第一章 第十一隊のこと

もう一度機会をください!

 十一、の数字だけがひょろりと毛筆で書かれた扉の前で、キラ・ルカは何度も深呼吸を繰り返していた。

 たった一枚の扉。

 この一月近く、毎日のように開け放った。

 それなのにこれほど開けにくいのは、おそらく、初出勤のときくらい、いや、それ以上だろう。今にも、心臓が破裂しそうだ。


 しかし――ずっとこんなこともしていられない。


「失礼、します」


 思い切ってノックをし、ドアノブをひねる。

 いっそのこと、と勢いよく開け放つと、いつものように日当たりのいい窓を背にした席で、上司は眠っていた。


「あの――おはようございます」

「ん。ああ」


 リツは、机に乗せていた頭を上げ、眠たげな目でルカを見る。

 今時珍しい真っ黒な髪は背に流され、余計に気怠けだるさを漂わせていた。その上で、いつもは剥き出しの肩が、今日は白い包帯に包まれている。

 言うべき言葉は何度も頭の中で繰り返したのに、なかなか出てきてくれない。

 リツは、面倒そうに目だけを向けて、ひょこりと指し示して見せた。


「転属願いはそれ、辞職願いはそっち。書けたらまた声かけろ」

「――すみませんでした!」

「は?」

「謝ってもどうにもならないのはわかってます。でも、――すみませんでした! どんなことでもします、もう一度機会をください!」


 きっかり九十度頭を下げてしまうと、もう地面しか見えない。だから今、リツが――隊長がどんなかおをしているのか、ルカには判らない。


「…ここで?」

「はい!」

「十一隊で?」

「はい! 兵団第十一隊で、もう一度、機会をください!」


 真っ向からぶつかるしかなかったとはいえ、もっと他に方法はなかったのかと、考えても遅い。

 ルカの心臓は、今や、体中を走り回っているかのようだった。心臓の音が、外に漏れているような錯覚に陥る。

 それなのに聞こえたのは、何故かうなり声だった。


「なんだって…そんな酔狂なことになってんだ? 実は寝てんのか、お前?」

「違います。…情けないんです」

「はあ?」


 すっとんきょうな声ももっともだ。昨日の一件をどう感じていようと、今そう言うのは相応ふさわしくない、と、口にした当人でさえ思う。  

 思うのに、そんな言葉が滑り出てしまったのは、リツの反応に戸惑ってしまったせいだろう。

 叱責や無視ならともかく、何故、呆れ声。

 戸惑いが混乱を招く。


「自分は…最下位の成績でした。自分より下は、卒業できなかったんです。ぎりぎりの卒業で、在学中から、見込みがないと言われ続けました。それも、見下されたり突き放すならまだいいです。得意と不得意の差が大きすぎるとかでも、諦めがつきます。違うんです。僕は…気の毒そうに、中には同情さえされて、厳しいね、その一言です。全ての学科でです。研修先でもそうでした」


 人々を害する妖異に対抗するために兵団はある。

 軍の二大組織の片割れだが、原則として、人への武力行為は認められていない。対象はあくまでも、妖異なのだ。


 一口に妖異といっても様々で、獣や人、植物に憑いたもの、水や霧、嵐といった不定形のものに憑いたもの、過去最大のものでは、この島国全地をくまなく飢餓に陥らせたものまである。

 中には、触れただけ、目にしただけで死に至りかねないもの、疫病のように人などを介して蔓延まんえんするものなどもある。


 妖異に対するには、豊富な知識が必須だ。

 どんなものに何の攻撃が有効なのかを見極める必要があり、そのためには、過去の事例を片端から頭に叩き込み、あるいはそれによって導き出された法則や規則を知っていなければやっていけない。

 また、駆除方法は肉弾戦や力任せ、持久戦などにもなりやすく、優れた運動能力や健康な体、また別に、武具の取り扱いの能力も必要となる。


 そのため、兵団に入団志望の者はまず、六年にわたる就学期間が義務付けられている。

 その中で最低限必要な知識や技能を身につけ、様々な適性をはかり、最終試験をくぐり抜けてようやく、兵団の見習いになる。

 見習いになってもまずは、九隊のうちから一隊につき一月ずつの研修が行われる。実際に配置されるのはその後、卒業してからはじめて迎える正月明けのことだ。


 待ち焦がれた配置から、わずか一月足らず――今がそれだ。まだ、たったの一月。


「僕はもう、あきらめたくないんです」        

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