先生始めます
俺、岡本学が異世界に来て一か月が経った。
一か月というのは元の世界の言い方で、この世界『スンエイサ』では暦を四季で分けて春の1日、夏の3日というように各季節ごとに91日(冬だけは92日)まで数えるシステムだそうだ。おおらかで実にこの世界らしい。
アンジーさんが選んでくれたのかは分からないが、四季が存在するという環境が変わらないのは少し嬉しい。
そういうわけで言い直すと、俺たちがやって来た春の3日から時は経ち、春の33日になっていた。
生活の方は運命が保障されていると言われた通りに安定していて、今は『オイロ村』という村の空き家を借りさせてもらっている。
オイロ村はアコウクー国ウウィスウィ・カチク地方アタハイ地域という覚えにくい名前の地域に存在するのどかな村で、行き場がないと言った俺たちを快く迎えてくれた。
農業や近隣の大草原を活かした牧畜が主な産業で、かくいう俺も仕事がないので野菜やモンスターたちの世話を手伝わせてもらっている。今も夏野菜の畑に水を撒いていたところだ。
「マナブさーん。そろそろ休憩にしようかねー」
声をかけられて振り向くと、アンジーさんとステラさん母娘が手を振っている。
ステラさんは空き家の管理人である優しいおばさ……お姉さんで、この畑の持ち主でもある。旦那さんのゴーンさん共々、とてもよくしてもらっている。
「マナブー! ご飯だぞー!」
「……」
その隣にいるおチビちゃん二人はリリちゃんとカラちゃん。元気な金髪ツインテールの方がリリちゃんで、おとなしいモジャモジャ赤毛の方がカラちゃん。二人ともステラさん夫婦の娘さんで、よく遊んでもらっている。
子供は好きなので、よく懐いてくれている二人がとても可愛らしい。離れてしまった教え子たちの姿を思わず重ねてしまいそうになる。
「はーい! 今行きます」
俺は空になった桶を片手に、四人の元へと急いだ。
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「おまちどうさま」
「お待たせしました!」
ステラさん宅のバルコニーで、俺と四人は昼休憩をしている。
今日のランチはステラさんとアンジーさんが作ってくれたサラダだ。
木のお皿、木のテーブル……どれも手作りで温かみがあるのだが、これはステラさん一家の趣味などではない。
――この世界には魔法が存在する代わりに、『科学』というものがほとんど存在しない。
火は魔法で起こし、明かりも光魔法。金属の加工は造形魔法だし、移動手段は馬か徒歩が基本。生物学も進んでおらず、モンスター図鑑は見た目や可食かなどの情報のみで、大分類すらされていない。
そして魔法は高等技術のようだ。大きな国がそれぞれ専門に研究を行っているようで、オイロ村のような辺境の地域では、火を起こしたければ都市まで出向いて高額な使い捨ての火炎の魔法書を買ってくるしかないという。
もちろん自然法則が滅茶苦茶というわけでもなく、この一か月色々実際に試してみて、俺の元いた世界と変わらないということも分かっている。
俺のために住む場所や人の温かさを提供してくれたステラさんたちに、不自由な思いはさせたくない……。
もし自分に可能であるのならば、何か手助けをしたい。
「あの、ステラさん」
俺は空になった皿にフォークを置いて、真剣な顔でステラさんに向き合った。
「おかわり……じゃなさそうだね。どうかしたのかい?」
「はい。実は相談があるんですが」
「なんだい? マナブさんはもう家族みたいなもんなんだし、気を遣わずに何でも言っておくれよ」
ステラさんの優しさが身に染みる。
俺は不思議そうに首をかしげているリリちゃんとカラちゃんに軽く微笑んでから、自分の決心を告げた。
「俺、この村で先生をやろうと思うんです」
「先生……? マナブさんはお医者さんだったのかい?」
教えることがないので、当然学校も存在しない。
先生と呼ばれるのは薬草師などの医者や芸術家ぐらいのものらしい。
「違います。俺が知っているちょっと便利な知識を、リリちゃんやカラちゃんたちに伝えてあげるんです」
「おやまあ……それは嬉しいねえ。どんなことを教えてくれるんだい? 町でのお話しかい?」
「見てもらえれば分かりやすいと思います」
俺は木の棒と板と尖った石、麻、植物のツタをテーブルの上に広げた。
「あはは。そんなに色々拾ってきて、まるでウチの子らみたいだね」
「ママ! 私もうそんなことしないもん!」
「私も……」
三人に笑われる中、アンジーさんがひそひそと話しかけてくる。
「オカモト様。今オカモト様が考えられていることは、この世界に大きな影響を与えかねません。イレギュラーに関しては我々の保証しきれない範囲となりますが、よろしいですか?」
保障しきれない。つまり安定したレールから外れる可能性があるぞ、という意味だ。
魔法という文化が根付いているこの世界で科学の知識を広めてしまえば、確かに大騒ぎになるかもしれない。魔法に頼らなくても生活が成り立つのであれば高額な魔法書は不要な物となる。それを財源の一部としている国にとっては経済的な攻撃であるし、目をつけられてもおかしくはないだろう。
だが、さすがに何の策もなしにこんな話をしているのではない。半分は賭けのような形になってしまうが、この一か月で大まかなプランは立てている。
何より教師として、目の前の子供たちに科学の素晴らしさを伝えたい。知識を得る喜びを感じてほしい。豊かな暮らしを送ってほしい。
「一度死んでるんだ。もう怖いことなんてないですよ」
半分はアンジーさんに、もう半分は自分に言い聞かせるようにつぶやく。
アンジーさんは納得したように静かに笑ってくれた。
「さあリリちゃん、カラちゃん」
「何よマナブ! 私たちはもうそんなものじゃ遊ばないわよ!」
「……遊ばないわよ」
きゃんきゃんと騒ぐ二人と目を合わせて、俺はいたずらっぽく笑う。
「今からここで……火を起こします!」
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