第40話"にごあい"の舞台「あやばみ」⑤
沙羅は眉根を寄せると、重々しく息を吐き、
「……お前の妖力を、与えるのじゃ。『烏天狗』は、それが出来る。だが翔、お前の妖力も、自身の維持で精一杯といった所じゃ。だがこのままでは、確実に朱斗は死ぬ。残されているのは」
「やる。オレが、やる」
「……だがお前はまだ『覚醒』したばかりじゃ。加減を誤ると、己が死ぬぞ。それは、朱斗の望む所ではない。もちろん、わらわもじゃ」
「……わかってる。だから、失敗しない」
決意の断言に、沙羅は息を呑んだ。ゆっくりと朱斗の身体を横たえる翔の表情は、落ち着いていて、穏やかだ。
『山神』の気配。沙羅は諦めて自身の身体も横たえた。
「翔は意地っ張りだからのう……。これ以上の忠告は、不要じゃろ」
「うん。よくわかってるね。……大丈夫だよ、沙羅」
翔は両手を組んだ。指先は半円のドームのようだ。
「大切な友達を救えないで、なにが『山神』だ」
吐き捨てるように呟いた瞬間、薄暗くなった舞台の後方に、悠々と開かれる黒翼の映像。照らすスポットライトが翔の周囲に光の輪を作り、幾重にも音が重なる荘厳な音楽が響く。
祈るように眼を閉じた翔の口から発されるのは、経のような、呪文のような『唄』だ。音楽と混ざり合い風となり渦となった『唄』が一番に轟くと、照明が消え、会場は闇に包まれた。
静寂の中で、小鳥の囀りが温和な日常を運んでくる。ゆっくりと光が戻ると、屋敷内のようで翔が寛いでいる。
「なーんか、嵐みたいだったなあ……。妖力もなんかまだ、変な感じするし」
懐かしむように胡座をかく膝に肘を乗せ、
「……碧寿は、なんで来たんだろ。やっと会えたと思ったのに、全然、話せなかったなあ」
「あやつは翔を誑かし、朱斗を貫かせた張本人じゃ。気を許すな。次は、いかなる手を使ってくるかわからぬぞ」
「沙羅」
湯呑みを乗せた盆を手に翔の背後から現れた沙羅は、綺麗な仕草で膝をつき、翔に一つを手渡した。自身はその隣へ収まると、もう一つを手にする。
「もう傷は平気?」
「この通りじゃ。わらわも大分消耗していたからのう、自身の妖力だけでは、まだ時間がかかっていたであろう。翔のおかげじゃ。まだ残った翔のが体内を巡っていて、内側から翔の存在を感じるようじゃ……!」
「ぶっ! ちょ! 妙な言い方をするなよな!」
「妙ではない、事実を述べただけじゃ」
「にしても言い方ってモンがあるだろ!」
言い合う二人の後方から、もう一人が現れた。朱斗だ。難しい顔で、
「オレは落ち着かん。別の妖力が巡るというのは、こんなにも煩わしいものなのか」
「あのな、一刻を争ってたんだから、それくらい我慢しろよな」
揃いも揃って自由な物言いをする二人に、翔は嘆息する。
が、結果として、皆が無事ならばいいのだろう。そう納得して、お茶を一口含んだ。
「……これでオレも、一人前の『人柱』かあ。あ、半妖柱か?」
「翔……」憂いの表情を浮かべる沙羅に対し、
「喜べ。これで名実共に、この村を守るも捨てるも、お前の意思ひとつだ」淡々と述べる朱斗。
「ほんっとお前ってそーゆーとこあるよな。……けど、ありがと。慰めてくれてんだろ?」
「……さあな」
「素直じゃないな」
プッと吹き出して、翔は湯呑みを置く。揺れる枝葉を見上げながら、
「……捨てないよ。爺ちゃんと婆ちゃんが、父さんと母さんが守った村だ。オレにとっては、それだけで守る理由になる。それに」
翔は二人を見遣り、へらりと笑った。
「ここにはお前達がいるしな」
感極まったように、沙羅が「わらわは最期まで共におるぞ……!」と翔の腕に抱きついた。
「朱斗にだけ抜け駆けはさせぬ!」
「……なんの話しだ?」
「あーいや、なんの話しだろーねーアハハ」
朱斗はすっかり忘れているだろう過去の『約束』を、一方的に拠り所にして、ぶちまけてしまったなど言えない。
乾いた笑いで誤魔化した翔は、「あ! そうだ羊羹貰ってさ! せっかくだから切ってこよう!」と立ち上がった。「ならわらわも行く」と、沙羅も翔を追って舞台袖へと消えていく。
残された朱斗は腕を組み座ったまま、遠くに聞こえてくる平和な会話に耳を傾け、薄く口角を上げた。
「……あの時も今も、『烏天狗』と共に果てる気はないぞ、翔」
大きく鳴り響く音楽。照明が落とされ、舞台が黒に染まっていく。
幾重にも重なる荘厳な音色の上で、篠笛が一層大きくメロディを謡う。完全に見えなくなった世界を閉じるように、長く長く響いて最後を告げた。
パラパラと鳴り出した拍手が、次第に膨らんでホール中に轟く。
と、軽快な音楽が流れ、舞台上が明るくなった。舞台袖から獏役の雛嘉が出て来ると、一層拍手が大きくなる。
雛嘉は獏としてではなく、いつもの綺麗な笑みで片手を優美に上げ、指先までしなやかに下ろしながら低頭した。粗暴だった獏役とのギャップに、客席が沸き立った気配がする。
次いで出てきたのは紅咲だ。番傘を肩に背負いもう片手を胸に当て、小首をかしげながらしおらしく膝を軽くおる。が、当然そのまま終わる筈もなく、ニッコリと蠱惑的な笑みで仕上げときた。会場の温度が上がるのも、無理はない。
続いて現れたのは、朱斗の吹夜だ。元より愛想を振りまく性格ではないので笑みこそはしないが、右腕、左腕と順に開き、腿横に揃えて頭を下げるキッチリとした礼は、どこか紳士な雰囲気が漂う。観客からは色めいた感嘆の声が漏れていた。
頭を上げた吹夜は並ぶ紅咲の横に進みながら、次を促す。碧寿の杪谷が現れ、中央へと歩を進めた。
スポットライトの中で立ち止まった杪谷は、煙管を持つ右手でゆったりと客席を撫で、そのままその腕を右横に、左手は胸に、間を持って低頭した。上げた顔には、本来の杪谷が持つ優しげな微笑み。一層膨らんだ拍手に、黄色い声が交じる。
雛嘉の横に進み、全員が次を誘うように腕を中央へと広げた。
跳ねるような駆け足で、このめが現れる。一際渦となる拍手の雨。想像以上の反応に当惑しつつ、このめは中央で立ち止まり客席を見回す。
眩いスポットライトの向こう側に、初めて『観客』を認識した。並ぶ面々には、笑みが浮かんでいる。
途端、このめの眼奥に感動がこみ上げてきた。それは安堵だったり、感謝だったり、驚愕だったり、ともかく複数の感情が混ざりあった衝動だった。溢れる雫を耐えようと唇を噛み、滲む視界を自覚しながら両手を上げる。
この光景を覚えていたい。胸中に溢れる、この気持ちと共に。
下ろした両腕は背後ろに、深々と腰を折ったこのめの礼に、拍手が一際大きく鳴り響いた。
部員が横に並ぶのを感じて、このめは頭を上げる。結局溢れてしまった涙を拭うと、吹夜が軽く肩を竦めた。このめも苦笑を返して、胸元に手を当てながら深く息を吸い込む。
「っ、本日はご観劇頂き、誠にありがとうございました!」
低頭するこのめに合わせ、並んだ部員も頭を下げる。割れるような拍手に包まれ、このめは再び目元を拭った。頭を上げ、杪谷と雛嘉は舞台上手側に、このめ達は下手側に歩を進める。
涙するこのめをからかうように肩を叩く紅咲と吹夜は、客席へ手を振っていた。反対側の杪谷達もそうしているのか。黄色い声がいくつも飛び交う。促され、このめも軽く手を振り下がると、迎え入れてくれた睦子も微笑みながら感涙していた。
舞台上のライトが落とされ、それでもまだ鳴り止まない拍手に、濃染達から「もう一度」とカーテンコールの指示が出た。
睦子に「これが、最後です」と背を押され、このめ達は再び舞台上に踏み出した。杪谷と雛嘉も現れ、舞台中央で笑みを交わす。
このめは両手を上げ、「本当に、ありがとうございましたっ!」と低頭した。全員の礼に、拍手の激流。
ふと、思い立って、このめは左右の部員達を見遣った。意図は伝わったのだろう。四人は軽く頷くと、それぞれ舞台袖へ早足で向かった。
このめは新たなメンバーを迎えるように、左右の腕を広げる。と、紅咲と吹夜は睦子を、杪谷と雛嘉は定霜を引っ張り出してきた。突然の事態に、連れられた二人は困惑している。
恐縮しながらとにかく、といった様子で頭を下げると、拍手が彼らを労ってくれた。このめは次いで顎を上げ、観客の視線を促すようにコントロールルームへと腕を伸ばした。
振り返った観客に、気づいた濃染が立ち上がり頭を下げる。文寛兄弟は手を振っていた。
本当は武舘も巻き込みたかったが、ビデオカメラを構え、涙しながらも観客の一人と徹しているので、このめは自身だけ会釈した。
本当に、本当に、最後だ。
視線を集めるように、再び両手を広げ、
「本当にっ! ありがとうございました!」
熱く眩しいスポットライトの下。
流れる音楽が拾えない程の拍手の中、琉架高校二.五次元舞台愛好部は、初演の幕を下ろした。
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