第13話着々と前進!②

「あのね、あんだけアクション重ねればそりゃ疲れるに決まってんでしょ! 筋肉痛だって結構あるし。なんなの? 啓もこのめも体力馬鹿すぎない? 中学ん時って帰宅部だったんじゃないの?」

「あー、帰宅部だけど、夜にランニングしてた。いや、今も継続してっから、『してる』か」

「は?」

「アイツ、高校でこの部作るって決めてから、『体力も必要だから』って走り初めて。今はなんかもう日課みたいな感じだな。最近はたまに公園でアクションんトコやってみたりしてっけど、見回りの警官に喧嘩に間違われたり、休日の昼間に練習しにいくと、なんかガキに囲まれる」

「……そんな事してんの」

「家ん中じゃムリだしな」


 そういう問題? と喉元までせり上がった疑問を、紅咲は寸前で飲み込んだ。

 どうせ訊ねた所で、顔色一つ変えずに首肯されるだけだ。


「幼馴染って、昔からずっと一緒なの?」


 ペットボトルの蓋を回し開け、残り僅かの水を喉に通した吹夜が、「ああ」と答える。


「家近くて、母親同士が仲いいんだよ。小せえ頃から一緒だから、兄弟みたいな感覚だな」

「ふーん。そんで? 『弟くん』の頼みは断れない、優しい『お兄ちゃん』してんだ?」


 このめがこの部に並々ならぬ情熱を注いでいるのは、『勧誘』の時から身をもって痛感している。だが反対に、吹夜の口から熱意や意気込みといった類は聞いたことが無い。


 だからといって手を抜いているのではとか、嫌々付き合ってるんじゃとか、そういう邪推をしているわけではい。

 吹夜も熱心に練習に励んでいるのは重々承知しているし、それはどれも自発的なものだと知っている。

 だが紅咲にはどうにも、吹夜がこの部活に携わっているのは、このめの為に思えるのだ。


 描いた情景に向かって猪突猛進に向かう弟を、少し離れた位置で見守り、時折そっと手助けしてやる兄。そんな風に。

 別に、文句がある訳ではないが。

 訊ねた紅咲の顔をしげしげと観察した吹夜は、本棟へと続く中庭の先へと視線を流して、空のペットボトルに蓋をした。


「……俺、昔っから器用だから、大抵の事はそんなに努力しなくても、ある程度出来んだよ」

「急に自慢話?」

「けどこのめは真逆で努力しないと成果が出ないタイプだから、よく手助けしてやってたんだけど、何にでも一生懸命になれるのが、なんか羨ましく感じてな」

「……このめが聞いたら怒りそうだね」

「だろーな。面倒だから、言うなよ」


 面倒、と言う割に、その口角は愉しげにつり上がっている。


「なんか舞台にハマってんのは知ってたけど、『演りたい』って言い出してからはホント凄くってな。まあ、引きずり込まれた形だが、俺もやってみたら、夢中になれるんじゃないかって思って」

「……で? 結果は」


 懐かしげに細まる瞳が、別の色を乗せて紅咲に向いた。


「今、すっげー『楽しい』から、正解だったな」


***


「えーと……水と、レモンティー? だっけ。缶しかないけど……これでいっかな」


 紅咲がよく好んでいる銘柄はこれだったか。

 断片的な記憶を頼りに(うち数回は定霜が手渡している場面だ)、並ぶ二種類からこのめは一つを選んで押した。

 ガコン、と鈍い音を立てて転がり落ちてきた缶を屈んで手に取る。ひんやりとした水滴が掌に涼を伝え、このめは気持ちよさに薄く目を細めた。

 立ち上がり、続いて水のボタンを選択しながら、教室内の様子へと思考を馳せる。


 模造紙を使って造られた型紙は、まだ線引きまでのモノが殆どだった。

 定霜はミシンに慣れていないので、睦子が出来る部分から布の裁断と縫製に入り、定霜はひたすら型紙の切り抜きを担当すると言う。

 けれどもしっかり「演技の確認も行くかんな」と釘を刺してくる辺り、定霜のフィールドは広い。


(……着々と進んでるなあ)


 ゴトン、と跳ねたペットボトルを手に取り、新しい小銭を突っ込みながら、このめは鬱々とした靄を吐き出すように小さく息を吐き出した。

 プレッシャー。そんな言葉が脳裏に過る。


 このめはまだ、『鬼』を見つけていない。


 休み時間を利用して、一学年の教室を全て覗いてみた。それでも残念ながら、『彼だ』と思える人物は見当たらなかった。

 上学年はそもそも別棟を使用しており、せいぜい移動教室の際に数名を見かけるか、購買ですれ違うぐらいだ。

 だがこのめはありがたい事に、母の手作り弁当を持参しているので、購買を利用する機会は少ない。故に、これまで上学年の生徒を目にしたのも数えられる程度である。


 そろそろ腹をくくる頃だろう。このめは胸中で自身に言い聞かせる。

 好奇の目に耐え上学年の棟まで赴くか、この部に興味のある人物を募って、その中から依頼するか。


「……難しいなぁ」


 もう一つ、ゴトンと落ちてきたペットボトルを取り出そうと、このめはしゃがんだまま深い溜息をついた。ノロノロと伸ばした手で取り出した水は、このめの分だ。

 冷たい。つるりとした表面に浮いた雫が、外気に晒されツウと流れた。

 しっかりしなければ。この部を纏めるのは、発案者で部長である自分の役目だ。

 そんな時だった。


「まだ、買う?」


 不意に背後から届いた穏やかな声に、このめは慌てて立ち上がった。

 うっかり長時間、陣取ってしまっていた。


「スミマセン! ぼーっとしててっ!」


 謝ろうと振り向く。と、そこに立つ人物を捉えて、このめは双眸を見開いた。

 白雪のように艶めく純白の髪に、穏やかさを感じさせる下がった目尻。柔らかくこのめを見据える瞳は澄んだアクアブルーで、まるで底まで透き通った湖のような印象を持たせる。


 どことなく優美さを漂わせる立ち姿。身につけている制服のシャツは藤紫、ネクタイとスラックスの色は今紫だ。

 三年生。けれどもこのめにはその制服の色など、殆ど目に入っていなかった。

 ――見つけた!


「あのっ!」


 興奮に跳ねる心臓が、バクリバクリと鼓膜を支配する。


「『鬼』に、なってくださいっ!」


 勢い良く下げた頭の上で、その人はコテリと小首を傾げた。

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