第三章 2

 その日は、朝からクラスがざわついていた。

 上手く説明することはできないが、普段の馬鹿騒ぎではなく、声の中に異様な興奮が混在している、そういった種類のものだった。新吾にはその正体が掴めなかったが、騒いでいる生徒の中心の大野が新聞を握っているのが見えた。

 それを見て、新吾は昨日流れたニュースを思い出した。

 それは隣町の女子小学生が不慮の事故によって、頭部を切断により死亡したという事件だった。

 頭部切断という内容に新吾も驚いたが、アナウンサーが伝える情報の限りでは、事件性は皆無とのことだったので、普段見かけるニュースと変わらない、自分の範疇からは外のことで、気の毒だな、くらいしか新吾は思わなかった。

 やがて八時半を告げる鐘と共に倉田が教室に入ってきた。それを見た生徒達は、慌てて各自の席に着いた。

 いつものように倉田が出席を取り、連絡事項を告げているときに、大野が手を挙げていた。他の生徒には大野が何故挙手をしているのか理解しているように、大野に期待を込めた視線を送っていた。

「どうした、大野?」

「昨日の首切断事件って、やっぱり指切り様の仕業なんですか?」

「馬鹿なことを言うな。あれは不幸な事故だ」

「でも、どう考えたって特徴が同じじゃないですか?」

 大野はクラスを煽るようにして、教室全体を見渡した。すると、他の生徒も大野の言葉に同調して、たちまちに倉田が姿を現す前と同じ騒がしさを取り戻した。

「静かにしろ! みんなも人ひとりが亡くなっているんだ。面白おかしく弄ぶようなことはしないように!」

 そう言うと、倉田は生徒の言葉を聞かずに教室から出て行った。しかし、倉田がいなくなると、反省しない級友たちはすぐに大野の周りに人垣を作り、再びこぞって新聞を覗き込んでいた。

 それから一日中、学校中がこの事件――正確には指切り様の話題で持ち切りだった。

 新吾は修学旅行の時に、指切り様の名前を聞いたことを思い出していた。あのときは結局、指切り様が何なのか知ることはできなかったが、今回の事件がそれに大きく関わるとは思ってもみなかった。

 指切り様の全容は未だ掴めずにいたが、その一部を知って、新吾の指切り様への興味は高まっていた。

 しかし、学校の中では誰かに聞く当てもないので、新吾は塾でそのことを聞いてみることにした。

 幸いにしてこの日は丁度、塾のある日だった。新吾は下校すると、すぐに塾へ向かった。

 塾に着くと、流石に早く着き過ぎたらしく、新吾以外に生徒の姿は見えなかった。

 早く指切り様について情報を仕入れたい新吾は職員の詰所に足を向けた。中を窺うと、塾長が新吾に背を向けて椅子に座って煙草を吹かしていた。

「おはようございます」

「お、おはよう。何だ佐竹、早いじゃないか」

 少し驚いた様子で、塾長は椅子を回転させて新吾に向き直った。

「他のみんなは、まだ来てないんですか?」

「佐竹が一番だよ。やる気満々じゃないか」

「はぁ……」

 早く来たことが受験へのやる気と誤解されてしまったことに、新吾は曖昧な返事しかできなかった。

 新吾は、この雰囲気の中で聞いても良いものかと逡巡したが、自分の好奇心を抑えきれずに切り出した。

「塾長は指切り様って、知ってますか?」

「指切り様?」

「はい! 昨日起きた小学生の頭部切断事故が、指切り様の仕業だって……、学校中がその話題で持ち切りだったので……」

 新吾が話を進めていると、塾長の表情は次第に険しいものに変化していった。新吾も始めのうちは塾長の目を見て話していたが、最後の方は俯いてしまい、声もほとんど出ていないほど小さくなってしまった。

「今どき、そんな非科学的なことがあるわけがないだろう。それより、よそ見していると、どんどん他の奴らに置いていかれるぞ」

「……はい」

 塾長の声は想像以上に厳しいものだった。まさか怒られることになるとは思ってもみなかったので、指切り様について塾長に聞こうと思ったことを自分のつま先を見つめながら後悔した。

 塾長はそんな新吾の姿を反省と取り、煙草をもみ消して立ち上がると、新吾の方へ歩いてきた。そして入り口に立ち尽くす新吾の肩を優しく叩き、そのままどこかへ行ってしまった。

 その後、新吾が休憩室でやり場のない不満を抱え込んでいると、続々と塾生達がやって来た。

「おはよう。佐竹君、早いね」

 新吾を夏祭りに誘ってくれた男子生徒が話しかけてきた。

 あの後、新吾は彼に謝罪をしたが、気にしなくて良いと笑ってくれた。その優しさが新吾はとても有難かった。

「どうしたの? 元気無いね」

「大丈夫、大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」

 新吾は作り笑いを浮かべながら答えると、周りにいた数人と教室に向かった。

 その日は授業開始直後に、受験に対する心構えを改めて説かれた。

 新吾の他にも授業開始前に今回の事件の話をしていた生徒もいたが、講師の熱弁に感銘を受け、それ以降は誰も事件のことは口にしなかった。

 これを契機に、塾内で事件を口にすることは禁止ということが暗黙の了解となり、新吾は指切り様についての情報源を絶たれてしまった。

 新吾にとって、学校での出来事は全てが些末なことであるはずなのに、一方で異常な盛り上がりをみせている事件の全容を自分だけが知らないことに、酷く苛立ちを覚えていた。

 家に帰り、流れていたニュースでは頭部切断事件に大きな進展はなく、新吾はもやもやした気持ちを膨らませたまま、床に就いた。

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