3-2

 がけの上では20人ほどの男女がそうたちを待ちうけていた。みな若く、高校生くらいに見える。


「何かすげえの連れてきたな」


 背の高い男がハルカに声をかける。ハルカは運動不足なのか、すこしののぼりで息を切らしていた。膝に手を当て、いまにもおうしそうなかっこうだ。


「そういえば、名前何ていうんだっけ?」


 沙也さやが蒼を見る。彼女もハルカほどではないが息を弾ませていた。


上原うえはら。上原蒼」


「俺はおお和田わだ由一ゆういち。『ワイルドファイア』小隊のリーダーだ」


 男が右手を差しだし、蒼の右手がやりで塞がっているのに気づいて左手にかえる。蒼はりむけて傷だらけのてのひらを一度パンツで拭い、彼と握手した。


「いつあんたがリーダーだって決めた?」


 ハルカが顔をあげる。由一と名乗った男は腰を屈めたままの彼女を見おろした。


「いいじゃねえか。『ワイルドファイア』って名前つけたの俺だし」


 どうも何かに名前をつけたがる奴に縁があるようだと蒼は思った。右腕の槍に名前をつけたしゅうすけを思いだす。


「おまえのそれ、槍か?」


 由一が指差す。


「『ブラッドレット・ランセット』。がいの血を抜く針だ」


 蒼は答えた。


っていうのはあの蜥蜴とかげのことね」


 沙也がいう。


「へえ」


 由一は皮肉っぽく笑う。「いろいろと名前をつけるのが好きみたいだな」


「そうかもな」


 蒼は鼻で笑った。


「俺の『ナイトロ・エアリアル』を見ただろ? あいつらを一瞬で灰にできる。おまえのいうをな」


 蒼は由一を観察した。スナップ式の前立てがついたマウンテンパーカーにクライミングパンツ。足元は革のハイキングシューズだ。どれも一応登山用とはいえるが、ちょっとクラシックすぎてコスプレに見える。


 もっとも、蒼の服はボロボロで、人の装備をどうこういえる立場ではなかった。由一の仲間たちは彼と同じようなアウトドアふう街着か、沙也のようにジャージを着ていた。1人、本格的なスポーツウェアの男がいたが、足元はトレランではなくロード用のランシューだった。


「おまえ、高校生か?」


 由一にたずねられ、蒼はうなずいた。


「何年だ?」


「2年」


「俺といっしょか。どこ高?」


恵成けいせい学園。くれざわの」


「ああ、あそこか」


 由一は口の端をゆがめて笑った。蒼は彼をにらみつけた。


「何か文句あんのか?」


「いや、別に」


 由一は口元をマウンテンパーカーのえりに隠した。「ちなみに俺は横山台東高校だ」


 その学校なら蒼も知っていた。進学校として有名なところだ。


「ああ、あそこか」


 蒼は相手をにらみながらいった。由一が顔の下半分を襟に隠しながら目を細める。笑ってやがる、と蒼は思った。


 由一は一度空を仰いで鼻をすすった。


「おまえ、あの町に住んでんのか? ここ来る途中の」


「ああ」


「このあたりが封鎖されてからもずっといたのか?」


「だったら何だっつーんだよ」


「いや――」


 顔は上を向いたまま、目だけが蒼を見る。「よくあんなっせえところにいられんなって思って」


「何だと……」


 体が熱くなった。病気の熱とはちがう。表面の皮一枚が白熱しているようだ。ぞっとするほど冷たい汗が噴きでる。


 蒼が向かっていっても由一は余裕の表情を崩さなかった。間に立っていたハルカと沙也が蒼の腕をつかみ、止めようとする。


「何キレてんだよ」


けんはやめて」


 制止されて蒼はかえって熱くなった。


「もういっぺんいってみろ、この野郎!」


 生まれてこの方出したことのないようなささくれた声が出た。まわりにいた者たちがふたりに割って入ろうとする。由一は冷たい目で蒼を見おろした。


「あの町は死ぬほど臭せえっていってんだよ。死んだザリガニみたいな臭いしてんぜ」


「殺す! テメエ殺してやる!」


 槍を構えて飛びかかろうとしたところを大人数に取りひしがれる。


「おい大和田、おまえいいすぎだぞ」


 1人の男が由一の襟首をつかんでいる。由一はゆっくりとその手をがした。


「俺は事実をいっただけだ。それに、先にけん売ってきたのはあいつの方だからな」


 相手から遠く引きはなされて、蒼は体に絡みつく手を振りほどいた。


「その槍、危ないから消しなよ」


 沙也がいう。彼女の小さな手はまだ蒼のそでをつかんでいた。


 蒼は右腕を地面と水平にして槍を爆発させた。破片が飛びちり、つちぼこりが舞いあがる。


「便利なんだか不便なんだかわかんないな、それ」


 ハルカがブレザーのすそを手で払った。


 蒼はさっきまで自分を押さえていた者たちから離れて立った。下唇が切れている。血をめとってつばといっしょに吐きだすと、乾いた砂利の上で白い泡に朱が差す。


 あの町のことを悪くいわれるのは耐えられなかった。余所よそものに何がわかるというのか。住民が死に絶えるのを見届けた自分以外に何がいえるというのか。


「ねえ――」


 ハルカが歩みより、顔をのぞきこんでくる。「ホントにあの臭い、感じてないの?」


「え?」


 また馬鹿にされているのかと思った。だが彼女の目にあざけりの色は見られない。


「何も……感じなかったけど」


「私たち、湖のそば歩いてる時点でそれに気づいたよ。酸っぱいような臭い。この先で人がたくさん死んだんだって、すぐにわかった」


「でも……俺は……」


 蒼は鼻を手でこすった。汗と土の臭いがする。きゅうかくが失われているわけではない。


 ずっとしゅうに染まっていたのだ。彼の体からもきっと同じ臭いがする。あの町はあまりにも死に満ちていた。


「そろそろ出発すんぞ」


 由一の号令で集団が動きだす。彼はふりかえり、蒼の方を見た。


「正義の味方が来たからおまえはもう帰っていい。あの町でゆっくり休んでな。服も着がえろ」


 蒼はボロボロになったウインドシェルを見おろした。


「私たち、山奥に行く。魔骸を倒すために」


 沙也がジャージの袖をまくる。「上原くんも来てくれると助かるんだけど」


 蒼は動かなかった。


 1人の男が両手にバックパックを提げてやってきた。沙也とハルカにひとつずつ手渡す。崖から飛びおりる前に預けてあったようだ。


 ハルカは黒いバックパックを背負い、ショルダーストラップをつかんで一度ジャンプした。


「なんで力を持ってんのに人のために使わないの? わけわからん」


 蒼は答えない。


 彼女たちが山の奥へと去るのを彼はひとり見送った。


 あの仲間に入るつもりはない。彼らと同道すればあの町でひとり過ごした時間、脩介やみもりとともに戦った記憶、魔骸を皆殺しにするという夢がけがされてしまうと思った。


 これは夢のためにやっていることなのだ。遊びではない。期末試験後の打ちあげみたいなノリを持ちこまれるのは我慢ならなかった。


 バックパックのサイドポケットをさぐる。水のペットボトルを入れておいたのだが、なくなっていた。滑落かつらくしたときに落としたものか。


 仕方がないのでバックパックをおろし、中から水筒を取りだす。来るときに家のそばの川でんだ水だ。


 すこしぬるくなったのを口に含む。一口では足りず、一気にボトル半分飲んでしまう。


 もう帰らなくては。あの町が守るべきもので、あの町が自分にとっての戦場だ――そう思いこもうとするが、一方でそれを打ちけそうとするものがある。


 こちらを見くだすような由一の目、協力しないと知って失望したような沙也の表情、何もかもを小馬鹿にしたようなハルカの口ぶり。


 そんなものとは無縁でいたかった。ずっとひとりで戦っていたかった。その方が気楽でいい。


 半透明のボトルを日にかした。帰り道のことを考えると補給しておいた方がいいだろう。


 先ほどのぼった道を使って谷底におりる。岸にしゃがみこみ、流れの水を汲んだ。飲んでみると冷たい。家のそばの川よりもずっと温度が低かった。


 手ですくって顔を洗う。頭の中が冴えわたる。余計な考えが洗いながされ、純粋なものだけが残った。


 蒼には夢しかない。それ以外の感情だとか欲求だとか願望だとかは余計なものだった。


 いま彼は、由一の悪意や集団に溶けこむ気まずさから逃れて、心の平安を得ている。そんな安らぎさえも余計だ。夢の前では何の価値もない。


 魔骸を全滅させるなら味方は多い方がいい――それがわかっているのなら、なぜ動こうとしないのか。


 夢を抱く前の日々をおおっていたたい逡巡しゅんじゅん諦念ていねんは、悪だ。それらをある種の人間味と考える甘さは、悪だ。


 彼は夢に向かって純粋に生きたかった。泳ぐのをやめたら死んでしまう魚だとか空に飛びたって半日で子孫を残し寿命を迎える虫のように、生きることとその目的とを直結させたかった。


 そのためなら壊れてしまってもいい。夢かなっても破れても、彼の一部は壊れて元にもどらないだろう。壊れるのはもしかすると自分のすべてかもしれない。


 それでいい。それでこそ夢だ。この身をすにふさわしいものだ。


 余計なことを考える心など殺せ。まっすぐにつらぬく槍になれ。


 彼は靴紐くつひもを結びなおした。まだ湿っている紐は結び目が固く締まった。

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