2-2

 廊下に立っていたのは、同じクラスの若宮わかみやみもりだった。


 そうは驚きのあまり、先ほどまでの緊張感も殺意も忘れてしまった。


 みもりはあいかわらず幼く映る顔つきをしていたが、家の中が暗いせいか、いまはその表情にどことなくけんがあった。手にした懐中電灯が蒼の胸を照らして揺れる。


「ひょっとしたらって思って来てみたんだけど、ホントにいた」


「とりあえずこの包丁、しまってもらえませんかね」


 男がいう。蒼は一度そちらをにらみつけ、切先きっさきをおろした。


「彼はせきしゅうすけくん。うちのバスケ部の1年生」


 みもりがいうと、脩介と呼ばれた男は「どうも」といって頭をさげた。蒼はこたえない。


「ねえ、上原うえはらはなんで自分の家で靴履いてんの」


 懐中電灯の光が蒼の足元に行く。みもりと脩介は靴下履きだ。


「いいんだよ。どうせもう自衛隊の奴らが土足で歩きまわったあとだから」


「自衛隊が?」


 脩介が蒼の正面にまわりこんできた。「先輩、もしやスマホ持っていかれました?」


 蒼は眉をひそめた。


「どうしてわかった?」


「あいつらスマホの電波を探知してるんですよ。僕らもそれで捕まりそうになりました。みもり先輩がスマホ持ってたから」


「でもそのおかげで上原とLYNEできて、生きてるってわかったよ」


 みもりのことばに脩介が苦笑する。


「あのときマジでやばかったじゃないですか。自衛隊すぐそこまで来てて」


「でも見つからなかったからセーフ」


 みもりも笑う。脩介はため息をつき、蒼の方を見た。


「スマホって常に電波出してるんですよ。それを停めたかったらバッテリーはずさないと」


「それで関くんに私のスマホ分解されちゃったんだよ。ひどくない?」


 急に問いを投げかけられ、蒼はとまどった。「それはひどいな」といって脩介を責めるべきなのか。仕方のないことだとみもりをたしなめるべきか。


 ずっとひとりでいたせいか、他人のいいたいことをしはかる能力がびついてしまっている。


「なんで自衛隊がスマホの探知なんかするんだ」


 蒼がいうと脩介が薄く笑った。


「ここ、人がいないことになってるんですよ。避難区域に指定されてるんで。その中にいる奴がSNSに写真アップしたりしたらやばいじゃないですか」


「上原は外の人と連絡取ったりした?」


 みもりにたずねられ、蒼は首を横に振った。


「これ、もらっていいですか」


 脩介が上着のポケットから紙パックのジュースを取りだした。冷蔵庫に入っていたものだ。蒼の返事を待たずに脩介はストローを刺し、飲みはじめた。


「外のニュース見ました? 死者1000人とかいってますけど、たぶんそんなもんじゃないですよ。津久見つくみ市のあおい区がほぼ全滅で、くれざわ市の中心部もやられてる」


 蒼はあの夜のことを思った。体育館の床に横たえられていた人を見ただけで彼の心は壊れかけた。あれより多くの死など、想像することも受けいれることもできない。


「この辺に住んでた人たちはみんな死んだ。俺の親も」


「うちの親と弟もです」


 脩介がうつむいた。


「私の両親も」


 みもりが下唇をむ。「クラスの人たちもバスケ部員も、たぶんみんな死んでる。関くんだけが連絡ついて、合流できた」


 みもりと脩介を見ていて蒼は、家に入りこまれ、人数で負けていることから、自分を受け身の存在、劣位にある者と考えていたが、それはちがった。


 ふたりは傷ついていた。死の影に追われていた。


 蒼はちがう。傷つける側であり、を追う側だ。


「見せたいものがある」


 蒼は廊下を歩きだした。靴底がおお袈裟げさな足音を立てる。みもりは脩介と同じウインドブレーカーを着ていて、歩くたび乾いたきぬれが聞こえた。


 家の外に出た蒼はあたりを見渡した。熱が出てきたのか、冷たい夜風が肌にこころよかった。


「いいというまで懐中電灯はけないでくれ」


 林の中に目印はなかったが、彼にはその場所がわかった。


 ふたりに懐中電灯で足元を照らさせた。そこに近づくと地面からはえき、光に群がる。みもりが息をんだ。


 ふたつの光がやぶの陰を照らす。巨大な死体が闇に浮かびあがった。


 蒼が川から引きあげてきたものだった。蜥蜴とかげの仲間に見つからないよう、ここに隠した。


「たぶんこいつがこの病気に関係してる」


 そういって藪を掻きわけた蒼は不審をおぼえた。殺してからまだ数日しかたっていないのに、ずいぶんと腐敗が進んでいる。黒い金属はそのままだが、皮膚はほとんど失われ、肉はけ、骨が露出している。


「信じてもらえないかもしれないけど、こいつがすぐそこの道を歩いてたんだ。生きてるときは赤と青に光って――」


 光が蜥蜴の傷をなぞる。胸の骨が砕け、その断面はささくれ立っていた。肉は黒ずみ、冷えて固まった溶岩のようだった。


「これ、上原がやったの?」


 みもりの声に動揺の色はなかった。


「え? ああ、うん。そうだけど……」


「どうやって?」


「それは……こいつレーザーガンみたいの持ってたから、それを奪って――」


「嘘だね」


 みもりがぴしゃりというので、蒼はそれ以上嘘を重ねることができなくなった。


 脩介がしゃがみこんで蜥蜴の死体をさぐる。


「上原先輩がいってるのって、これのことですか」


 立ちあがった彼の手には黒い棒状のものがあった。わずかに湾曲していて、バナナみたいな形だ。


 蒼の記憶が蘇る。あの日、小学校の校庭で蜥蜴の1匹が犬に対して使用したものだ。


 脩介が棒の先を死体に向ける。蒼は反射的に顔を背けた。


 林の中が明るくなった。あのときと同じだ――光が走り、犬の体が消しとんだ。


「見てください」


 脩介がいう。蒼は死体の方にふりむいた。そこには何の変化も見られなかった。


「こいつ自身にはこの武器、効かないんですよ」


「おまえら……こいつのこと知ってんのか」


 脩介とみもりが手をだらりとさげ、蒼の方を見る。懐中電灯が下を向き、ふたりの表情は闇に隠れた。蒼には、目の前にいるふたりが同級生とその後輩の皮をかぶった別の何かであるように思えた。


「知ってますよ、こいつらのことはね」


「私たち、もう3匹殺した」


 蒼は急に周囲の気温がさがったように感じた。


「殺した……? いったいどうやって……」


 みもりが脩介に懐中電灯を手渡し、蒼に近づいてくる。


「見せてあげる、私たちの力」


 そういって彼女は両の掌を蒼の方に突きだした。蒼は不気味に思って彼女の正面から退いた。


「『エクストラセルラー・マトリクス』」


 彼女がつぶやく。


 周囲に生じた変化を気づかせてくれたのは、あの赤と青の光だった。


 彼女の立っているところから5mほど離れたあたりに光がある。それは宙に浮いて見えた。


 脩介がそちらに懐中電灯を向ける。黒い金属の柱が何本も立ちならんでいる。赤と青に光って、木の幹とは明らかにちがった。


 その柱は生きているように見えた。膨らみ、ひろがり、となりの柱と融合する。


 柱は壁となった。蒼はそれに近づき、触れてみた。硬くてざらざらしている。彼の背丈よりも高いので向こうが見えない。柱の間にあった木が壁の中に取りこまれている。まるではじめからこのようにして育ってきたかのようだ。


「上原先輩、さがっててください」


 脩介があの棒を壁に向ける。


 光が闇を切りさき、壁に当たった。蜥蜴の体に変化がなかったのと同様に、壁にもきずひとつついていなかった。


「みもり先輩の『壁』は奴らの武器を無効化できるんです」


 そういって脩介は蜥蜴の棒を地面に放った。


 みもりが開いていた手を握る。それとともに金属の壁が崩れおち、れきの山と化した。


「次は僕の番ですね」


 脩介が前へならえのようなかっこうで両腕を伸ばした。ほおを膨らませ、ひとつ息をつく。


「『ステリライザー』」


 ひじの内側に赤と青の光が生じた。黒い金属の球が腕の間に浮いている。


 脩介が腰を落とした。光が強くなり、やがてぜる。


 金属の球が一直線に飛んでいった。炎の尾をき、湖の方に消える。


 脩介はと見ると、仰向けに倒れていた。


「こいつの最大の欠点は反動が大きいことですね」


 みもりの手を借り、立ちあがる。「でも威力は充分です。ヒットすればでもイチコロですよ」


?」


「あの化け物のことです。悪魔の骸骨がいこつとかとか呼ぶより、名前あった方がいいかなって」


 ちょうするように笑って脩介は尻についた土を払った。


 みもりが蒼に迫ってくる。


「それで、上原の力は?」


 挑むような口調でいわれ、蒼はたじろいだ。暗い中でも隠れなく大きな胸が触れそうな距離だった。


 力のことを隠しとおせぬことは彼にもわかっていた。


 そうかといってあっさりと明かす気にもなれない。自分でもそうとは認識していなかったが、心の奥底ではこの力を自分ひとりだけが持つものと誇っていたのだ。


 同じ能力者が現れて、蒼の特権的な立場は崩れた。たった1匹殺して満足している蒼とはちがい、彼らはもう3匹も殺したという。


 劣等感をおぼえる。勝ち負けがつくことは嫌いだ。だから部活も勉強もやる気になれない。走るのはいつもひとりだった。


 だがいまは、夢を追っている――あの蜥蜴どもを殺すという夢。


 小さなプライドを後生大事に守っている場合ではない。


「すこし離れててくれ」


 蒼は手を伸ばし、みもりを遠ざけようとした。その細い肩に触れてしまいそうになり、手を止める。彼女は動かない。仕方なく蒼の方でうしろにさがった。


 右腕を伸ばす。不思議な気がした。敵もいないのにやりを出そうとしている。


 蒼は槍の姿を頭に思いえがいた。燃えるような殺意ではなく、長さ・鋭さを求める冷めた意志が心を満たした。


 肘の内側が引きつる。金属が腕をおおっていく。


「すごい……」


 みもりが胸に手を当てる。


 槍が、蜥蜴を殺したときと同じ鋭さをもって出現した。蒼は腕をおろした。右腕が極端に長くなって、まるでシオマネキのようだ。ひとりのときには感じなかったが、みもりや脩介を前にすると、自分が人間ではない別の何かになってしまったようで恥ずかしかった。


「近接戦用の能力か……僕たちに欠けていたものだ」


 脩介が寄ってくる。それを蒼は手で制した。


「まだ離れてろ」


 槍を見つめ、と念じる。衝撃に備えて足を踏んばる。


 爆発音が木々の間に響いた。砕けちった破片が顔に当たる。細かいものがみもりと脩介にも降りかかった。


「派手だね。私のとちがって」


 みもりが肩を手で払う。脩介は口に破片が入ったか、つばを吐いた。


「上原先輩、その能力に名前をつけましょうか」


「名前つけるの好きだな」


 蒼は鼻で笑う。


「名前があるとイメージしやすいので、発動するまでの時間を短縮できますよ」


「好きにしろ」


「そうだな……」


 脩介が腕を組む。「『ブラッドレット・ランセット』っていうのはどうです? 『瀉血しゃけつ用の針』って意味です。魔骸どもの血を流させるのにピッタリでしょ?」


「どうかな」


 血を流させる。どんなでかい奴でも血が出れば死ぬ。病気になっても死ぬ。


 命はもろい――殺す側も殺される側も。


「やりましょう。魔骸どもは皆殺しだ」


 脩介に握手を求められ、蒼はその手を取った。みもりとも握手する。


 ひさびさに触れる人の体は柔く温かった。

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