輝石学園マネージャー科 14


 どこから迷い込んだのか桜の花びらが部屋の中に入ってきた。俺は部屋の換気のために開けておいた窓を閉める。


 姿見鏡すがたみかがみでネクタイの結び目やブレザーに埃がついていないか確認する。そのブレザーの胸元には『K』のアルファベットが入れられた校章が縫い付けられている。


「よし、大丈夫だな」


 今から家を出ると早く着いてしまうが、遅れるよりはいいだろう。通学で電車を使うのも初めてだし遅延ちえんに巻き込まれたらひとたまりもない。


 俺はまだ数回しか使っていないローファーに足を通す。最初は歩きにくくてしょうがなかったが慣れればどうということはない。


 家から駅までの道のりで春光しゅんこうを浴び、電車に乗り込む。


 電車の吊り広告には週刊誌の宣伝がされていた。


『『輝石学園生』新入生入学。未来のセンターは誰だ!?』



 と書かれていた。世間的に『輝石学園生』の注目度は高いんだなと改めて思い知らされる。


 俺は神谷さんと一緒にお母に会いに行った日から数週間後に輝石学園マネージャー科の二次試験を受けた。


 最初に担任に就職から受験に切り替えると話した時は驚いていたが、迅速に資料を用意してくれて助かった。


 勉強にはあまり自信がなかった。ただあの特別試験のようなものがあれば合格の確率はグッと上がると考えていた。


 しかし、二次試験は単純な筆記試験と面接のみでの能力を競うらしく俺は大変苦戦した。合格発表を迎えた日には胃に穴が空きそうだった。


 結果は無事合格。


 入学式の今日、輝石学園の校門の目の前に立っていられている。俺は目に入りきらないほどの校舎を眺めた。


 後々、聞いた話によると俺の筆記試験はボロボロだったらしい。神谷さんの推薦ポイントが加点され、それがかなりでかく最下位ではあるが合格できたようだ。


 その話を神谷さんから聞いたが、そんなことを生徒に話していいものなのか。


 まぁ、特別扱いしてるんだから在学時の試験は絶対に落ちるなよってメッセージかもな。


 それにしてもやっとこの日が来たか。ある意味では俺の新しい夢のスタートだ。


 峯谷ユリカを超えるアイドルと一緒に『輝石学園生』のトップを目指す。神谷さんからもらった俺の道だ。


「ほ……本当に来ちゃった……」


 俺同様に校舎を眺めているやつが隣にいた。あたふたとしてなんだか混乱しているようだった。


 ブレザーのサイズが少し大きく着慣れていないのがわかる。俺と同じ新入生か。俺の胸の下より身長が低く、肩くらいまで伸びた黒髪。黒目が大きな瞳は、愛らしく小動物のようだった。


 どこかで見覚えが有るな。


 俺はじっくりと注視する。すると、俺の視線に気付いたのか、慌ててその場を逃げ出した。


 なんだよ傷つくな。


 だが、逃げようと足を踏み出して数歩してから、なにかに思い出したように立ち止まり、こちらに振り向いた。


「お……大元さん……?」


 怯えるように俺の名前を呟いた。そこで俺もやっとこいつの正体がわかった。


「袖浦……だよな?」


 二ヶ月前に会った時はまだ眼鏡をかけていた。しかし、今は眼鏡をかけていない。コンタクトに変えたのか。それに雰囲気も大人っぽくなっていて気付かなかった。


「な、なんでこんなところに……それよりその服です! も、もしかして私の先輩なんですか……?」


「あのときは制服がこれじゃなかっただろう」


「て、てことは……え……ここに入学したんですか? …………同い年だったんですね」


「老けて見えてたのか」


「い、いえ! そういうつもりではなかったんですけど……大人っぽく見えたので。すみませんすみません」


 頭を忙しなく何度も下げる袖浦。そんなに動かしたらお前の首は細いから取れちゃいそうだな。


「それよりもお前がここにいるってことは……」


「えっとその……はい。受かっちゃいました」


 照れくさそうに苦笑いを浮かべている。受かったのか。正直な話あの後神谷さんとすぐに劇場に向かってしまったので、袖浦がどうなったのかわからないでいた。


 でも、受かったのだから上手くいったのだろう。俺はこいつの力になれたのか。あのまま袖浦が諦めていたらここには立っていなかったはずだ。


 俺は袖浦の夢に貢献できた。それは素直に嬉しい。そしてこれからもこいつの夢に関わっていくかもしれないんだな。


「そ、そうだ。私あなたにお礼を言わなきゃいけません。その……あなたがいてくれたから合格出来ました……だから……あり――」


「まだその礼を言うのは早いだろ。袖浦はまだスタートラインに立っただけなんだからよ」


 俺は袖浦の話を遮った。


「で、でもここでお礼を言わないと、言えないかもしれません」


「大丈夫だよ。袖浦はアイドル科。俺はマネージャー科だ。会う機会はいくらでもあるだろ」


 俺の話をきょとんとした顔をしながら聞く袖浦。最初はなにを言っているのかわからない様子だったが、次第に理解してくると嬉しそうに控えめにぴょんぴょんと跳ねた。


 うさぎみたいなやつだな。


「私……嬉しいです! 正直ここに来るまで不安でした。だけど大元さんがいるって、しかもマネージャー科だってわかって私安心しました!」


 感極まったのか俺の手を突然取ってぶんぶんと上げ下げを繰り返した。どんだけ嬉しいんだよ。だが、嬉しそうに笑う袖浦が微笑ましくて俺はされるがままだった。


「んんん」


 急な咳払いに俺たちは飛び上がり慌てて袖浦は手を離した。


「春の風に吹かれながらお前たちはなにをやっているんだ?」


 俺たちの眼前にいるのは、俺が飛び入りで参加した試験を担当していた教師だった。名前は天野あまのと言っただろうか。神谷さんから名前を聞いていた。


 今日も派手な紫の口紅をしている。


 その天野先生が額に青筋を浮かべて俺たちを見ている。


「アイドルの卵と、マネージャーの卵が堂々となにをしているんだ」


 確かにそうだ。袖浦はもう立派なアイドルの卵だ。そして俺はマネージャーの卵。こんなところを見れれば二人の印象はよくない。


「まぁ、別に私は構わんぞ。お前たちのような頭の回らないクズはどうせすぐにこの学園を去るか、無様に転科するだけだからな」


 嫌味のようにいい放つ天野先生。隣にいる袖浦は顔を真っ青にした。


 俺らは茨の道に飛び込んだことを思い出した。


 もし不用意な行動をすれば一発で夢が潰える。ここは生き残りをかけた戦場なんだ。


 アイドル科に来る人間もマネージャー科の人間も自分の人生をかけてやってきている。


 でも、俺は誰にも負けるつもりはない。峯谷ユリカを超えるアイドルをあのステージに送り出してやるんだ。そして、お母にそれを目一杯自慢してやるんだよ。


「先生、俺は簡単には消えないっすよ」


「……ふふ、ではお前たちがここから早く去れるよう私は精進しなければな」


「俺って結構しつこいんで覚悟しててくださいね。絶対ここを卒業してマネージャーになりますから」


 俺の新しい門出は波乱を感じさせた。

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