『ごく楽さん!』

やましん(テンパー)

 『ごく楽さん!』

 わが社は、小さい方では、大きい方の、金属加工会社であります。

 自動車のブレーキ部品を、ただひたすら製造してまいりました。

 品質には最高の自信があり、特に父親の工作機械技術は『神業』と言われてきたものでした。

 最近は、その神業もコンピューター制御で相当カヴァーできるようにはなったものの、最終的には人間にかなうものではなく、しかし、凄腕の職人さんは、歳をとって、いなくなる一方です。

 でも、ぶきっちょな僕は、実技はからきし下手くそでした。


「おまえなんかに、譲れるか!」

 と、豪語してきた父ですが、先先月、階段を二段ほど踏み外し、あえなく骨折とあいなりました。

 そこで、すでに80歳近くともなり、さすがに、急に気が弱くなったのか、「社長、譲る」とか言い出したのです。



 時に、わが社の合言葉は『ごく楽さん!』であります。

「おおい、タヌキ工業さんに営業行ってこーい!」

「あい、ごく楽さん!」


「おおい、計算違うぞ、何やってるんだ、ばかものめ! 間抜けめ! やり直し!」

「あい、ごく楽さんです!」


 まあ、こんな感じであります。

 断っておきますが、特に宗教的な背景は、全然、まったくございません。

 何を言われても、ありがたく承れ!

 仕事ができることに、感謝しろ!


 という、ワンマンな父の信念だったらしいのですな。


 まあ、というか、実は父の労務管理上の魂胆であった、とぼくは見ていました。

 周囲から、文句、言いにくくしていたのであろう、と。


 もっとも当然に、これは、若い社員からは、猛烈に不評であります。  

 ま、当然です。


 「はい。」


 で、いいではないですか。

 なので、ぼくは、もし会社を継いだら、即座に廃止する考えでおりました。


 まあ、そういう変人で頑固な父ですが、時に突然『温泉行くぞ!』とか言いだして、全額自己負担して従業員全員を引き連れて、熱海の近くあたりに、日帰りで行ったりもしておりました。


 しかし、最近はこれも難しくなてってきておりましたのです。

 この頃の若い従業員の方は、こうした急激な予定の出現が苦手で、しかも集団で動くのはあまり好みませんから。


 それから、その父も急激に足腰が弱りまして、あまり動けなくなりました。

 年寄りにとって、ケガが一番危ないと言うのは、本当にそうです。

 とうとう、入院になってしまいました。

 ちょっと、まずい他の病気も見つかっておりました。


 そこで、ある晩のこと、ぼくは経理関係の残務で深夜まで事務所に座っておりました。

 母は、長く教師をしていましたが、家業の方には出てくるな、と父から厳しく言われていたものですから、あまり顔は出しません。

 退職後も、経営陣にも名を連ねていませんでした。


 今夜も病院に行っております。


 で、もう真夜中という時間になりました。

 ぼくも結構長く、この事務所で徹夜とかしたものですが、幸いというか当たり前というか、いわゆる怪奇現象なんて起こった事はありません。


 しかし、その晩に限っては、出たのです。


 ぼやっとした人影が浮かびました。

 居眠りしていたのだろう、と言われれば、それが正しいのかもしれません。


「あらら、専務さん・・・・」

 それは、亡くなった父の兄だったのです。

 父とふたりで、この会社を興し、掘っ立て小屋から、こんな近代的な工場にまで持ってきました。

「やあ。ぼっちゃん、いかがかな?」

「ぼっちゃんは、止めましょう。」

 ぼくは、確かに疲れで、ちょっと、ぼっーとしてはおりましたが、眠っていたわけではございません。

「なんでまた、いまどき。」

「ああ、お父さんが呼んだんだ。」

「はあ?」

「ぼっちゃんが、社長になると。で、言いにくいから君から言ってくれと。」

「はあ?なんですか、それは。」

「まあまあ、時は来るものですよ。必ずね。そうそう、『ごく楽さん!』をやめるなと、言ってほしいと。」

「まあ、わざわざそのために、ですか?」

「まあね。しかし、このこの合言葉を作ったのは、ぼくなんだ。」

「はあ・・・知らなかったです。」

「うん。つらい時期だったんだ。実際ね。本当に危なかったこともある。地上げで殴り込まれたりもした。」

「ああ、それは何だかうっすらと覚えています。」

「そうか。だからね、あれは、いつも夢を持って、楽しく、頑張ろうと言う事だったんだ。別に従業員に何かを強制するつもりじゃなかった。事情を知ってる古株さんたちは、良く分かっていたんだがね。」

「もうみんな、引退しましたから。」

「そうさね。」

「ことばだけ残ると、意味が分からなくなります。もう、この時代に、『はやる』言葉じゃあないですよ。」

「じゃあ、ぼっちゃんが意味を教えたらよい。」

「ふうん・・・すっきり行くかどうかは、自信がないですけど。」

「そりゃあ、ぼっちゃんが自信を持たなきゃあ、他の人が持つわきゃあない。」

「そう・・かな。」

「そう、です。」

「ふむ。」

「まあ、ぼくはね、あんたのお父さんがやったと、同じやり方で残す必要はないと思う。変更はあってもいいが、消しちゃあ終わりだ。」

「ふむ・・・考えましょう。専務さん。」

「よかった。じゃな。ぼっちゃん。いずれこっちで飲みに行きましょう。」

「あららら・・・消えた。飲みに行こうって、そんなとこ、あるのかな?」


 ぼくは、我に返りました。


 電話が入ったのはその時です。

「あ、あたし。お父さん急におかしい。すぐに来て。」

 母です。

 ぼくは、急きょ事務所を閉めて、病院に向かいました。


「五分前、行ってしまった。」

 母が泣きながら言いました。

「なんで、そんな急に・・・」

「そのまえ、すぐさっきまで、ちょっと話してた。でも、急に話さなくなって、心臓が、止まっちゃったの。」

「・・・・・・最後になんて言ったの?」

「『ごく楽さん!』 だって。」

「そりゃあ、良かったなあ。」


 ぼくは、どかっと、椅子に座り込みました。































































 

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『ごく楽さん!』 やましん(テンパー) @yamashin-2

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