輝石学園マネージャー科 9
☆
袖浦は今頃どうしているだろうか。
移りゆく景色を見ながらボーッと考えていた。
俺は今、神谷さんの車に乗せられていた。
それにしてもこのシート座りやすいな。黒革のシートとか初めてだぞ。走ってる振動とか全然伝わってこないしいい車なんだろうな。
車に然程詳しくないし乗った経験も少ないが一発で高級車だと判断が付く。
隣にいる神谷さんは口笛を交えながら軽快にシフトレバーを操作する。
その姿は先程の作業着から一転して紺色のスーツに変わっていた。
声を掛けられた後にゆっくり話がしたい。連れて行きたいところがあると半ば強制的に車に乗せられた。
袖浦も気になるが今はこのおじさんが気になる。
一体この人は何者なのか。なぜ、俺の試験の話を知っているのか。なぜ事務員がスーツなんか着て、こんなにいい車に乗っているのか。
「知らない?」
「え?」
「この口笛の曲だよ」
「ああ……わかんないっす」
「えー、ちょっとショックだな。ジェネレーションギャップってやつか。歳は取りたくないなー。大元クンは死体を探すために線路を歩いて移動する四人の少年の映画知らない?」
そんな映画あっただろうか。正直映画には詳しくはない。知っているものといえば国民的なアニメ作品くらいだ。魔女が宅配屋やるやつとかさ。
「映画見ないからわかんないっすね」
「なんと。じゃあ、今度貸してあげるから見てみなよ」
友達と話している時のように親しげな神谷さんは突然こちらを見てハンドルから手を離し、両手をパンと叩いた。
「前っ! 前見て!」
「おっと赤信号だったか」
ハンドルを離したままブレーキを踏む神谷さん。どんな神経してれば運転中にがっつりよそ見をするんだよ。てか、ハンドルから手を離したままブレーキ踏んで危険じゃないのか。
「いやーごめんごめん」
ケラケラと年甲斐にもなく少年のように笑う。いや、笑うなよ。顔青ざめるとかしろよ。
これだけ見ていると能天気なただのおじさんだ。でも、この人は胡散臭い。掴めないように思える。
「……それで、なんで俺が試験を勝手に受けたのを知っていたんですか?」
本題に入ろう。悪い人ではないと考えられるけど気味が悪い。
「これを見てもらえれば私がどういった人間かわかるよ」
そう言って一枚の名刺を差し出してくる。
「ほーぷすたー……ぷろだくしょん……アイドル部門ちーふまねーじゃー……?」
「そうとも!」
「……花壇管理してるって言ってませんでしたっけ?」
「あれは趣味だよ。あそこの学園長とは旧知の仲でね。手伝わせてもらってるんだ」
「またどうしてそんな」
「ストレス社会に生きていると息抜きもほしくなるんだよ」
肩に手を置いて凝りをアピールしてくる。絶対ストレスとかとは無縁だろ。今も楽しそう遠くに見えた女子大生らしき人を目で追っている。
それにしてもホープスターってあれだよな。確か『輝石学園生』の事務所がここだったよな。そんでこの髪にはチーフと書かれているので神谷さんは偉い人なのだろうか。
正直どれほど凄いのかわからない。
「君には謝らなきゃいけないことがあるね。実は君に話しかける前に担当試験官から君の存在は聞いていたんだよ」
これで合点がいく。だから俺を知っていたのか。でも、顔まで知らされているわけではなかっただろうし、どうして俺だとわかったのだろうか。
「てか、よく俺だってわかりましたね……」
「汗だくだったし、もしかしたらーって思ってね。話してみたらああ、そうだろうなって納得したよ」
「なんで正体隠してたんですか?」
「そのほうがかっこいいから……ってわけじゃなくて、単純に君がどういう人間なのか見定めたかったんだよ。もし、試験のことを口外しそうな子だったら徹底的に口封じしなきゃってね」
「て、徹底的に口封じしないといけないくらい、俺の行動ってやばかったんですか……?」
まずいとは思っていたが、今頃になって重大性を実感してくる。
「君はやむ得ず参加したようだからそこまで問題はないんだが……輝石学園の教員が無理矢理君を教室に連れてったのが問題でね。これがマスコミに漏れると私の仕事が増えるからね。それを未然に防ごうと私は君に近づいたわけだ」
最近はニュースでも替え玉受験の報道があった。学園側からしたら凄く敏感なのかもしれないな。
「……口封じってどうやってたんですか?」
「……さぁ?」
神谷さん顔の形は変わらない。声も平坦だ。だが、それがかえって怖い。あそこは大人しく黙っておいて正解だったようだ。
「そんな話は置いておいて、こっちも本題に入ってもいいかな」
「本題?」
「うん。大元クン、うちのマネ科に来ちゃいなよ」
「……………え?」
サラッと風が通り抜けるように神谷さんは言い放った。
この人は今、マネ科来ちゃえと言ったか? 俺に?
唐突にこの人はなにを言い出しているのだろう。
俺は失礼だとはわかりつつも堪えきれずに笑い出してしまう。
「あはは! もしかしてあの試験で上手くいったからですか? あんな試験ただのマグレですよ」
「マグレでも結果を残した事実は変わらないと思うけどね」
「……俺には無理ですよ。たった一人の女の力にもなれなかったのに」
袖浦の顔を思い出す。俺はあいつを信じてやるのしか出来なかった。応援するのしか出来なかった。俺にはそれしかやってあげられなかった。そんな人間を買いかぶらないでほしい。
「君は十分力になっていたさ」
「見てたんですか?」
「面白そうだったからねー。僕はあの光景に目を奪われてしまったよ。言葉だけであんなにも人を変えてしまうなんてね」
「……自分勝手な言い分をぶちまけてただけですよ」
「でも、彼女の心にはきっと届いていたよ。あの迷いのなくなった目。あんな目を見たのは彼女以来だったな……」
神谷さんはあくまでも俺をマネージャー科に入れたいようだ。よくもそんなにも一生懸命に俺を勧誘するな。今日までアイドルなんてものをろくに知らなかったんだぞ。
でも、必死になっているところ悪いが、輝石学園のマネージャー科には入れない。
「実は俺、働かなくちゃいけないんですよ」
「……ふむ。理由は?」
俺は自分の実情を全て話した。お母が働けない。高校進学が難しくなった。好きだったことも諦めなくちゃいけなかった。それを神谷さんに伝える。
神谷さんは息を大きく吸い込むとゆっくりと吐き出していく。言葉を選んでいるのか。なんだか気を使わせちゃって申し訳なくなる。
そして、ニカっと俺に微笑んできた。
「それはとても刺激的だね」
「え……?」
「そんな体験なかなか出来ないよ。この偉大な経験は一生君の財産として残り続けるだろう」
「財産……?」
「ああ、そうとも。君にしかない貴重なものだよ。ラッキーだね。そんな人生をくれた神様に感謝しないと」
「その考えはなかったすね」
なかなかおかしなことを言う人だ。ここはしおらしくなるはずなのにそんな明るいテンションで返答するなんて。
この経験は俺の財産か。夢を続けられなかったのも、これから働いていかなきゃいけないのも、未来になってみればいい経験と思えるのだろうか。
今はわからない。でも、そう思える日がいつかは来て欲しいものだ。
「ま、断られるのは想定内だけどね。だからこうして君を車に乗せたんだから」
「どういう意味ですか?」
「さ、もうすぐ夢の劇場にたどり着くよ」
目にも止まらぬ速さでシフトチェンジをする。エンジン音がうねりを上げた。なんていい音なんだ。と、少年のように心を震わせる時間もなく窓から見える景色の経過の速さに顔が引きつってしまう。
「おいおいおい!」
「ふぉー! さぁ、時間はないよー!」
無邪気に神谷さんは叫ぶと窓を開けて片腕を外に出した。冬真っ只中になにをやってるんだこの人は。俺は今まで経験したことがない速度と冷気を浴びながら神谷さんの目的地に連れて行かれた。
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