異世界に着きました


 ――遠くに鳥の声が聞こえる……。


 日差しがポカポカして気持ちいい。そよ風にのって草の薫りと……なんだか甘いミルクみたいな薫りもする。


 確か俺は天国みたいなところで異世界転生の手続きをして、それから……。

 あー、ダメだ。まだ思考が回ってない。それにしてもこの枕フカフカで気持ちいいな……。


 俺は人肌ほどに温かい枕に顔をうずめる。

 ちょうど真ん中がくぼんでいて、顔がすっぽり収まった。


「きゃん」


 きゃん? 枕が鳴いた?


「オカモト様? お目覚めですか?」


 名前を呼ばれたほうに顔を向けると、つい先ほど受付で話していたブロンド髪の天使のお姉さんが見える。少し幼い顔に並んだ青い瞳が綺麗だ。


 ……。


 体の感覚や視界で状況を整理すると、どうやら俺はお姉さんに膝枕をされていたらしい。

 あっ、じゃあさっき俺が顔をうずめたのは……。


「ご、ごめんなさい!」


 俺は急いで飛び起きた。

 異世界に転生して早々に牢屋ろうや送りだなんて勘弁してほしい。不可抗力です、不可抗力。

 証言台で「お姉さんの太ももが気持ちよかったからです」って言えば許してもらえるだろうか? んなアホな。


「だ、大丈夫ですか!? もしかして膝枕はお嫌いでした!?」


 わたわたとする俺を見て、お姉さんもオロオロしている。

 膝枕はとっても好き……じゃなくて、彼女の服装は天使っぽい白いヒラヒラからRPGの村人でーすといった感じの服に変わっている。


「あの、わざとじゃないんです! ですから警察はやめてください!」


 必死こいて土下座して謝ると、お姉さんはクスクス笑い出した。

 アカン。第二の人生閉幕でーす……。


「膝枕をしたのは私の勝手なんですから構いませんよ。まあ少しは恥ずかしかったですけど……」


 女神や! 天使じゃなくて女神でした! 尊い!


 危うく事案を免れた俺は、改まってお姉さんに話しかける。


「えっと……本当にすみません。それで、ここが異世界『スンエイサ』ってことですか?」

「はい。異世界へようこそ!」


 両手を広げて歓迎するようなジェスチャーをするお姉さん。

 周りを見渡せば無限に続いていそうな草原が広がっており、遠くには雄大な山々がそびえ立っている。灰色の建物なんてどこにもなくて、青い空がとても高い。

 空には見たことのない大きな鳥が飛んでいて、音が少ないせいか草木がそよぐ音すらも聞こえる。


 ここは間違いなく俺が生きていた場所ではない。本当に異世界に来てしまったということか。

 なんとなく現実離れしていて実感がなかったが、こう体感してみるとようやく本当のことなのだと理解できた。



「それで、受付でのお話の続きですが」


 俺が呆けていると、お姉さんは背中から大きな乳白色のカバンをおろした。

 そして中から物を取り出して、色々と解説してくれる。


「まずこちらがこの世界での一般的な男性の衣類ですね。動物の毛皮から作られているそうで、着心地はまあまあ良いですよ」


 手編みのような紺色の上衣と茶色いズボン。確かにこの世界ならこういう牧歌的な服のほうが自然だろう。

 おそらくお姉さんの服もこれと同じような物だろうか。


「続いてこの世界の通貨、『イェン』と呼ばれているそうですが、これを半年間平均的な宿屋に泊まれる程度」


 ずっしりと膨らんだ麻の袋には金色や銀色のコインが入っている。この世界の貨幣価値はわからないが、お金は大切だ。あと名前がなんとなく親しみやすい。


「そしてモンスターや植物の図鑑。法律や魔法の教本と世俗なんかをまとめた旅行記」


 ガンガンと積み上げられる分厚い本たち。なかなか読みごたえがありそうである。職業柄、動植物については興味があるので、じっくりと読ませてもらいたい。


「それとこの周辺の地図です」


 渡された羊皮紙の右上には『アタハイ』と書かれている。この辺の地域の名前だろうか。地図といってもほとんどが草原で、ぽつぽつと村らしきイラストが描かれているだけだ。


「最後にガイド役。アンジェラ・ケアテイカーです。よろしくお願いしますね。アンジーとお呼びください」


 深々と頭を下げるお姉さん。しかしそのアンジーさんとやらはどこにもいない。

 俺がきょろきょろしていると、お姉さんが不思議そうに話しかけてくる。


「オカモト様?」

「いえ、アンジーさんは……」

「はい! なんでしょう?」

「ん? ですからアンジーさんはどこにいらっしゃるんですか?」

「ここにいますよー!」


 ニコニコと微笑むお姉さん。


「アンジー……さん?」

「はい!」

「異世界ガイドの?」

「はい!」

「天使さんじゃなかったんですか?」

「天使ですよー! そしてガイドです!」


 嬉しそうに笑う意外なガイド役は、簡単にシステムを説明してくれる。


「異世界人だなんてこの世界の人に言うわけにもいかないので、転生のガイド役は我々下っ端天使が務めることになっているんです。とりあえず受付を担当した私が配属されましたが、性別や容姿などご希望があれば変更もできますよ?」


 いやいや、こんなに可愛い女の子とほのぼの生活だなんて願ったり叶ったりなんだが……。


「アンジーさんは良いんですか? 仕事とはいえ俺なんかにつき合わせることになっちゃいますけど」

「仕事だなんて! 天使からすれば皆さんが幸福なのが幸福ですから。そういう生き物なんです」

「そ、そうですか……」


 そういう生き物だと言われてしまったら、人間の俺にはどうしようもない。


「じゃあお願いしますね、アンジーさん」

「はい、オカモト様。その前にお洋服をお着換えください」


 服を渡されたが、もちろん更衣室なんてどこにもない。


「誰もいないから大丈夫です。私も見てませんから!」


 アンジーさんはそう言うと、両手で目を隠す。本人は真面目にやってくれているんだろうが、まあ羞恥プレイである。


 そうして異世界にやって来た俺は、太ももに顔をうずめた後に野外で着替えるという高度なスタートを切ったのだった。

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