輝石学園マネージャー科 10
車が停車したのは渋谷のホテルの駐車場だった。
地下に設けられた駐車場は全面がコンクリートになっていて、柱にはアルファベットと数字が水色で塗装されていた。
車内はすっかりと冷え込み俺は恐怖や寒さでガクガクと震えている。この人が運転する車には二度と乗らない。
その運転手はなに食わぬ顔で車から降りて扉を閉めた。そして、なかなか降りてこない俺を急かすように窓を何度か叩く。誰のせいですぐに降りられないと思っているんだよ。
青ざめているであろう顔で車内から出てくる俺を見ると神谷さんは、
「はっはっは、君も車がほしくなってきただろう」
「いえ全然」
素直に言葉が出てきた。子供の頃に車に乗る機会がなかったので興味はあった。ただ、神谷さんの運転で一気に興味が無くなる。
「ここから少し歩いた場所が目的地だよ」
神谷さんは猫のキーホルダーがついた鍵をくるくると手で回すと、それをポケットにしまった。それと同時に俺に背を向けて歩き出す。
ここでついていくフリをして走って逃げるのは可能だろう。神谷さんの年と俺の年を考えれば簡単に振り切れる。
ただ乗りかかった船だ。車内での話を聞いてる限りでは変なところに連れて行かれるような雰囲気はなかったしついていっても大丈夫だろう。
これから家に帰っても寝るだけなので暇つぶし程度に付き合うか。
ただ、なにを見せられようとも俺の気は変わらない。働く以外に俺に選択肢はない。
神谷さんには申し訳ないが、仮に学校に行けることになったとしたならば、俺はバスケで推薦してくれた高校に行くだろう。
神谷さんの後ろを歩き、渋谷の雑踏の一部になる。
行き交う人々の風貌はまちまちだ。サラリーマンだったり女子高生だったりバンドマン。ここが日本でも有数の人が集まる場所だというのがわかる。
レンタルビデオ屋の前のスクランブル交差点からしばらく歩くと雑居ビルに着いた。
そこの目の前には数え切れないほどの男女が群れをなしていた。地下へと続く階段には三人の警備員がいる。
ただの雑居ビルになんでこんなに人集りが出来てるんだよ。神谷さんはいつの間にかにしていたサングラスのまま警備員の間をすり抜けていく。
明らかに不審者だが、警備員は止めなかった。しかし、俺が神谷さんの後ろからなぞるように通ろうとすると、いきなり体を盾にして通せないようにしてきた。
「通してあげなさい」
神谷さんの一声で警備員は無言で道を開ける。な、なんなんだよ。この先には一体なにがあるというのだろうか。
階段を下りきると分厚い扉が現れた。その前にはオールバックの髪型のスーツの男性が立っていた。
驚いたように目を開くと、慌てて深々と頭を下げた。
「お、お疲れ様です!」
「悪いね。この子と中に入るね」
男は何度もぺこぺこと頭を下げながら丁寧に扉を開けようとする。そんなに神谷さんは偉い人なのだろうか。
扉を開けた瞬間に中から複数人の歌声と大勢の掛け声のようなものが聞こえてきた。
薄暗い中に入っていくと、まずはライトアップされたステージが目に入った。そこでフリルの入ったスカートを履いている十人ほどの女性が踊りながら歌っている。
客らしき人間は光る棒を必死に振って、歌声に合わせて叫んでいる。五十人入るのがやっとな空間で窮屈になりながらも出来る限り前に詰めていた。
腹に重低音が響き音量の大きさに思わず耳を塞いでしまいそうになる。
俺は自分の知らなかった世界に口を開けてしまった。なんだよこの熱気は。
「ようこそ。『輝石学園劇場』へ」
神谷さんは両手を広げて歓迎のポーズを取る。
「劇場?」
「うん。ここは二十年前にうちで作った『輝石学園生』のためのライブハウスなんだ。大忙しの彼女たちだが、月に一回ここでライブをやるのが伝統でね。仕事の都合で全員がここにいるわけではないんだけど、毎月大盛り上がりだよ」
あれが袖浦の話していた『輝石学園生』か。ステージに立っている女性は皆整った顔をしている。簡単に言えば可愛い。ただなぜだろう。今日試験を受けていた女達もこれに負けず劣らずだといった感じだ。でも、なにかが圧倒的に違う。
なんでこんなにも違って見えるのだろうか。
「君は運がいい。今日はビックな人が来てるからね」
神谷さんはそういうと、関係者以外立ち入り禁止と書かれた劇場内にある階段を俺を連れて登る。その階段の上には様々な機材が置かれていて黒いTシャツを着た複数人の男達がそれを操っていた。
「ここからならよく見える」
その言葉と共に曲が終わった。観客たちがお疲れ様と棒を左右に振って声を上げた。すると、センターにいるポニーテイルの女子が一歩前に出てくる。
「さて、今日はアメリカで映画の撮影を頑張っていたあの人が戻ってきました!」
その発言に割れんばかりの歓声が上がった。ジャンプして喜びを表現している人間もいれば、なぜか自分の体を叩いて奮い立たせている者もいる。中には嬉しさのあまりに泣き出している女性がいた。
「えぇ……なんか私達が登場してきた時よりも声が大きくない?」
ジトっとした目で観客をみるポニーテイルの女子。
「そんなことないよー!」「俺は美咲ちゃんが一番だよー」
その発言を必死に否定する何人かの男達がいた。
「だよねー」
「というわけで一年ぶりの登場です! 峯谷ユリカ!」
峯谷ユリカ? 確か袖浦がその人物について語っていたな。舞台の端から綺麗な足取りで客に手を振りながら峯谷と思わしい人物が出てくる。
五十人とは思えない観客の雄叫びにも近い声が耳に届く。ステージの手前ではスタッフが前に行き過ぎないように壁になっているが、彼女の登場でいっきに決壊しそうになっている。
「みんなー久しぶりッ! でも、危ないから押したりとかしないでね」
峯谷が喋っただけで会場の熱気がまた一段上がる。
ショートボブの髪にビー玉のような
スラッと伸びた足は海外のモデルの女性のようだ。こんなに人気なのも頷ける。
「芸術品みたいに綺麗だよねー」
「まぁ、確かに……」
「でも、彼女は綺麗なだけじゃないんだ」
「綺麗なだけじゃない?」
「見ていればわかるよ」
峯谷はスキップをしながらメンバーと楽しそうにハイタッチをする。センターに来た峯谷は軽く客に挨拶をすると、曲を流してくれと天井に手を掲げて指を鳴らした。
それを合図に曲が流れ初めて峯谷を含めた女子達が踊りだす。
その一瞬で俺は彼女たちの世界に一気に飲まれてしまう。
誰一人として
なんでこいつらはこんなにも普通じゃないんだ。どう表現をすればいいのか言葉が見当たらなかった。だが、とにかく目が離せなくなってしまった。
特に峯谷ユリカ。十一人で踊っているのにも関わらずついつい彼女を見てしまう。そして、無性に顔が緩んでしまうのだ。
峯谷ユリカが一人で歌い始めた。
『君はまだ坂を登り始めた途中――』
出だしから、太ももを軽く人差し指で叩きリズムをとってしまう。
『この坂は舗装のない悪路――らくはできないよ――』
体が無意識のうちに揺れ始める。
『だけどめげないでその坂の頂上では――』
どうしようもなく腕を振りたくなってくる。
『君が求めていたモノが必ずあるから――』
神谷さんは俺の腕を取ると無理矢理動かしてきた。
『アップアップ――土砂降りでも大雪でも足を止めないで――』
サビに入ると隣にいる神谷さんと一緒に騒ぎ始めた。自分の中に生まれてしまったどうしょうもない楽しい気持ちが抑えられなくなったからだ。
とにかくなにを言っていいのかわからなかったが、凄い凄いと、連呼をしまくった。
アイドルのライブなんて初めての経験だ。なのに、たった一曲目でここまでのめり込んでしまうとは。袖浦を見たときも熱い気持ちになったが、これはそれを上回るものだ。
曲が終わった頃には汗だくだった。息を切らして喉もガラガラだ。
「いやーいつ見てもいいものだ」
神谷さんも熱狂しすぎたのか俺同様に掠れ声になっている。
「楽しかったろう?」
ニヤリと俺を見る神谷さん。途端に自分の行動が恥ずかしくなりそっぽを向いてしまう。神谷さんは恥ずかしがるなとバシバシと背中を叩いてくる。
「不思議だよね。彼女たちは普通の女の子達じゃないように思えるだろう?」
「あ、それは思ったっす。ただ……どこがどう違うのかっていうのは……」
「輝きだよ」
「輝き?」
「オーラとも言えるね。彼女たちはあのステージに立つとオーラを出すんだ。そのオーラは人を引き付ける奇妙なものでね。何度もステージに立ち、人の目にさらされ、仲間と
最初に感じたものはそれだったのだろうか。
「特にあの峯谷クンは世界で一番のオーラを持っているよ」
確かに、特にあいつから目が離せなかった。
曲が終わって客に笑顔を振りまく峯谷。と、俺と目が合うと突然片目をパチっと閉じてきた。俺は慌てて目を逸らしてしまう。
「あはは、いいねー。君は今日は貴重な体験尽くめだ」
「からかわないでくださいよ」
「……どう思った?」
途端に真面目なトーンに変わる神谷さん。
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