3-4
しばらくのぼると、送電鉄塔が見えてきた。
背が高く、杉林をはるか下に見おろす。山深い中でその人工的な形状が周囲から浮きあがり、かえって人智を超えたもののように映る。
鉄塔の足元はひらけていた。草が短く刈られている。最近人の手が入ったようだ。
横をとおりすぎるとき、
腕時計を見る――午後2時半。日没は4時半くらいか。
速度をあげてハルカと
「今日はどこまで行くつもりなんだ?」
蒼がたずねると、彼女たちは顔を見合わせた。
「知らない。沙也、知ってる?」
「私も知らない」
「じゃあ最終的な目的地は?」
蒼の問いに、沙也がリュックサックを体の前にまわした。
「それならわかる。地図あるから」
彼女が取りだしたのは1:50000の登山用地図だった。同じものが蒼のバックパックにも入っている。
「ここだよ」
地図の上方にある山を指す。
「
蒼は登山ルートの横に書かれたコースタイムを計算してみた――現在地から5時間。日没までに行きつくのは無理だ。日没後の山歩きは避けねばならない。
「おまえら、テントは持ってきてるよな?」
ハルカと沙也がうなずくのを見て蒼は走りだした。狭い道で、人を追いこすときに肩がぶつかりそうになる。そのたびに
「おい、ちょっと止まれ」
彼が呼びかけると
「今度は何だよ」
あきれたような顔をする。蒼は彼のとなりで足を止め、息を吐いた。
「今日はもう行動をやめてさっきの鉄塔までもどった方がいい。時間が遅すぎる」
「もうちょい行けるだろ。まだ明るいぞ」
由一が空に目をやる。
「山は暗くなるときあっという間だ。暗さも半端ない。ヘッデン
蒼のことばに、由一は笑みを浮かべた。
「じゃあそうしよう。山の中に住んでる奴がいうんならまちがいない」
仲間を連れて引きかえしていく。蒼はその最後尾を歩いた。
この時間で山行を切りあげるのはやはり正解だと思った。足が重い。
彼は立ちどまり、水を飲んだ。破れたウインドシェルの下で汗が冷えていた。
鉄塔のところまでもどると、みな草の上に腰をおろしていた。1日歩いて疲れたようで、暗い顔をしてうなだれている。靴を脱ぎ、大の字になっている者もいる。
早くもテントをひろげている2人組がいた。よく見ると沙也とハルカだ。
「おーい、こっちこっち」
ハルカが手招きしてくる。蒼は鉄塔の下を
「ちょっとさあ、これやってくんない?」
オレンジのテントが地面にひろげられている。定番モデルのダブルウォールテントだ。ハルカはブレザーのポケットに手をつっこんで立っていた。
「自分でやれよ」
「できない」
「でもこれ、おまえのだろ?」
「そうだけどさあ」
蒼もこのテントは使ったことがないのでわからない。ただ設営が簡単なことで有名なモデルなので、やってやれないことはないだろう。
「取りあえずポール出して」
「これのこと?」
ハルカがスタッフバッグから棒を何本か取りだした。蒼はそれをつないでいく。
「あっ、説明書あった」
袋の中から出てきた紙を蒼は受けとってひろげた。
ポールをスリーブの中に入れ、テントを立ちあげる。上からフライシートをかぶせて留める。やはり自立式は設営が楽だ。
「すご~い。めっちゃ手際いいね」
沙也に手元をのぞきこまれる。
「あとはガイラインにペグ結んで地面に刺したら完成」
「ガイラインって何?」
「テント張るための綱のこと」
ハルカがスタッフバッグからペグを取りだす。
「私のもやってほしいなあ」
心細げな声を出す沙也に、
「私が教えてあげてもいいよ」
ハルカはなぜか偉そうなことをいう。
蒼は彼女たちから離れたところにバックパックをおろした。
平地の外縁部で、そのすぐ先では地面が切れおちて急斜面になっている。大雨が降れば地滑りで真っ先に崩れそうだが、鉄塔がまだ立っているということはだいじょうぶなのだろう。
蒼のシェルターはツエルトだった。緊急時に使うための簡易テントだ。すこしでも荷物を軽くするためにメインのシェルターとして使う人もいる。
地面に敷いて四隅をペグで留める。自立式ではないので支柱が必要だ。木の枝を2本拾ってきて幕を立ちあげた。三角柱を横倒しにしたような形をしている。狭くて天井も低いが、1人で寝るには充分だ。彼は中に荷物を置いた。
ハルカと沙也は自分たちのテントを見おろして立っている。
「うちらのと他のと、見分けつかなくない?」
「ホントだ。何か目印が欲しいな」
同じ色・同じ形のテントが草地を埋めつくしていた。蒼は違和感をおぼえたが、人気のある山のテン場に行くと定番のテントがずらりと並んでどれが自分のかわからなくなるという話を思いだし、そんなものかと納得した。
「いいこと思いついた」
ハルカが手を打ちならす。「あの変な形のの近くに置けばわかりやすい」
「それいいね」
ふたりはテントを引きずってツエルトのそばに寄せた。蒼は別のところに移動したくなったが、もうペグダウンしてしまったのでいまさら引きぬくのもめんどくさい。
「しっかり刺さないとテントが風で吹きとばされるぞ」
「手伝ってよ」
ハルカがにらんでくる。蒼は肩をすくめた。
「アドバイスはしてやる。ガイラインに足ひっかけるなよ」
「そこまでアホじゃねえわ」
ペグをすべて刺しおえて彼女は手の甲で
あたりが暗くなってきてた。やはり山では平地よりも日没が早く感じられる。
蒼はガスストーブでお湯を
ハルカと沙也もガスストーブを使っている。カップラーメンを作るようだ。
蒼はパスタの袋を開け、中にお湯を注いだ。粉末ソースを振りかけ、よく混ぜてジッパーを閉める。残ったお湯には粉末スープを溶かした。
3分待てばできあがりだ。短いパスタにクリームソースがまぶされている。本物とはちがうのかもしれないが、これはこれで美味しい。
「何食べてんの?」
カップラーメンを
「『ほうれん草クリームソースのリガトーニ』だって」
「女子力高そう」
パスタをたいらげスープを飲みほす頃には、手元もはっきり見えないくらいに暗くなっていた。空には月と星が出ている。
「山にのぼる人って暗くなったら何するわけ?」
コーヒーを飲みながら沙也がたずねてくる。それぞれのシェルターの前に座る3人は、近かった。他の者たちの話し声が遠く聞こえる。
「酒飲んで宴会する人もいるけど、俺は寝る。次の日朝早いしな」
「早いって何時くらい?」
「2時とか」
「早すぎでしょ」
ハルカが爪をいじりながらいう。「何が楽しいの、それ」
「別に早起きが楽しいわけじゃないよ。日の出を見たり、いろいろあるんだ」
蒼は父と山で過ごした夜のことを思いだした。家では会話もほとんどなかったが、テントの中、ランタンの光の下ではなぜか話せた。取りとめもない会話だった。どんな内容だったか、いまはもう思いだせない。
いまこの場所でそのときと同じ心安さを感じている自分に腹が立った。彼は「おやすみ」もいわずツエルトに入り、寝袋に潜りこんだ。
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