魔女の鉄槌

エル

第1話

 彼女は公園の木陰になっているベンチに座り、空を見上げる。

 その手には近くの自動販売機で買った炭酸飲料水があった。


 空には雲ひとつない。

 よく晴れた日の午後。

 制服姿の彼女は目立っていたが、平日のしかも昼間ということもあって公園には彼女以外誰もいないので、彼女に注意を払う人は誰もいない。

 木陰に吹く風の心地よさに目を閉じる。


 思い出す最後の記憶にある空は、濁り、澱んだ、汚泥のような色だった。


 遠い、遠い、昔の記憶。


 彼女には夫と娘がいた。

 決して裕福とは言えなかったが、日々を暮らしていくには十分であり、幸せな家庭だった。

 だが、幸せは長くは続かなかった。

 夫が仕事中に事故で亡くなったのだ。

 冷たくなって家に帰ってきた夫にしがみつきながら娘と一緒に朝まで泣いた。

 夫を埋葬し遺品を整理しているとき手紙を見つけた。

 見間違うことの無いその文字は夫の字に間違いなかった。

 手紙には箪笥の奥に隠し棚があることが書かれていた。

 夫は日々の給料から少しずつお金を貯めており、それを箪笥の奥の隠し棚に隠しておいたのだ。

 夫が少しずつ貯めたお金はずいぶんな額になっており、これから娘と二人で暮らしていくには十分なお金だった。

 彼女は夫に感謝し涙した。

 娘と2人っきりの生活になるが、夫の分まで娘と生きようと心に決めた。


 だが、突然家に見知らぬ男たちが押し入り、有無を言わせず娘と共に連れて行かれた。

 連れて行かれた先は教会だった。

 彼女はそれがわかったとき全身の血の気が引いた。

 まさか、と彼女は思った。

 娘と共に部屋に連れて行かれると、五人の異端審問官がいた。

 彼らは魔女だと告発があったと話した。

 もちろん彼女はそんなことはない、何かの間違いだと必死に否定したが、異端審問官たちは無情にも拷問にかけよと、彼女と娘を連れてきた男たちに命令した。

 少なくともここに連れてこられたら生きては帰れないのだけはわかっていた。


 彼女は叫んだ、どうか、どうか娘だけは助けてください!と。


 しかし、彼女の必死の叫びは聞き届けられなかった。

 部屋に連れ出され、娘は彼女とは逆の方向に連れて行かれようとしていた。


 娘が頬を涙で濡らし小さな手を伸ばし、お母さん!お母さん!と呼ぶ。


 彼女も娘の名を何度も何度も呼ぶが、男はそんな彼女の髪を力いっぱい引っ張り無理やり連れて行く。

 引きずられ、娘の姿と声が徐々に遠ざかっていく。

 彼女は泣きながら、娘の名を呼んだ。

 娘の遠ざかる声がいつまでも耳に残っていた。


 連れて行かれたさきは地下の薄暗い部屋だった。

 中に入ると、嫌な悪臭がした。

 部屋の中には様々な拷問の器具が置かれていた。

 男は彼女を部屋の中に放り込み、笑みを浮かべていた。


 拷問が始まった。


 彼女は、自分は魔女ではないと訴えた。

 そして、娘だけは助けてくれと懇願した。

 しかし、男は彼女の言葉を無視し、彼女の衣服を剥がし裸にし、逆海老にきつく縛る。

 男のごつごつした手が彼女の体中を点検し、次にナイフで彼女の髪の毛を含めて体毛をつるつるになるまで剃られて、魔女である証拠探しが行われた。

 何も見つからなかったため、次に男は部屋にある棒を彼女の咽に突っ込んで胃の中のものをすべて吐かせる。

 同時に、彼女は大量の水を飲まされ、浣腸をされ排便させられ、大便と吐瀉物までも男に調べられた。


 男は彼女に拷問の器具を見せつけ、自白を強要した。

 彼女は自分は魔女ではないと訴え、どうか娘だけは助けてくれと、それだけを繰り返した。

 男は苛立ち、彼女を椅子に縛り付け鉄製の長靴をはかせ、そして、靴と足の隙間にくさびを打ち込んだ。

 一撃で鮮血が噴出しこの世のものとは思えぬ絶叫が部屋中に響き渡った。

 二撃、そして三撃目で膝の骨は粉々に砕かれて、骨の髄が飛び散った。

 既に想像を絶する激痛で意識が朦朧としている彼女に男は冷水をぶっかけ意識を戻させる。

 意識の戻った彼女を男は椅子から外すと、仰向けにして板に縛り付け、革製のジョウゴを口に押し込んで水を流し込む。

 胃袋が膨れ上がるまで水を流し込むと、男が腹の上に乗って揺すり、腹が圧迫される苦しみと共に彼女の口から水が吐き出される。

 そして男はまた彼女に水を飲ませ、腹の上に乗り揺すり水を吐かせる。

 それが何回かくり返されると、やがて彼女は血の混じった水を吐くようになった。

 あまりの苦しさに彼女はのたうち回る。

 しかし、いくら苦しみ抜いても、それはくり返された。

 何度も、何度も。


 想像を絶する苦しみと激痛の中で彼女は遂に屈服した。

 自分は魔女だ。

 ただ、娘は違う。

 娘だけは助けてください、と。

 薄れていく意識の中で、男は面倒くさそうに、だが、わかったと頷いてくれた。

 安堵した彼女の意識はそこでいったん途切れる。


 次に目を覚ましたとき、彼女は木の柱に縛り付けられていた。

 眼下にはこちらを取り囲むように遠巻きにたくさんの群集が見物に集まっていた。

 朦朧とする意識の中、横に視線を移すと同じように縛り付けられている人間が目に入った。

 その人間はとても小さかった。


 頭を殴られたのだろうか。

 頭から流れた血が顔面を濡らし、そして乾いた血が顔面にこびりついていた。


 顔は見えなかったが、見間違うはずはなかった。


 それは娘だった。


 見ただけで、生きてる気配がないのはわかっていた。

 それでも彼女は絞り出すような声で途切れ途切れ娘の名を呼び続けた。


 しかし返事はなかった。


 やがて、下にある薪に火がつけられる。

 炎はすぐに燃え広がり、業火となった。

 彼女の全身を炎が駆け上ってくる。

 横にいる娘の姿は火に包まれ黒い影となって、やがて見えなくなった。


 彼女は絶叫した。

 それは、もう会えぬ娘の名を呼んだものなのか、それとも焼かれる痛みによるものなのか、彼女にもわからなかった。


 声が枯れ、絶叫は止んだ。

 彼女は自分の体を焼く炎を見る。

 炎は、高く、高く、空に昇っていた。



 空に昇る炎をたどって眼に映った空は、


 黒く、


 濁り、


 澱んでいた。



 消防車のサイレンが聞こえ、目を開けると公園の前の道路を消防車が何台も通過していく。

 彼女は買ってきた炭酸飲料水を飲み干し、口の中で弾ける泡を噛みしめると空になった缶を近くのゴミ箱に捨てると、立ち上がり公園を出る。

 途中、立ち話をしている二人の主婦とすれ違う。


「また、火事ですってよ」

「また!多いわね。今月に入って三件目じゃない?」

「ええ。しかも、また教会らしいわ」

「また!確か一件目と二件目も教会じゃなかったかしら?」

「そうよ。今度もそうみたい。前に起きた二件も火事だったけど、警察の発表じゃ放火の可能性が高いって言うじゃない?今度もたぶんそうじゃないかしら」

「怖いわ~。でも、教会ばっかし狙うなんて。犯人は教会に何か恨みがあるのかしらね〜」

「そうかもしれないわね。でも、教会に恨みがある人間なんているのかしら?」


 空を見上げると、眼には澄みきった鮮やかな青が映る。



 深い、深い、心の傷は


 絶えず、私に痛みを与え、血を流させるだろう。


 血は


 流れ、流れ


 やがて私の体中の血は流れ尽し


 私は死ぬだろう。


 それでも


 それでも、私は


 この怒りを


 この苦しみを


 この痛みを


 この憎しみを


 忘れないために


 この傷を塞ふさがない


 永遠に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女の鉄槌 エル @EruWaltz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ