輝石学園マネージャー科 13


 エレベーターで八階へと上がり、病室の前にやって来る。二回くらい扉を叩いてから取っ手を横に動かして病室の中に入っていく。


 個室のベッドでニット帽を被り半身を起こしているお母は驚いたようにこちらを見た。神谷さんが深々と頭を下げると、お母は戸惑ったように会釈えしゃくをした。


「今日は顔色良さそうだな」


「……そうか?」


 『こいつは誰だ』という目配せをお母が送ってくる。息子が突然見知らぬオヤジを連れてきたらそれは混乱するだろう。


「えっとー、なにから説明すればいいのか」


 いざ説明しようとすると難しい。すると、神谷さんが俺より一歩前に踏み出した。


「初めまして、挨拶が遅れて申し訳ございません。私はホープスタープロダクション、アイドル部門チーフマネージャーの神谷由伸かみやよしのぶと申します」


 神谷さんは慣れた手つきで胸ポケットから名刺を取り出しそれをお母に渡した。お母は当惑とうわくしながらもそれを受け取る。


 ジーッと名刺を見つめるがお母は理解できない様子で首をかしげている。


 俺同様、この人も芸能界の情報などにはうとい。わからなくても無理はなかった。


 俺が説明に手間取っているのを感じ取ってか、神谷さんは昨日起こった全てを話した。


 受験票を拾った話から無断で試験を受け、そのまま『輝石学園生劇場』に連れて行かれ会社に入らないかと言われたところまで全てだ。


「お前、大切な面接があったのに何してるんだよ……」


 まずは面接を放棄した件について怒られてしまう。ただ病気になっている前だったら問答無用で打撃が飛んできそうなのに今日はなかった。


 顔色はいいがやはり状態は良くないのだろう。


「……空。この人と話があるから三十分くらい時間を潰してろ」


 なんでだよ、と言いかけたが、お母の鋭い目付きに負けてやむ得ず病室から出た。


 しかし、なにを話すのかも気になったので出て行くふりをして扉の前で待機した。


「もう一度確認しますけど、うちの子を雇いたいという話は本当なんですか?」


「ええ、勿論」


 ばっちりと会話が聞こえる。お母の敬語なんて初めて聞くから新鮮だな。一応あの人もそういうところはきっちりしているんだ。


「はっきり言いますと、信用できません」


「ははは、そう言われると思いここまで足を運びました」


「話がうますぎるんです。働きながら普通の高校に通わせてくれるなんておかしな話です。うちの息子をだまそうとしているんじゃないんですか。芸能事務所とかってそういうのが多いと聞きます」


 もっともだと思った。いきなりこんな話をされて信じられるわけがない。俺もいまだに半信半疑だ。ただ神谷さんの必死な言動を見るに嘘をつかれているとは感じない。


「私の会社はとてもクリーンです。ホープスターは芸能界でもトップクラスの大手事務所。もし彼を騙しているんだとすれば大問題となり会社に傷がついてしまいます。中学生一人のためにそこまですると思いますか?」


 お母の言葉が止まった。扉越しで表情はわからないが、確かに、という顔をしているに違いない。


「大切な息子さんですからね。疑うのも無理はありません。私にも娘がいるので気持ちはわかります。もし急にそんな話をされても騙されていると思ってしまいますよ」


「どうして息子に肩入れするんですか」


「彼に才能があるからです。それ以外に理由などありません」


 きっぱりと言い放つ神谷さん。俺は運動以外で褒められた覚えはない。そう言われてしまうとなんだか照れくさい。


「……しっかり、面倒を見てくれるんですよね?」


「彼が結果を出し続ける限りは私が保証します」


 そこから二人の会話が止まってしまう。お母がなにか考えているのだろうか。しばらくすると、重苦しい声とともにお母が切り出した。


「私……実は末期ガンなんです。息子には言わないでおいていますけど」


 俺の心臓が止まりそうになる。額から嫌な汗が噴き出してくる。


 お母がガンになってから色々と自分なりに調べていた。


 末期ガンになったら生還はほぼ不可能らしい。


 助かっている人もいるらしいが、数が少ない。


 俺はお母の死が現実めいたものになり目眩がする。


 心のどこかでは数年もすれば治るのだろうと思っていた。


「倒れるくらいガンが進行してて……もう手遅れらしいです」


「それは……なんと申したらいいのか」


「気にしないでください。もう受け入れました。ただ……」


「ただ?」


「息子だけが心配なんです。あいつ、私のために働くと言って……無理しているんです。本当はバスケをやりたいくせに」


 見抜かれていたのか。俺がお母の心を見抜いたようにお母も同じだったらしい。


「最初は私が死ねば保険金が下りるから好きなようにバスケをやってほしいと考えていました。ただ、日が伸びるにつれてむしろそれはあいつを苦しめるんじゃないかと思ったんです」


「……母親が苦しんでいる間に自分は好き放題やって、と?」


「あいつは真面目で優しい奴ですからね。きっとそうなってしまいます。だったらいっそ働かしたほうが気持ちの整理は早く出来るんじゃないかって」


 俺は口を押さえてしまう。なんだよそれ。そんなの俺に言ってくれればよかったのに。


 なんで隠してたんだよ。末期になっているのもそうだけど、どうして俺に何も言わなかったのか。


「だから……よかったです。これで心残りはなくなりそうです。実は不安だったんですよ。私が空をまともに教育出来なくて失礼でろくすっぽ敬語も使えない。働くなんて無理なんじゃないかって。私のせいで苦労するんじゃなかって……」


「なにか勘違いをされていませんか?」


「え……?」


 神谷さんの口調が強くなった。


「私は大元さんが育てた空クンを認めました。確かに彼は抜けているところがあるかもしれません。でも、まだ中学三年生です。彼の足りない部分はこれから経験し補っていくものです。あなたが責任を感じる必要はありません」


「けど……」


「むしろあなたの教育のおかげで彼は私に認められました。誰よりも一生懸命で人のためを思い行動する。それは誰にでも出来ることではありません。そして、そのように育ったのはきっとあなたのおかげなんです」


 ひと呼吸おいてから神谷さんは続けた。


「あなたは間違ってなんかいない」


 神谷さんの一言で病室からすすりなくような音が聞こえてくる。


「そう……ですか……間違ってなかったんですか……」


 俺は心臓が紐で締め付けられる感覚におそわれる。お母はいつも不安だったのだろう。


 俺を育てながら常に自分の行っている教育は間違いなのではないか。それを何度も何度も繰り返し考えていた。



 俺はお母の怒った顔を思い出す。あれは全て俺を思ってやっていたことだったのか。


 俺は邪険じゃけんにしていたが、あれはお母なりの愛情だったのかもしれない。


「片親だからって馬鹿にされないように必死に育ててきました……でも、いつもいつもこれは間違っているんじゃないかと不安でしたけど……あなたの言葉で安心しました」


 お母は鼻水をすすりながら呼吸を整えている。


「私の息子をよろしくお願いします」


「はい」


 それに神谷さんが答えた。俺はいますぐに扉を開けたい気持ちに駆られた。


 お母のために頑張る。お母が育てた俺が馬鹿にされないように一生懸命やるから。それを伝えたかった。


 でも、それは口で伝えるべきことではないのかもしれない。


「ただ、ひとつだけ条件があります」


「条件?」


「大元さんは死なない努力をしてください。まだまだ空クンはお子様だ。母親がいなければなりません。そして、生きて、あなたは見届けなければならないんです。彼が立派になった姿を。自分がやってきた全ては無駄ではなかったんだと。その時初めて……あなたは自分がやってきたことは間違っていなかったと感じてください……」


「……そうですね……私も……あいつが大きくなった姿を見てみたいです……」


 折角涙を抑えたのに、いつしかお母は咳混じりに涙を流しているように思えた。


 胸にとても大きな感情が膨れていくのを感じる。俺はトボトボと足が勝手に動き始めた。


 着いたのは病院の敷地内にあるウッドデッキだった。目の前には林が広がり、丸太のような椅子が置かれている。


 俺は柵に腰を預けると、顔を俯かせた。ここなら誰も来ない。


 そう思っていた矢先に神谷さんがやってきた。話を終えた瞬間にすぐにここに来たのか。落ち着いた足取りで俺の元までやってくる。俺と同じように腰を柵に押し付けた。


「聞いていたんだろう?」


 ばれていたのか。


「頑張らないといけない理由が一つ増えたっすね……」


「ふむ。そうだね」


 神谷さんは天を見上げて短く答える。


「俺……絶対……絶対……やり遂げます……マネージャーとして成功してみせます……」


「ああ」


「お母が……こいつは凄いやつなんだって……自慢できるような人間になります……! お母がやってきたことは全て無駄ではなかったと証明してみせます!」


「……」


「峯谷ユリカを超えるアイドルを見つけて、絶対にお母をあの劇場に招待してやります!」


 顔を上げると、胸に広がった大きな感情を青空にぶつけるように叫んだ。


 隣にいる神谷さんはなにも言わずに俺の肩に手を置いた。その行為に神谷さんなりの誠意を感じる。


 堪えていた涙が一気に吹き出してきた。お母が死ぬかもしれない。でも、お母は俺のために最後までやり抜くと話していた。


 ならば、俺もお母のために頑張らなければいけない。


 それでも神谷さんは俺が泣き続けるとただ黙って同じ時間を共有してくれる。この人はおかしな人だけど本当に優しい人だと、ごちゃごちゃになった頭でそう思った。


 これから先苦しいことや嫌になること、くじけそうになることがあるかもしれない。でも、俺はこの経験を糧にどこまでもやれる気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る