第37話"にごあい"の舞台「あやばみ」②

 湯呑みを側に置きながら、獏が小首を傾げる。

「それはただ怠惰に過ごす現状を言ってんのか? それとも、ご執心の『烏天狗』に動きがないことを言ってんのか?」

 数年前に創られた式神の獏にとって、『烏天狗』とは翔の事である。彼は半妖なのも、未だに『覚醒』が出来ず、その能力を自己の意思無く切れ切れにしか発動出来ないのも、一応、碧寿から聞いている。

 が、物事を大枠でしか捉えない獏にとって、彼が『烏天狗』だと言われているのならば、『烏天狗』なのだ。

 当然、その方程式を知る碧寿は、特に問い正す事もせずに溜息をつく。

「あの者に変化があれば、この怠惰な現状は存在しない。二つは密に繋がっているのだ。故に――、うん?」

「どうした?」

 神経を研ぎ澄ませた碧寿が、薄く口角を上げる。

「喜べ獏。どうやらあの者達が、動こうとしている」

「どうしてわかる?」

「山神と鬼には、互いに切っても切れない縁がある。他方が在る為には、他方が在らねばならないのだ」

 断言する碧寿に、獏はわらからないと眉根を寄せ、

「それは共に人を支配する為か?」

 その言葉に、碧寿は青い瞳に憂いを浮かべた。

「……そうだったなら、こんなにも手を焼かずにすんだのだがな」

 呟くような声に、獏は益々首を傾げた。煙管がくるりと回る。おそらく自分の創造主は、過去へと思考を飛ばしているのだろう。

 程なくして、「だがまあ」と振り切るような笑みが向いた。

「それは昔の話しだ。既にバランスの崩れた現世では、他方が他方を喰っても、さして問題あるまい」

「喰うのか?」

 保護的な微笑みが、剣呑な気配を帯びる。

「……それは『彼』次第だ」

 暗転。

 木々の枝葉が笑う奥で、鳶が高くピーヒョロロと鳴く。後方には幹と緑の映像が映し出され、場面がまた別の山中へと変わった。

 舞台袖から歩いてきたのは、不満げに唇を尖らせた青年だ。これまでの出演者とは違い黒髪黒目と地味で、服装も書生のような出で立ちをしている。

「ったく朱斗のヤツ、なんでまたこんなトコに……」

 平々凡々なその中で唯一異質なのは、手にした錫杖だ。山伏でもない彼が持つには、どうにも浮いている。

 きょろりと辺りを見回した青年は、「呼び出しといて遅刻かよ」と腕を組んで座り込んだ。怒りの様相だが、再び鳶が鳴くと物憂げに眉根を開く。

「……なーんか今日は朝から変だったよなー。沙羅のヤツも、妙に大人しいし」

 ボンヤリとした不安が胸中に渦巻く。だがその思考は、淡いライトを背負って現れた待ち人の姿に途切れた。

「翔」

 朱斗だ。翔は立ち上がりもせずに、「遅刻だぞ」と窘めた。

「いーけどさ、別に。ってか話しって、家じゃダメなのかよ? ああ、沙羅に聞かれたくない内容なのか?」

 翔の家には、すっかり沙羅が居着いている。

 朱斗は否定も肯定もせずにじっと翔を見据え、安堵したように「ちゃんとそれ、持ってきたな」と呟いた。

「それ? ああ、錫杖のこと? お前が持って来いって言ったんだろ」

「ああ、言った。だから確認したんだ」

 その、瞬間だった。

 流れる曲が音量を上げ、穏やかな空気を緊迫させる。

 一気に詰められた間合い。シャッと刀が鞘から抜かれ、光る切っ先が翔目掛けて振り下ろされた。

「な!?」

 カキーン! と高い衝突音。

 翔は手にした錫杖で、刃を凌いでいた。突如の事態に混乱したまま、朱斗を凝視する。だがその表情は変わらない。

「あのなあ! 冗談にしては趣味が悪いぞ!」

 切っ先を振るいながら身を引き非難するも、朱斗は悪びれる様子もなく「いいか、翔」と諭すように言う。

 なんだろう。なんだか、良くない感じがする。

 背に嫌な汗が流れる。朱斗の放つ鋭い殺気が、自分に向いている。翔はやはり事態を飲み込めないままも、反射的に身構えた。

「先代の『烏天狗』亡き後、本来ならば、息子のお前がその役目を引き継ぐ筈だった。だがお前は今になっても、まだ覚醒出来ずにいる。実に好機と、お前を狙う妖かしも増える一方だ。そして同時に、村人からのお前に対する不審も強い」

「……知ってるさ。わざわざ言われなくとも、オレが一番良くわかってる。馬鹿にしてんのか」

「お前はこの現状の危うさをわかっていない」

「なんだと?」

「オレは社に住まう白蛇の血を引いている。信仰と引き換えに、この山と村の平穏の為、手を貸すのが決まりだ。故に」

 チャキッと響く金属音。朱斗が意図を持ち、刀を構える。

「お前はオレの手で斬る!」

 早まる音楽が焦燥を煽り、翔へと駆け向かった朱斗が刀を振るい斬りつける。

「っ! んだよ! わけわかんないって!」

 受け止めても受け止めても、朱斗の刀は威力を保ったまま何度でも狙ってくる。遊びではない。稽古でもない。本気の目だ。

 幼少期より『白蛇』の力をコントロールする朱斗に、いまだ『未覚醒』の翔が敵うはずもない。

 それは朱斗だって、承知の上だ。承知して尚、翔を『狩ろう』としているのだ。

 信じられない。信じたくない。信じていたい。

 朱斗は翔の、かけがえのない友人だ。半妖だと馬鹿にされた幼少期から、体のいい『人柱』となった今に至るまで、どんな時でも朱斗だけは、寄り添い支えてくれた。なのに。

 容赦ない絶望が、翔の腕を斬りつける。

「つっ……! おま、本気なのか!? 本気で俺を、殺そうとしてんのか!」

「黙れ。オレはもう、お前のお守りなどゴメンだ」

 ガキン! と響く衝突音。翔はまだ、仕込み錫杖の切っ先を抜けずにいる。まだ、ほんの僅か、悪い冗談であってほしいと縋る心が勝るからだ。

 だが向かい合う朱斗は押し合う腕に更に力を込め、そんな翔の希望も見透かしているかのように、冷たく嘲笑し、

「山神の血筋? 笑わせる。覚醒も出来ないままの、只の脆弱な人間じゃないか」

「な!」

「いっそ喰ってやる。そうすれば、オレの血肉として守り神の一部となれる。先の烏天狗も、愚息がこのまま未熟な半妖として恥を晒し続けるより、ほんの僅かでも糧になれたのならと喜ばれるだろう」

「どうして……そんな……っ!」

 翔の胸中に込み上げる衝動。

 一番の『正論』を、一番否定してほしかった相手から告げれた哀しみ。結局腹の内ではそう思っていたのかと、底の見えない失望。

 沸々と身体に侵食していく黒の憤怒。それは父へだったり、朱斗へだったり、何よりも、自分へだったり。

 ガキッ!

 鈍い音をたてて、翔の錫杖が組み合う朱斗の腕を薙ぎ払う。

「わかってる! 今のオレでは只の役立たずだ! けどお前は、お前だけは! 何があっても友達だって言ってたじゃないか!」

「……甘いな。昔っからそうだ。簡単な言葉で騙される。力を持つ者は常に利用するかされるだけだと」

 向けられた切っ先が光る。

「何度も言い続けているだろう!」

 踊るように舞う刃が、翔の身体に新たな傷を生む。

 身を切られる度、受け止める度、黒雲のような禍々しい『モノ』が、翔の心を蝕んでいく。

「ぐっ……! っ、全部、嘘だったって、いうのかよ!? オレの知る朱斗は全部っ! オレを利用してただけの白蛇だっていうのか!」

 擦れた金属音。翔が仕込み錫杖から、切っ先を引き抜いた。苦悶の表情。

 だがしかし朱斗は、やっとかと言わんばかりに薄く笑い、

「言ったろう。オレはお前が『山神』の『烏天狗』だから保護していただけのこと。最初から、それだけだ」

「っ! くっそおおおおおお!」

「はああああああ!」

 舞台を駆け回る激しい戦闘。走り、飛び、身を翻したかと思うと、白く反射する刃が舞う。光と音楽が観客の焦燥を更に煽る。

 繰り返される衝突音よりも、次第に斬刀音が増えていった。またひとつ、またひとつと傷を増やしているのは、翔だ。

 とうとう崩れるように膝をつくも、朱斗は容赦ない。力なく床を這う翔に、ゆっくりと歩を進めた朱斗は、静かな眼差しで刀を振り上げた。

 止んだ音楽。朱に近いオレンジの光源が、刃に筋を生む。

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