第6話 核(2)

飯山は官邸の様子がおかしい事を感づいていた。到着して十分。官邸内のベンチに腰を下ろし周囲の状況を窺っていたが、いつにも増して忙しかった。無論、マスコミ関係者が入れない区画ではあったが、飯山には異様に思えた。北朝鮮の核実験というだけでここまで官邸が騒々しくなるものかと疑問に感じつつ、その光景を遠目から見ていた。約束の時間になり、政府関係者が飯山の前に現れた。

「スケジュールが変更になり、申し訳ありません。内閣危機管理センター情報担当官の白石です。」

スーツ姿の四十代後半と思しき男性がそう挨拶してきた。飯山はベンチから立ち上がり、自己紹介を済ませる。そして四畳半ほどの個室に通された。個室には椅子が二つあり、その中央に机が置いてあった。机上には既に書類が置かれていた。

「自衛隊としましては小松基地のT4航空機に放射能測定器を取り付け、対処可能状態を維持しております。」

話の筋であろう北朝鮮対応について先にそう述べた。しかし白石の表情はそれを聞いても何一つ変わらなかった。

「飯山三佐。貴方は有事の際、我々の指揮下で動ける人間と聞きましたが?」

何の前触れもなく白石はそう切り出してきた。

「はい。確かに有事の際は、内閣出向組として動きますが、それが何か?」

唐突な問い掛けに戸惑いつつそう答えたが、疑問は深まるばかりだった。まさか、朝鮮有事が発生しているのか。推論が頭の中を駆け巡る。鼓動が早くなるのを感じていた。

「この国は、未曾有の事態に直面しています。」

その言葉に飯山は眉をひそめた。

「一体どういうことです?」

「二日前、福島の放射能が消えました。」

顔の表情を変えることなく白石は言った。飯山は訳が分からなかった。

「私が言っていることが理解出来ないのはよく分かります。私もでした。」

飯山の顔は強張っていた。いきなりのことに頭の整理が追いついてなかったのだ。

「この福島の件との因果関係は分かりませんが、ここ数日、在日米軍の動きが活発化しています。」

「米軍の動きとしては防衛省としても把握しています。福島原発との因果関係としては見ていません。」

自分に関わりのある問い掛けが来たため、飯山はどうにかそう返した。しかしその声はどことなく震えていた。

「助かりました。防衛省の見解は?」

「中国軍の牽制行動が原因と見ています。」

白石はその回答に眉をひそめた。

「しかし現在、横田の自衛隊は在日米軍とコンタクトすることが出来なくなっています。在日米軍司令部は、北朝鮮情勢を理由にはしていますが、それが原因で、米軍の動向は全く分かりません。」

そう説明され、手元の資料を見るよう白石に促された。ホッチキスでA4サイズの三枚の紙が止めてあり、飯山はそれを通読する。個室に沈黙が広がった。

「確かに・・・。連絡官が施設に立ち入れないという話は聞いていますが、ここまでとは知りませんでした。この行動は異常だと思います。」

資料を見終わった飯山はそう口を開いた。資料には各省庁や自治体から寄せられたであろう情報が多数記載されており、防衛省単独では到底調べられないようなことまで載っていた。

「政府としては、米内務省と国防総省に早急な説明を求めています。」

「それで、私にどうしろと?」

本題に入るよう、白石に急かすように言った。

「米軍の動向について情報収集を行って貰いたいと思っています。」

予想外の要望に飯山は顔をしかめた。一自衛官が行っていい行動ではないと踏んだからだった。いわゆる諜報活動であり、専門の組織は日本にもあった。

「何故私が?公安でも防衛省にもそれに特化した人材がいるでしょうに。」

心の声をそのまま口に出した。

「我が国の多くの諜報員はアメリカで指導を受けています。言えば顔が知られてしまっているんですよ。諜報組織を長年作らなかった国の末路なんでしょうが、専門屋では今回の仕事は無理だと私は考えています。リスクが大きすぎる。」

その回答に返す言葉がなかった。アメリカの属国、それを芯から思わせる内容に飯山は情けない気持ちにかられた。

「素人を諜報員として任務につかせるのもリスクが高いと思いますが?それに私は自衛官です。もしもの場合の保証はあるんですか?」

「問題ありません。今から貴方には政府の人間として動いて貰います。これに生じた責任は全て政府が取らせて頂きますので心配ありません。」

用意していたかのように即答する。それを聞き飯山は深く息を吐き出す。

「分かりました。お引き受けしましょう。」

そう決断したのを聞き、白石は深く一礼して見せ、個室のドアを開けた。

「一人では心持たないでしょうから、自衛隊のお好きなバディを付けます。」

嫌味混じりに言う白石に少し苛立ちを感じはしたが、気にせず軽い笑みでそれに応えた。

「貴方と同じ自衛官で、航空総隊に所属する中村一尉です。」

個室から出るよう促しつつそう言った。

「航空総隊?」

飯山は思わずオウム返しをした。

「はい。横田に勤務する元パイロットです。米軍パイロットとも深い親交がある彼ですから、何かしらの情報は得られるかと思い、私から声を掛けました。飯山三佐とともに動いて貰います。」

個室を後にし、広い廊下を歩きながら白石は応えた。飯山は右手に持っていた制帽を被りながら、

「了解しました。彼とは何処で落ち合えば?」

今からのスケジュールは空いていたため、飯山は夜飯を一緒に食べつつ意思疎通を図りたかった。しかし彼はこれから政府の方針を決めるかもしれない重大任務を背負わされた事をまだ自覚出来ていなかった。そのため自分自身に言い聞かせたい考えもあった。無論、これから任務をともにする中村一尉との相互理解は必要不可欠だったが、今の彼には前者の理由が強かった。少しでもこの現状を自分に理解させたい。そう思いつつ問い掛けた。

「はい。そう言うと思いまして、私の行きつけの場所ですが、そこで改めてお話をしたいと思っています。」

手際に良さと親切さに不気味に思ってしまった。しかし政府の人間として頼んでいる立場では当然の接し方なのか。政治家という生き物の理解に一瞬戸惑ったが、余計な事は考えないよう自身に言い聞かせ、

「分かりました。わざわざ有難う御座います。」

言葉で感謝を言い表した。気付くと官邸の正面玄関まで足を進めており、白石に促されるまま、黒塗りの専用車に向かった。後部座席のドアをベテランそうな運転手が開けており、自然な流れで乗り込む。白石は反対側のドアを開け乗り込んだ。その動きを横目で見ていると、運転手がドアを閉める音が聞こえ、姿勢を崩した。

「いつもの料亭まで頼む。」

運転席に乗り込んだのを確認した白石は運転手にそう告げる。それを聞き、静かに返事を返した。そして車は官邸を後にした。

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