第39話"にごあい"の舞台「あやばみ」④

「もう少しっス、頑張ってください凛詠サン」

 定霜がタオルを渡すと、紅咲は「え?」と不思議そうな顔をした後、

「ああ……そっか、そうだった。うん、ありがと、迅」

「っス! 眞弥サンも!」

「悪いワね」

 水分補給はあちら側でする手筈なので、定霜は急いでこのめ達の元に戻る。

 翔の衣装は戦闘で乱れていたが、更に部分的に態とたるませる。睦子の指示通り、何度も練習した。

 肩で息をするこのめと吹夜からタオルとペットボトルを受け取り、定霜は数回うちわで扇ぐと、「オラ! バシッと決めてこいや!」と二人の背を叩いた。どこかボンヤリとしていたこのめの焦点が、迅の顔を見てハッとしたように定まる。

 と、途端にへにゃりと頬を緩ませ、

「観ててよ、迅。俺達の『これまで』が、一番輝く瞬間を」

「……いってくる」

 このめは再び『翔』の顔を作ると、駆け出し、少し後から足を引きずるようにして吹夜が中央へと踏み出す。その様をポカンと見つめながら、定霜は「くっせえ台詞」と呟いた。

 クスリと笑う声に慌てて視線を転じると、杪谷が楽しそうに瞳を細めている。

「カッコイイよね、あの二人は」

「っ、そ、なこと」

 当惑する定霜に杪谷はタオルとペットボトルを受け渡した。着物を直して、刀の柄を握り直す。

 舞台上では追ってきた朱斗を見つけ、翔が容赦なく斬りかかる。

「くっ、翔……!」

 出番が近い。歩を進めた杪谷は、定霜を振り返り小首を傾げた。

「僕には、ないの?」

「!」

 定霜は驚いたように眼を丸くして、扇いでいた手を止めた。が、直ぐさま意を決したように息を吸って、

「っ、ガッといってきてくださいっ!」

 バシン! と背に受けた杪谷は微かによろめいたが、「うん、いってきます」と嬉しげに微笑んだ。


 朱斗の身体は限界が近かった。翔との戦闘に加え、『烏天狗』との応戦、碧寿との対戦で妖力も体力も消耗していた。

 だがそれは、翔の身体も同じだ。好戦的な態度に反し、足がふらついてる。

「翔、聞こえるか! 今なら『烏天狗』を押さえ込める。妖かしなんかに、呑まれるな……! その身体も、意識も、『烏天狗の息子』ではなく、お前のものだろう……!」

「うっ、うう……!」

 カキンッ! 力のない刃が交わる。翔は頭を抑えている。明らかな『変化』だ。

 朱斗は畳み掛ける。

「甘ったれるな! そんな簡単に全てを受け渡すような軟弱者を、オレが許すとでも思っているのか! 喰らい尽くせ! お前なら、オレの知る『翔』ならば、『烏天狗』に打ち勝てるだろう……!」

「ううっ、あああああ……っ!」

 苦しげに蹲る翔。青いライトが他方を照らし、

「信頼、友情、自己犠牲。どれも美しく、等しく反吐が出るな」

「碧寿……!」

「お前も言っていただろう? 社の白蛇よ。今この山には、『烏天狗』が必要なのだ。それも、先代のような腑抜けではなく、我々妖かしにとって『山神』となり得る存在が」

「ならば、別の『烏天狗』を連れてこい……! 翔は、翔には、そんな『役目』など背負わせん!」

「それは無理な相談だ。オレは、この者に『烏天狗』になってもらわなければ困る」

「何故だ……!」

 碧寿の表情が、一瞬の憂いをさす。

「……『約束』という名の呪縛を、解くためだ」

「約束?」

「獏」

 静かな呼びかけに「はい、碧寿様」と応える声がしたかと思うと、真紅のライトの下に一人が放り投げだされる。

「沙羅……!」

「すまぬ、朱斗……」

「お前、妖力が!」

「……ふん、コヤツ、嫌な手を使うのう」

 力なく横たわる沙羅は腕と足を斬られているのか、床に転がったままだ。

 現れた獏は沙羅へと歩を進めると、その髪を掴み上げるようにして顔を上げさせた。

「ホントは喰ってやりたかったんだが、ダメだって言われてるからな」

「……どういうつもりじゃ、碧寿」

「ああ、その子はまだ創ったばかりでね。オレの力を注いでいるから妖力は申し分ないが、『成長』には鍛錬が必要だろう? それに、沙羅。お前は本来、『人』に恨みを持っていたと聞く。オレは同志には手を下さない主義だ」

「……わらわは其奴の『鍛錬相手』か」

「歓迎するぞ。さて、翔。そろそろ終盤といこう。……獏」

「はいよ!」

 言って獏は、朱斗へと飛びかかった。決死の応戦も簡単に防がれ、朱斗は背後から羽交い締めにされる。

「くっ……!」

「おっと、大人しくしてろよ? じゃないとうっかりオレが斬っちまいそうだ」

「さあ、翔」

 頭を抱え呻く翔に、碧寿が近づく。振るわれた錫杖を受け止め、力づくで奪うと、碧寿は乱雑に翔を立たせた。そして囁く。

「今度こそ、正しい『山神』としての生を始めよう。手始めに、これまでの愚かな自身と決別するがよい」

「う、ああっ」

「我らが崇めし『烏天狗』よ。……あの者を、喰らえ」

 碧寿はその手に仕込み錫杖を握らせると、その切っ先を朱斗へ向ける。

「よせ! 翔! 目を覚ませ! 朱斗を貫いたらおまえはっ! おまえは本当に全てを失うぞ!」

「っせーなあ、狐っこ」

「翔!」

 沙羅の悲痛な叫びに、

「うあ、あ」

 翔はよろめくも碧寿によって更に柄を握り込められる。

「やれ、翔よ」

「っ、翔……」

 朱斗の呟きに、

「あ、ああ、ああああああああっ!」

「かけるー!」

 ザシュッ!

 オレンジの光源の中、貫かれた朱斗が崩れ落ちた。持ち手をなくした錫杖の柄が、床を叩いてカランと鳴る。

「あ、あ、あやと! しっかりせい! あやとお!」

 何とか側に寄ろうと這う沙羅の声が、ホール全体に響き渡る。

 翔はよろめいた。一歩、二歩、怯えるような足取りで後退して、「あ、あ」と呻く。

 倒れる朱斗を静かに見つめていた碧寿は、「……つまらん」と面白くなさそうに呟いた。視線を翔へと転じる。

「……急所を外したな、翔」

「あ、あやっ、あや、と……? あ、うあ……!」

 次第に恐怖へと顔を歪める翔に、獏は眉根を寄せ、

「……アイツ、この感じはまさか」

「……帰るぞ、獏」

 身を翻した碧寿に、獏が「いいのか? だって今なら……」と首を傾げる。が、

「よい。興ざめだ」

 戦慄く翔の横を通り過ぎた碧寿は、薄く視線だけを流し、

「……お前もまた、別の道を行くのか」

 去りゆく碧寿など見えていないかのように、ただ朱斗だけを見つめる翔の双眸が次第に見開かれていく。

「あや、あやと、あやと! あやとっ!」

 朱斗へと駆け寄った翔に、沙羅が「っ、戻ってきたか、翔……」と弱々しく呟く。

「沙羅……! なんで、オレ、オレは……!」

 泣き崩れるようにして、翔が朱斗の肩を抱き起こす。

 突き刺さる錫杖の刃。抜こうとするとすかさず沙羅が「抜くな!」と制止した。

「抜けば血が流れる。今の朱斗に、止血出来るだけの妖力はない」

「そんな……! じゃあ、どうしたら……!」

「……かけ、る」

「っ、あやと!」

 必死の指先が、翔の袖を握り込めた。

 掠れ、荒い呼吸の中で、震える声が弱々しく届く。

「もどった、のか……」

「なんで、なんでこんな無茶を……っ!」

「……『もう、いいか』、だと……? いいわけ、ないだろ……。甘えるな」

「わかったから! もう喋んな! 妖力が……!」

「翔」

 ガクガクと震える腕が伸ばされ、翔は力強くその掌を握る。

「……すまなか、った……。お前を、傷つけた……。これは、当然の報いだ」

「そんな、そんなこと……!」

「……許してくれ……友、よ」

 力の抜けた身体。閉じられた瞼。

 翔が叫ぶ。

「あやと! ふざけんな……あやと! あやとっ! 置いていくな! お前っ、オレの最期まで側にいるって言っただろうがよ! 『山神』としての最期を見届ける『役目』があるって! なのに何で、先に終わろうとしてんだよ! 順番がちがうだろっ!」

「よせ、翔……! まだ……まだ、手はある」

「え?」

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