなく、彼女の意志の力で進んでいるように見える。


「大槻さんロン毛じゃん」


 彼女は蒼にスマホを手渡す。


「ホントだ」


 画面には髪の毛を振りみだしてギターを弾く大槻の姿が映っていた。


「もうやめちゃったの?」


「CD売れない時代だからね。僕も35だし、バンドやめて就職したんだ。そしたらこの病気になっちゃった。暇だからまたギター弾こうかなって思ってる」


「いいんじゃない? ここだとやることないもんね」


 ハルカがうなずく。


 確かに入院中は退屈だ。彼にもおぼえがある。


 彼はハルカがここで過ごす時間を思った。何をして日々を送っているのか。夜になればどんな夢を見るのだろうか。


 大槻が紙コップを捨てに病室を出た。蒼はソファから立ち、窓のそばに寄った。


「なあ――」


 カーテンの隙間を指でひろげながらいう。「海、行かないか?」


「いま?」


 背後でハルカがいう。車椅子のタイヤが床にきしむ。


「うん。いま」


「なんで?」


「夕日がきれいだから見に行きたいんだけど、俺ひとりだとちょっと絵的にまずいかなって」


「確かに家出の人かと思われそう」


 一度自分の病室にもどるといってハルカは出ていった。蒼は沙也に声をかけてからロビーに向かった。


 受付の事務員にハルカの外出を申請する。


「あまり長居しないでね。夕方になると風が冷たくなるから」


「わかりました」


 ハルカはスマホをいじりながらエレベーターから出てきた。車椅子の肘かけにドリンクホルダーがあって、ペットボトルが収められている。事務員に手を振り、ロビーを出る。


 夕方とはいえ外は暑かった。海からの風に乗って砂のける甘い香が漂ってきていた。


 国道を歩く。海は堤防の向こうに見えるが、砂浜は見えない。


「俺、今度クラスの奴らと海行くんだ」


「へえ。いいじゃん」


 先を行くハルカがふりかえらずにいう。路面の小さな凹凸おうとつを車椅子の車輪が拾うためか、彼女の声はわずかに震えていた。


「でも正直、あんま行きたくない」


「なんでよ」


「集団行動とか苦手だから。人としゃべると疲れる」


「あ~……まあそうだろうとは感じてたけど」


「でもあいつら――『ワイルドファイア』小隊の連中とはもっとしゃべっておけばよかったなって思ってる。いまさらだけどな」


「うん。そうだね」


 ハルカが車椅子の肘かけに頬杖ほおづえを突く。


「最近、おお和田わだとか野沢とかの顔がすこしずつ思いだせなくなってるんだ。あれからまだ1年もたってないのに」


「私もだんだん記憶が薄れてきてる」


 ハルカはペットボトルに口をつけ、ぐっとあおる。「私も死んだらそうなるのかな」

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