2-3

 翌朝、3人は谷の奥へと入りこんだ。


 みもりとしゅうすけは寝袋を持っていなかったので、夜はさわ家のベッドで眠った。食べ物は缶詰とお菓子を持ってきていた。そうがガスストーブでお湯を沸かし、カップラーメンを食わせてやると、温かい食べ物はひさしぶりだといってふたりとも喜んで食べた。


 谷の奥、小学校の向こうは、道が細く、人家もすくない。


 蒼とみもりは小さな神社の陰に隠れた。脩介は作業用の階段を使ってコンクリートで固められた斜面をのぼり、そこから道路を見おろした。


 蜥蜴とかげたちを待ち伏せする。一本道で、左右は川と急な斜面に挟まれている。前後からきょうげきすれば逃げ道はない。


 神社の社殿は公園にある四阿あずまやのような隙間だらけの造りだった。土台の石垣に寄りかかるとかわを見おろせた。この神社は水の神様をまつっているのかもしれないと蒼は思った。


 朝から熱がある。昨日、やりを出したせいか。


 みもりからもらったねつざいむ。家にあったものより粒が小さい。4錠かじって呑みくだすと、みもりに肩を叩かれた。


「それ1回1錠だよ。あと、水といっしょに呑んで」


「こっちの方が効く」


 蒼がいうとみもりは不服そうに口をとがらせた。


 くもり空の下で彼女の肌は白く輝いていた。ふだん彼女が化粧をしているかどうかは知らないが、いまは教室で会うときよりも目が小さく見えた。あごに小さなニキビがひとつ、ぽつんと赤くある。その肌に触れてみたくなる。蒼の体のどこをさがしても、こんなに滑らかそうな部位はない。


 この町に蒼とみもり、脩介の3人しかいないと思うと、ひとりひとりの存在がとても大きく感じられる。見慣れた顔が、ひとつの命として光景の中に立ちあがってくる。


 教室ではなかなか話せなくて、なぜか目で追ってしまって、女友達とばかりおしゃべりしていて、蒼には理解のできない単語ばかり並べて――近くにいても遠い人だった。


 どんな人かと問われて好ましいイメージは浮かぶが、蒼の心の中に具体的な像は浮かばなかった。


 だがいま目の前にいる彼女は息をして、ものを食べ、排泄はいせつをして、血を流して、いずれ死ぬ。命だった。生々しいともけがらわしいとも思わない。そうしたものとして、蒼は受けいれた。


 彼は彼女を見ていた。彼女もまた彼を見ていた。彼女の瞳に彼が映り、彼の像が彼女の心に結ぶ。


 彼は目を川に移した。鈍い色の水面に波が鈍く立つ。自分の命はその波のひとつだと彼は思った。この世界に起こり、となりに立つ波を待つこともなく消える。


 背中をつつかれた。みもりが道の向こうを見ている。


 斜面の上で脩介が谷の奥を指差していた。もう片方の手を顔の前に出し、指を3本立てる。


 敵が来たのだ。


 道に沿って神社の参道がある。その鳥居の横を敵がとおりすぎたら攻撃準備に入る。社殿のそばに来るまでに攻撃を開始する――脩介と前もって打ちあわせておいたことだ。


 その区間を脩介は「キルゾーン」と呼んだ。


「『ステリライザー』の射線に入らないでくださいね。フレンドリーファイアとか怖いんで」


 朝食のとき、脩介が地図をひろげていった。蒼はわずかに顔をしかめた。


「そういうの、どこでおぼえてくるんだ?」


「FPSとかやってれば自然と身につきますよ」


 脩介は薄く笑い、マグカップのコーヒーをすすった。


 彼の態度が蒼は気に入らなかった。戦いを楽しんでいるような節がある。怒りや憎しみを胸に戦う自分とはあいれない。


 だがそれも仕方のないことだと思いなおす。脩介は蒼があの夜体育館で見たものを見ていない。蒼もまた、脩介の見たものを知らない。


 わかってもらおうとは思わないし、わかろうとする気もない。


 蒼はボトルの水を飲んだ。ふたを閉め、石垣の上に置く。中で揺れる水をみもりが見つめている。


 ここにもどってこられるかはわからない。もどってこられなければこの水は、透明なボトルの中で流れることも風に波立つこともなく、留まりつづけるだろう。


 敵は3体いた。脩介のいうがいだ。


 谷の奥からやってくる。1体が先行し、2体が横並びで続く。うしろの2体は体を向きあわせ、胸の光をしきりに点滅させていた。


 みもりが社殿に向けて両のてのひらを突きだす。斜面の上で脩介が弾丸を発射する構えを取る。


 魔骸たちは何も知らずに死地へ足を踏みいれようとしている。


 蒼は右腕に槍を出した。人に見られて力が発揮できるか不安だったが、かえって槍は鋭い。ひとりで魔骸を倒したとき、もしタイミングが合わなかったり気が乗らなかったりすればその機を見送ることもできた。いまはひとりではない。共闘している。自分の都合で計画を先延ばしにするわけにはいかない。


 奴らは死ななければならず、槍は血を吸わねばならない。


 魔骸たちが鳥居の横をとおりすぎる。背が高いので頭が笠木の上に出る。


 3体もいると足音が地響きのようだ。小さな目が周囲をうかがっている。蒼は石垣からのぞかせていた顔をすこしひっこめた。


 荒い息遣いきづかいが聞こえる。息を吸うたびのどが大きく膨らむ。


 奴らは生きている。だから死ぬ。


 魔骸たちの足が止まる。道の上に突如現れた金属の柱にぎょっとしている。


 赤と青に光る柱を魔骸たちは見つめている。自分たちと同じ光に何を思うのか。


 柱がひろがり、けあい、壁となる。壁は道を塞ぐ。


 蒼のとなりでみもりが歯を食いしばっている。


 脩介の方を見る。斜面の上、突きだした腕の間が光っていた。


 光が弾ける。


 金属の弾丸が魔骸の胸を貫き、路面を砕いた。魔骸は声もあげずに倒れた。


 残りの2体がそちらをふりむく。どちらも神社に背を向けていた。


 蒼は駆けだした。


 魔骸は倒れた仲間を遠巻きに見ている。まだこちらは向かない。


 蒼は走る。槍の重さは感じないが、右腕だけ長くなったためにすこしバランスが悪かった。


 社殿の裏から道路まで、わずかな距離だと思ったが、なかなかたどりつかない。


 いったいどうなっているのか、いくら足を動かしてもスピードがあがらない。このままでは奴らに気づかれてしまう。


 魔骸の1体がこちらに顔を向けた。小さな目に黒目しかないのを蒼ははっきりと見た。


 ストライドをひろげ、そちらに踏みこむ。路面の砂ですこし足が滑る。


 槍のついた腕を振りはじめてから、すこし遠すぎるのではないかと思った。だがもう止めるわけにはいかない。敵がこちらに向きなおろうとしている。


 体をねじり、りあげるようにして敵の脚にりつけた。


 ごたえはなかった。


 敵の右脚が付根から断たれて飛んだ。コンクリートの法面のりめんにぶつかり、と重たい音を立てる。


 血がほとばしり、路面を汚した。魔骸は痙攣けいれんしたように体を震わせ、倒れた。


 残る1体に目を向ける。それは手にした棒状のものを蒼に向けていた。


 犬を殺されたときの記憶が蘇る。


 彼はとっさに左手を顔の前にかざし、目をつぶった。


 時間が止まったようだった。犬の体を焼いたあの光線はやってこなかった。


 目を開けると、金属の壁が立っていた。


上原うえはら先輩、だいじょうぶですか?」


 斜面の上から脩介が呼びかけてくる。両腕は弾丸を発射する構えのままだった。


 蒼はうなずいて応えた。距離があるためか、脩介の反応はなかった。


 金属の壁が崩れ、道の上にれきの山ができた。その向こうに魔骸の死体が転がっていた。頭が吹きとんでいるので、死んでいると一目でわかる。脩介のやったものだろう。


「ギリギリセーフだったね」


 みもりが神社の方からやってくる。蒼は手を顔の前にかざしたままであることに気づき、構えを解いた。冷たい汗が背中を伝う。


「若宮のおかげで助かった」


 彼がいうと、みもりは誇らしげに笑った。


「それが私の役割だからね」


 階段をおりて脩介がやってくる。


「ヘッドショットだ。完璧」


 頭のない死体を爪先で押す。蒼はそれをじっと見つめた。みもりの壁がなければ倒れていたのは自分だったろう。


「あとは胸をブチぬいた奴と――」


 脩介が道の上を見渡す。「あっ、あいつ生きてますよ。先輩がやった奴」


 蒼はふりかえった。


 左脚を失った魔骸がっていた。下半身を血溜まりに沈めながら、そこから逃れようと路面に爪を立て、体を引きずる。失血の量からして、おそらくもう長くはない。


「おいおい、どこ行くつもりだ」


 脩介があとを追う。蒼もそれに続いた。


 奴らがどこに行くかは決まっている――地獄だ。


 魔骸が這うのをやめた。その頭のそばで脩介がしゃがみこむ。


「先輩、見てくださいよ」


 路面に置かれた大きな手の中に脩介が指をつっこみ、何かをつまみだす。曇り空の下でそれは白く輝いた。


「これ、お守り的なやつですかね」


 脩介が顔を近づける。黒い鎖の先に三角形の石がついていた。日の光に輝いているようだったが、よく見ると内から光を放っている。


「返してやれ」


 蒼はいった。


 道路に横たわる魔骸が目を脩介の持つ石に向けている。ぎょうこうによってその石が降ってきたなら受けとめるのだというように掌が天に向けて開かれる。


 脩介が挑むような目つきで蒼を見た。


? なんでですか」


「こいつにはそれが必要だ」


 蒼は答えた。


 脩介は蒼をにらみつけていたが、鼻からひとつ息を吐いて石を放った。


 路面に落ちたそれに魔骸は手を伸ばし、握りこんだ。


 蒼はその背中に槍を突きたてた。と念じる。


 槍がぜる。魔骸が肉片と化し、弾けとぶ。


 蒼は血と肉を正面から浴びた。鉄と糞便の臭いがした。


 こいつらは地獄に行く。こいつらの地獄がどんなだかは知らないが、掌に収まるくらいの救いなら持たせてやってもいい。


「こういうの、前もっていっといてもらえませんかねえ」


 脩介が眉根をひそめて唾を吐く。彼の顔は血に濡れ、肉片や骨片がウィンドブレーカーに張りついていた。


「察しろよ」


 蒼は右手で顔を拭った。槍に包まれたこちらの手だけは汚れていない。


「先輩、協調性ないっていわれません?」


 脩介は血だらけになった自分の体を見おろし、ため息をついた。


 蒼はきびすを返し、歩きだした。


 指の先から血がしたたりおちる。こびりついた肉片ががれる。この身に魔骸の命がまとわりついていると思った。


 みもりと目が合う。顔も体も強張らせている。


 何もいわず蒼は、彼女のそばをとおりすぎた。血の臭いに混じってかすかに彼女の髪が香った。

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