第一章

 朝から電車に揺られ、知らない景色と知らない加速に新吾は段々と気分が悪くなり、途中一度だけ電車を降りて駅のトイレで吐いた。


 体調の悪さを疎ましく思いながら、新吾達が新しく住むことになった土地に足を踏み入れる頃にはとっぷりと日も暮れ、駅構内は家路に着く人々の姿が見受けられた。


「ここはまだ雪が残っているのね」

「前のところに比べたら北に来たからな。それに山も近い」


 両親は新しい町について言葉を交わし、そして新吾に一言かけてから新吾達の住む新しい家へと向かって歩き出した。


 両親から引っ越し先は振興住宅地と聞かされていたが、まだまだ開発は進んでおらず、この町は以前に住んでいた街よりもずっと田舎だった。

 現に駅から少し離れると街灯も道の先にぽつりぽつりと設置されている程度で、辺りは暗闇が広がり、周りを見渡しても目新しいものは何一つ見つからなかった。


しかし、唯一、以前の街と決定的に違うと新吾が感じ取れたものがあった。それは、匂いだった。


 土の上に雪が被さっていてもなお、土の匂いが濃く、新吾は思わずむせ返ってしまった。三月の乾燥した空気が喉の水分を奪い、思っていた以上に咳き込んだ。


「新吾、まだ具合悪いの?」

 新吾の母、信子が心配して新吾の顔を覗き込む。

「……別に。もう平気」

 新吾は目も合わせずに、ぶっきらぼうに答えた。

「そう」

 信子も言葉短く返すと、また新吾の知らないどこかへ向かって歩き始めた。


 父、祥悟は一度もこちらを振り向かずに先を歩いている。黒い上着を着ているせいか、その姿は闇と同化し、これ以上差が開いたらきっと見失ってしまうだろうと新吾は思った。


 ――どうせなら、そのまま消えてしまえ!

 新吾は心の中で叫んだ。


 しかし、そう願ったところで本当に祥悟が消えるはずもなく、新吾はぶつけどころのない苛立ちを募らせながら、二人の後をとぼとぼと歩いた。


 新吾は最近、両親との仲が上手くいっていない。


 その原因は勿論、今回の引越しなのだが、何よりも両親が引越しの理由に自分を使っていることが新吾は気に入らなかった。


 ある晩、夕食が終わり、自分の部屋に戻ろうとしたところを信子に引き止められた新吾は、突然今回の引越しの話を切り出された。


 新吾の中学受験が成功した際に通学の利便性を考え、この町に移り住むことを決めたと信子は新吾に説明したが、本当は今後発展するだろう、この土地を安いうちに手に入れ、土地が高騰した際に売り払うという計画を両親が立てていることを、新吾はトイレに起きた別の夜に盗み聞いて知っていた。


 中学受験のことは新吾も将来のためとしぶしぶ納得し、引越しもまだ一人で生きていくことなどできるわけもないのだから、名残惜しいけれども仕方のないことだと涙を飲み、級友と過ごす最後の一年を悔いのないように精一杯楽しむつもりだった。


 しかし、残りの一年を待たずして転校することになり、それだけでも新吾は怒り心頭になっていたが、受験を決めたことで引越しをすると聞かされた時に、両親は自分が何を大切にしているのか考えていないのだと裏切られた気分になり、最後は心に諦めしか残らなかった。


 そもそも、まだ受験に成功した訳でもないのに引越しを決めたことが、新吾が受かろうと受かるまいと、こちらに来ることは初めから決まっていたのだ。もっともらしい理由で本心を隠す両親に、新吾は嫌悪感を抱かずにはいられなかった。


 その日を境にして新吾は両親と距離を置くようになり、家族の間の会話も段々と減っていった。


 新吾は早く大人になりたかった。


 早く大人になって自由を手に入れ、両親から離れて暮らしたかった。


 しかし、そんな生活はずっとずっと未来のことのように思えて、新吾はやり場のない不満を込めた大きな溜め息を吐いた。

 吐き出された白い溜め息は暗夜に溶けて無くなったが、新吾の不満や嫌悪感はまだ心に残ったままだった。

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