3-3
走りだすとすぐに体がかつての習慣を思いだし、呼吸のリズムを一定にした。毎日山道を走っていたことは無駄ではなかったのだと思う。
しばらく行くと集団に追いついた。縦に長くひろがっていて、マラソンのレース中盤以降のようだった。
最後尾にはあのランシューを履いた男がいた。足音に気づいて
一度彼らのもとを去ったのにまたもどってきて、嫌味のひとつもいわれるかと思ったが、男は「やあ」といったきりだった。蒼は軽く頭をさげて
3mほど先を
「それ――」
男が蒼の足元を指差す。「トレランシューズ?」
「ああ、うん」
蒼はうなずいた。
「トレランやってんの?」
「うん」
「この辺もよく来る?」
「こっちは来ない。メインは
「うん。トレランもやってみたいんだけどさ、ちょっと山まで距離あるから」
「俺は家のすぐ裏が山だからな」
蒼がいうと男は笑った。ランという共通の話題があるせいか、会話がスムーズに進む。人と話すのはこんなに楽だったろうかと蒼は意外に思った。
「俺、
「俺は
「陸上部とか入ってる?」
「いや。ひとりで走るのが好きだから」
「俺も」
「平日の山はけっこうひとりになれる」
「友達いない俺にぴったりだな」
野沢が笑う。何となくお互い似たキャラをしている気がした。
「トレランってどうなの? 怪我とかしない?」
「まあ、怪我はするね」
浮き石を踏み足首を
「楽しそうにしてんな。さっきまであんなキレてたのに」
「そういうこといわないの」
沙也がハルカの腕を軽く叩く。
「こういうのツンデレっていうんでしょ?」
「出た。ツンデレのまちがった使い方」
ふたりが話に加わると調子が狂ってしまって、蒼と野沢は口をつぐんだ。せっかく生じはじめた親密な空気が掻きけされてしまったように思った。
すこし行くと、前を歩いていた者との距離が縮まりはじめた。先の方で人が集まっている。
「休憩するぞ」
小さな
蒼は川をのぞきこんだ。堰を越え落ちる水の表情は、家のそばを流れる川のそれよりも
「ねえ、
沙也に呼ばれた。
彼女とハルカは折りたたみ式の座布団を敷き、その上に座っていた。蒼は地面に腰をおろす。野沢は離れたところでひとり座っていた。
飴をもらって口に放りこむ。わざとらしい
「甘いお菓子は悪魔の作りだしたものだよ」
そういってハルカが硬そうなチョコバーをかじる。
「太るからってこと?」
沙也が飴の包装を
「もっと悪いよ。人間の魂を
「甘い物作ってくれるんならいい奴っぽいけどなあ」
沙也のことばにハルカは鼻で笑った。
堕落というなら、蒼の目には真面目そうな沙也よりハルカの方が堕落して見える。髪の毛がピンク色の女子なんて彼の学校にはいない。スカートは短くて、
「そういえば、おまえだけなんで制服なの?」
「は?」
ハルカが眉をひそめる。「当たり前のこときくなよ。制服は私のユニフォームなんだよ!」
「やべえ。プルちゃんて私が思ってた以上のアホだ」
沙也が笑いだす。
蒼は周囲を見渡した。野沢がひとりでいる。由一は5人の取りまきと座っている。集団の最大
「ここにいるのはみんな高校生か?」
彼はたずねた。沙也がうなずく。
「中3の子が1人いて、あとは高校生だね」
「俺の仲間2人も高校生だった。2人とも力を持ってた。どうしてこの年の奴らばっかりが力を使えるようになるんだろう」
「それはね、病原菌が成長ホルモンに反応するから」
「どういうことだ?」
「この病気の原因になってる菌は成長ホルモンに反応して体の外に特殊な物質を作りだすんだよ。10代後半はそのホルモンが一番多い時期なのね。逆にそれ以外の年代は成長ホルモンがすくないから、菌が体内の細胞を硬化させちゃって組織が破壊される」
「そこまでわかってるのか」
「まだわからないことだらけだよ。治療法も予防法も見つかってないし。まあ、そういうのが見つかってたら私たちの力も発動しなかったかも。ねえ、プルちゃん?」
笑顔の沙也とは対照的にハルカは
「あんた、仲間がいたっていってたけど、その人たちはどうしたの」
「死んだよ。
蒼が答えると、沙也もハルカも黙りこんでしまった。
気まずくなってしまったので、空気をかえようとポケットをさぐる。
「さっきの飴のお返しにこれ……」
「何それ」
「スポーツのときに飲むジェル。吸収速くてすぐエネルギーになる」
受けとったハルカは眉間に
「何味だろ。英語で書いてあるからわかんないな」
飲み口を切って思いきり吸った彼女は大きく目を見開いた。
「オオォエエッ!
苦しげに舌を突きだし、ジェルの袋を蒼に突きかえす。
「そんなに不味いか? めちゃめちゃ甘いけど、いうほどは――あっ、これベーコン味だ。アソートパックにひとつしか入ってないやつなんだよ。当たりだな」
「ハズレだよ!」
ハルカは沙也に水をもらって飲む。
「でもアメリカ限定のレア物なんだけど」
「国外に出すなよ、そんなもん」
15分ほど休んで集団は動きだした。
砂利道が終わって本格的な山道になった。道幅が狭いため、集団は細長い
蒼は最後尾を行く野沢のひとつ前を歩いた。一度生じてしまった距離を縮めることができず、彼に話しかけられない。ハルカと沙也は前を歩いている。
集団の歩くペースは妙に速い。蒼はすこし息があがってきた。山歩きの経験がすくない者ほど最初から飛ばしていく。経験豊かな者は最初から最後までゆったりとした一定のペースを保つ。
ハルカと沙也が立ちどまり、その場にしゃがみこんだ。
何事かと思い、蒼は腰を屈めて走った。ふたりに追いつき、状況をたずねる。
「わかんない。前の人が止まったから止まっただけ」
沙也が答える。ハルカは黙って道の先を見つめていた。道が左に折れているため、集団の先頭は見えない。
蒼はふたたび走りだした。低い姿勢を保ったまま走るのはこたえる。しかも道はのぼりだ。先頭の由一が見えてきたときには息が切れていた。
「どうしたんだ」
蒼が声をかけると、由一はしゃがんだままふりかえった。そのとなりにいた長い髪の女もいっしょにふりかえる。
「この先に何かある」
そういって由一は女を見た。彼女は手をひろげ、
「私の『プローブ』が反応している。あの木――」
女が前方を指差す。「あの木とあの木の間に糸のようなものが張られている。それは何か丸いものにつながっている」
由一がしゃがんだまま歩いていく。道の上を見つめていたが、やがてパーカーのポケットからナイフを取りだし、縦に振った。
「切ったぞ、糸」
立ちあがり、女の指差す木を見まわす。何か見つけたのか、根元のあたりをさぐりはじめた。
「丸いものってこれのことか?」
由一の手にしているものに蒼は見おぼえがあった。魔骸の手の中にあったときよりも大きく見える。
「それに衝撃を与えるな」
蒼がいうと由一は口の端を吊りあげて笑った。
「そしたらどうなるんだ? 爆発するのか?」
「赤く光る。それが合図になって魔骸を呼ぶ。俺はさっきそれにやられた」
「へえ。じゃあ気をつけないとな」
そう口にするや
「おいおい、気をつけろよ。衝撃を与えたら駄目なんだろ?」
由一は笑いながら先へと進んでいった。
蒼は魔骸の球を握りしめた。殴りかからずに済ませたのは進歩だと思う。最初に会ったときよりは由一の性格に慣れてきている。
集団が彼を追いこしていく。ハルカと沙也ものぼってきた。
「何だったの?」
沙也にたずねられ、蒼は球を差しだした。
「魔骸の警報機だ。ここはもう奴らのテリトリーらしい。油断するな」
「油断はしてないよ。最初から」
ハルカが息を切らしながら彼のそばをとおりすぎる。彼は深く息を吸って彼女たちに続いた。
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