2-5

 がいの死体は埋めなかった。


 前日の戦闘で路面に血が染みこんだ。敵はかならずそれを目にする。あの場で何が起こったかもっとわかりやすくするため、死体の切れ端を転がしておく。湖へ向けて点々と置いて、おびきよせる。


「むかしザリガニ釣ってて餌なくなっちゃったんで、釣ったザリガニ引きちぎって餌にしたことあるんですけど、そしたら結構釣れましたね。あいつら馬鹿だから食えりゃ何でもいいんですよ。それと同じようなもんです」


 しゅうすけが笑う。そうはうなずいた。確かに、奴らに上等な餌は必要ない。同じ蜥蜴とかげの血と肉と糞をその口に詰めこんでやる。


 トンネルは隠れる場所がないので避け、そこを抜けた先に布陣する。


 途中に踏切がある。敵がそれを越えたら攻撃開始だ。


 餌は充分にいた。あとは食いつくのを待つだけだ。メインディッシュも用意してある。昨日殺した連中の首を切りおとして電柱に吊るした。これを見た魔骸はどんな顔をするだろう。人間の目ではその表情を見分けられないが。


 ここが奴らの終着地点だ。ここから先には行かせない。あともどりも許さない。


 脩介が突きあたりにある民家の2階にのぼった。トンネルを抜け踏切を渡る魔骸たちを正面から捉えられる位置だ。


 蒼とみもりは道路沿いの公民館に入りこんだ。


 ふたりの間に会話はなかった。すこし離れて椅子に座る。2階にある会議室は清潔で、テーブルも椅子もきちんと整頓されていた。


 みもりはウインドブレーカーのジッパーを一番上まで閉めている。シャカシャカいう黒い布にあの大きな胸も細い腰も隠されている。裸の肩越しに見せたあのほほえみも消えていた。夜の川で肌を見せあい触れあわせたことが蒼には遠い記憶のように感じられた。


 昨日の戦いのせいか、目ざめたときから熱がある。彼はねつざいを4錠取ってかじった。みもりがとがめるような目で見た。


 戦いは走ることに似ていると蒼は思った。敵とやりあうのは一瞬だが、敵を待つのが長い。ゴールに向かって地道に歩を進めていく。殺しの時間に向けて静かに気持ちを高めていく。その時間も戦いの一部だ。


 吊るした首から黒ずんだ汁がぼたぼたと一定のリズムで地面に落ちる。原始的な時計のようだと蒼は思った。


 午後になって敵がやってきた。音がしたのでそれとわかった。


 窓からそっとのぞくと、トンネルを抜けてくる敵の一隊が見えた。停電でライトの消えたトンネルは暗く、魔骸たちの放つ赤と青の光がよく目立つ。


「ねえ、あいつら耳聞こえないのかな。敵がいるかもしれないのにあんな音立てるなんて、おかしくない?」


 みもりが蒼の肩に触れた。


 魔骸は乗り物に乗っている。白い木馬のようなものに1体がまたがり、うしろにもう1体が座る。木馬には足も車輪もなく、宙に浮いたまま進む。可動部が見当たらないので静かそうだが、実際にはキーンと耳障りな音を立てる。


 木馬は2台ある。それぞれに魔骸が2体ずつ乗り、そのうしろに徒歩の者が4体。全部で8体が2列縦隊でやってくる。


 蒼は窓のそばを離れ、反対側の窓に移った。向こうの建物にいる脩介と目が合う。彼は親指を立てて準備ができていることを知らせてきた。


 みもりとともに1階におりる。表に出て建物の陰から顔を出すと、そこからは踏切が見えた。


 敵が8体もいるというのは想定より多かったが、攻撃は計画どおり行う。みもりがてのひらを踏切の方に向ける。蒼は右腕にやりを出した。


 大きな音を立てながら魔骸たちがやってくる。最後尾が踏切を越えたとき、金属の壁ができて退路を断った。みもりの能力だ。


 奴らは耳が聞こえないのではなく単に勘が鈍いだけなのではないかと蒼は思った。自分たちが袋のねずみであることに気づいてあわてだしたのは、先頭のものが脩介の弾丸で胸を貫かれてからのことだった。


 弾丸は木馬の背中も砕いた。ふたつに裂けた機体が火を吹いて跳ねあがる。うしろに乗っていたものが飛びおりる。


 次弾はもう1台の木馬を破壊した。乗っていた2体は身をかわして無傷だった。


 蒼は建物の陰からおどりでた。昨日の戦いとちがい、すぐ目の前に敵がいる。徒歩で来た連中だ。脩介の放つ弾丸に気を取られていて、こちらには目もくれない。蒼はをしているような気分になった。


 槍を横殴りに叩きつけると、魔骸の体は腰から裂けた。はらわたが飛散し、となりの魔骸にかかる。そいつがふりかえることも許さず、蒼は槍で突き刺し、爆破して粉々にした。


 返り血を顔に浴びる。ウインドシェルが黒く染まる。慈雨じうを葉に受ける樹木のように彼はよろこびに震えた。


 道の向こうに2体の魔骸が立っている。2体は腰から棒のようなものを取りはずした。棒は両端が伸び、赤く光る。それを使ってやりあうつもりらしい。


 蒼はすこし慎重になった。敵の武器がどんなものかわからない。


 新たな槍を生成し、じわりじわりと距離を縮めていく。そこに何か飛んでくる気配があった。彼は反射的にしゃがみこんだ。


 それは彼の頭上を越えていった。踏切のアスファルトが砕け、線路のレールが折れまがる。


 魔骸が飛びのき、ブロック塀の陰に隠れた。そこを弾丸がえぐる。


「隠れてんじゃねえぞコラァ!」


 脩介がベランダに出て叫んでいる。「この腰抜け野郎ども、逃げてねえでかかってこいよ! 俺がぶっ殺してやる!」


 魔骸たちはすっかり身を隠してしまった。道の上に立っているのは蒼だけだ。片腕に長い槍をつけて所在なくしている自分が道化のように思えた。


 屋内に隠れて敵を狙い撃つというはずだったのに、脩介は姿を現している。両腕を前方に伸ばし、その間から光る弾丸を発射する。弾丸は自動車に穴を空け、電柱をへし折る。脩介は笑っていた。蒼がひさびさに聞いた人の高笑いは無人の町で不穏に響いた。


「先輩――」


 脩介が手を振ってくる。「こいつら全然駄目ですねえ。やる気ないみたいですよ。つまんないッスね」


 蒼も手を振った。脩介の後方を指差し、家の中に入るよう指示する。脩介が口の端をゆがめて笑う。なめられていると感じて蒼は彼をにらみつけた。


 車の陰に隠れていた魔骸が身を乗りだして何かを放った。黒い小さな球が脩介のいる家の方に飛んでいく。


 排水口に吸いこまれていく水のように、光景がうずをなした。家の屋根が音もなく歪む。壁も窓も形をかえる。脩介の姿もそこにみこまれていく。


 光と音が弾けた。蒼はとっさに左手を顔の前にかざした。


 何かが体にぶつかる。いしつぶてのようなものが肩に当たり、地面に落ちた。見あげると、空からコンクリート片や木片が無数に降ってきていた。こぶし大の塊が頭をかすめて、蒼はうめいた。


 脩介のいた家の2階部分が何かに食いちぎられたかのように消失していた。彼の姿は見えない。


 蒼は周囲に目を走らせた。異変に勘づいて間一髪で2階から飛びおりたのかもしれない。道路の上にいないのは、どこかに隠れた可能性が――


 息が苦しくなった。爆音に耳がやられて平衡へいこう感覚が失われている。倒れそうになる。


 脩介が助からなかったことはわかっていた。魔骸の投げた球で空間が歪んだとき、彼の体も歪み、人間の形を失って見えた。腕はねじれ、首は折れ、頭は2倍以上に伸びていた。あの球の原理は知らないが、人間があんなことをされて生きていられるとは思えない。


 建物がなくなることと人がいなくなることは、同じ町の一部であっても、まったくちがった。目に見えるものだけではなく、自分の心も持っていかれる。ひと続きの記憶が断ち切られ、血が噴きでる。


 脩介という男は、はじめて会ったときから偉そうで、何でもわかっているふうなことをいって、みもりとも親しげで、気に食わなかった。それでも、彼が敵に消しとばされて蒼の心は痛んだ。


 深呼吸をする。脩介とともに奪いとられた自分の一部を取りもどそうとする。他が死んでも自分はまだ生きねばならない。やるべきことがまだある。


 先ほどの2体が物陰から出てきた。赤く光る棒を両手で持って構える。がなくなり、これで格闘戦に専念できるというわけだ。蒼は向かってくる魔骸をにらみつける。こちらもやることがシンプルになった。いまのところ勝負は五分だ。


 彼は敵のふところへと一直線につっこみ、まっすぐに突いた。魔骸は体が大きいためか、動きが鈍い。光る棒で槍を受けようとするが、蒼の勢いが勝った。棒に弾かれた槍がよろいの隙間に刺さる。鎧が鮮やかに光った。蒼が槍を横に払うとそれはいっそう鮮やかになる。裂けた腹から腸が流れおちた。手で押さえようとして魔骸は棒を取りおとした。蒼は地面に垂れた臓物を踏みにじってやる。魔骸は倒れ、鎧の光は消えた。


 もう1体の魔骸が上段に構えて打ちかかってきた。蒼は槍を水平にして受けとめた。力が強く、押しこまれる。棒の光が顔に迫った。熱くて眉毛が焼けそうだ。


「上原、うしろ!」


 背後でみもりの声がして、蒼はふりかえった。


 魔骸が3体、こちらに向かってくる。木馬に乗っていた奴らだ。手に手に武器を持っている――赤く光る棒、犬を殺したのと同じ銃。


 そしてその向こうになぜかみもりがいた。彼女には敵を殺すための力がない。戦いが終わるまで隠れていることになっていたはずだ。


 槍に圧力がかかり、蒼は正面に向きなおった。魔骸は上から体重をかけて彼を押しつぶそうとする。


 一瞬、相手の力がゆるんだ。チャンスと見て蒼は押しかえす。


 そこを蹴られた。


 魔骸の爪先が腹に突きささり、蒼の体は吹きとんだ。背中と後頭部を塀にぶつける。


 蹴りがみぞおちに入って息が詰まり、ぶつけたところは痛かったが、蒼はすばやく立ちあがり、槍を構えた。うしろから敵が来ているのだ。ぐずぐずしてはいられない。


 ふと気づいて、手で背後の塀をさぐった。硬くてざらざらしている。? こんなところに塀があったか? ここに塀があるなら、あの魔骸たちはどこに行ったんだ?


 ふりかえると、赤と青の光が目に刺さった。黒い金属の壁が道路を縦断している。踏切から脩介のいた家まで、蒼の視線を遮って立つ。


 みもりの力だ。これほどまでに長い壁を出せるとは思いも寄らなかった。


若宮わかみや! どうなってる!」


 壁の向こうに呼びかけても返事はなかった。


 背後の気配に蒼はふりかえった。魔骸が棒を振りかぶり、襲ってくる。彼はすんでのところでかわした。空を切った棒が壁を打ち、火花が散る。


 さっきまで心の迷いがあった――つばりあいを続けるか、背後からの敵に立ちむかうか。そんな選択肢がいまはすっかり頭から消えていた。


 魔骸どもを皆殺しにするという夢の前で、選ぶとか迷うとか計算するだとか、そんなことをいっている余裕はない。一瞬一瞬に全力で打ちこまなければ成しとげられないことなのだ。


 夢とは力であり運動だ。頭の中でこねくりまわす考えなど何の役にも立たない。


 蒼はがむしゃらに突いて出た。魔骸も打ちかえしてくる。一合、二合、ぶつかりあう武器が硬い音を響かせる。


 スピードでは蒼が勝っているが、パワーは魔骸の方が上だ。徐々に槍を大きく弾かれるようになる。


 負けじと蒼は体を反らし、全身のバネを使って槍を叩きつけた。それでもやすやすと受けられてしまう。


 まだ足りない。力が足りない。


 空いている左腕を振り、その反動を利用してさらに強い打撃を見舞う。魔骸の圧力がやや減ずる。


 もっとだ。もっと力がいる。


 自分の力に自分で限界を作ってはいけない。右手にこの槍があることも、病を得る前なら信じられなかっただろう。


 信じること、願うことが力をさらに強くする。


 たとえば左手。なぜこちらには槍が出せないと決めつけるのか。信じれば、願えば、それは不可能でなくなる。


 蒼は真っ向から槍を打ちおろした。魔骸が水平に構えた棒で受ける。蒼の左手は空いている。これも武器になると彼は信じた。願った。


 皮膚が引きつる。なじみの感覚だ。


 右腕1本で相手と押しあいながら、左腕を下からりあげるようにして振った。風を切る音がした。


 魔骸の武器を持つ手が切断された。あふれる血が地面に落ちた手と棒を濡らす。鎧が鮮やかに光る。


 魔骸が口を大きく開けてえかかるが、腐ったような臭いの息が漏れるばかりで声は出なかった。そこに蒼は伸びあがって突きを食らわせた。左手の槍は右手のそれに劣らず鋭い。魔骸の口からがいを貫く。と念じると、槍とともに蜥蜴頭が弾けとんだ。黒い飛沫しぶきを蒼は顔に浴びた。


 首のなくなった魔骸の体が倒れるのと同時に、道を縦断していた壁が砂となって崩れおちた。風に砂粒が舞い、きらきらと光る。


 ついさっきまで蒼が隠れていた公民館の前に魔骸が3体立っていた。ひたいを寄せあって、まるで井戸端会議をしているようだ。


 その内の1体が人の腕をつかんでいた。駄々をこねて泣き疲れた子供のようにその人はぐったりと魔骸の手にぶらさがる。黒いウインドブレーカーに見おぼえがあった。喉が白くのぞく。


 左腕が引きつる。その感覚が蒼のすべてを支配する。


 我に返ったとき、彼はみもりを見おろして立っていた。地面に仰向けで横たわる彼女は片手を頭上に伸ばして、気のない背泳ぎのようなかっこうだった。スニーカーが片方脱げている。靴下は土まみれで黒い。ウインドブレーカーの黒が血に濡れてにじむ。彼女の体にはり裂かれたあとがいくつもあった。


 顔には薄笑いに似た表情が残っていた。同級生をいじっているときにする顔。教室で、遠くから見たことがある。蒼は掌を当ててまぶたを閉じてやった。血が顔を汚してしまう。彼の手は返り血にまみれていた。


 周囲には彼の斬り刻んだ魔骸の死体が転がる。それらとみもりとはまったくちがった。彼女を見ていると悲しくなる。形が同じだからだろうか。彼女のこれまで生きてきた時間が、ずっと見てきたわけでもないのに、重くのしかかってくる。自分が手にかけたわけでもないのに、自分が殺したように思う。


 それでも涙は出なかった。もう泣かないと決めたからなのか、死者たちに奪いとられて自分の中身が空っぽになってしまったせいなのか。目頭は熱くなるが、奥からこみあげてくるものは何もない。


 蒼は背中と膝の裏に手を当て、みもりの体を持ちあげた。彼女の頭が蒼の胸にもたれかかる。甘えているようでも、胸に耳を当ててその鼓動を聴いているようでもある。だが蒼には甘えられたところで分けあたえられるものなどないし、胸の奥に響くものもない。


 彼は空っぽだった。


 みもりの体は重い。垂れさがる手足が揺れて、空っぽの蒼はふらつく。血溜まりを踏むと飛沫が跳ねる。みもりの傷は背中まで貫通していて、糸を引いて落ちる血が血溜まりに溶けてひとつになる。


 蒼は涙を流さない。自分が血に染めた町をただ見つめている。


   ◀▶   ◀▶   ◀▶


 エアコンが甘えるように鳴いた。うっすらと肌があわっていることに蒼は気づいた。


 立ちあがり、壁の操作盤に向かう。設定温度をあげようとして、病室を見渡す。彼以外は適温と感じているのかもしれない。


 ハルカは窓枠に手をかけ、窓越しの日差しを浴びていた。日焼けをいとうそぶりは見えない。むしろ太陽に白く輝く肌を誇っているかのようでもある。光の当たったびょうかして二の腕と体のシルエットが浮かびあがった。その痛ましいほどの細さがぼんやりとほのめかされる。


 窓の外を見つめる彼女は日のまぶしさに顔をしかめている。涙をこらえている表情にも見えた。


 大槻おおつきは両手で持った紙コップを見つめる。空の紙コップは手の中で潰れていた。


 彼らは無言だった。死の話は聴く者の中も空っぽにする。


 蒼はエアコンの設定温度をあげた。誰も文句をいわない。


 ベッドの上の沙也さやも黙っている。彼女は空っぽだ。蒼やハルカやその他のあらゆる者たちが彼女を空っぽにしてしまった。


 蒼は元の椅子にもどった。サイドテーブルに置かれた花がエアコンの風を浴びて揺れている。空っぽの彼女に贈った花。


 死者に花を手向たむけたことはない。父母にも犬にも脩介にもみもりに対しても花を供えるということはしなかった。なぜなのだろうと考える。彼らをいたむ気持ちはあったのに。


 おそらくそれは彼が敵を殺していたからだ。それまで殺してきて、それからも殺した。死者の平穏を祈る資格などないと思った。


 いまならどうだろう。戦いの終わったいまなら。


「いい人ほど早く死ぬんだね」


 ハルカが窓の外を見つめながらいった。「いや、そうでもないか。私生きてるしな」

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