小首を傾げるタレ目のコリー犬
マサチューセッツ
世の中は平常通り。
騒がれたのは一瞬で、オレは何ごともなく高校生活を過ごした。
理系クラスにいたくせに、大学で経済を専攻するはめになった。
「是非、我が校で経済学を学んでほしい。もちろん返済不要の奨学金を出します。寮も手配します」
最速アプローチは、アメリカのマサチューセッツにある大学だった。
SNSで連絡を受けてOKと即答したものの、本物かどうか半信半疑。
しかし、2日後、学校の校長室で大学関係者と対面した。マジか。まだ高2なのに。
その後、続々とアメリカやら中国やらイギリスやらの大学からアプローチがあった。つーかさ、日本の大学からは皆無ってどーゆーこと? その前にオレ、理系なんだけど。
「大和と一緒にいたのに、なんでオレんとこに大学のスカウト来ねーんだよ。受験勉強したくねー」
「海外の大学は、入ってから大変だからさ」
菊池を宥めると同時に自分に言い聞かせるオレ。
「オレもアメリが行っちゃおっかな。ミシシッピーで幻の魚釣りたいもんなー」
菊池、大学は一応、学問をするとこなんだけど。
「キクも行こ」
「行くか。まずはチャールズ川から攻めるか」
「ちげーだろ。まずTOEFLだろ」
「帰国子女ずりー」
フラウとはほぼ毎晩会う。
最近は会えば必ず、挨拶のようにキスをする。
体温を感じられないことが辛い。フラウも同じみたいで、そう感じるときは、会話が途切れがちになる。そんな夜を重ねるたびに、フラウはぞくっとするくらい大人っぽい表情を見せるようになっていった。
高校卒業後、夏、菊池と2人で渡米した。
マサチューセッツの大学。オレは経済を専攻し、そのまま研究職に就いた。
菊池はマサチューセッツにある別の大学に進学し、交友関係は今も続いている。
***元国家主席は有閑老人。数回オレの寮に来て、学生達と飲み明かした。
「大和、またクラムチャウダー食べてんの?」
「あ、フラウ。ボストンといえばクラムチャウダーじゃん」
「おいしそう」
「今日ちょっと忙しい。ごめん」
「どーぞ。私もプレゼンの資料作んなきゃいけないから」
「時代が変わっても人間の生活って変わんないんだな」
「ちょっとだけ、ここで資料準備してていい?」
「へ?」
「ふふ。ほら、大和やってみたかったんでしょ? 図書館で一緒に勉強って」
「図書館じゃねーじゃん。図書館じゃクラムチャウダー食えねーし」
「男のくせに細かいなー」
フラウの外見は変わっていない。オレの18歳の誕生日、フラウは自らの成長を止めた。グロウドーピング。
「なんで? 自分で言ってたじゃん。大人になったって美人に決まってるって」
「私はね、色んな大和に会わなきゃいけないの」
「色んな?」
「会いたいときに会いたい大和に会えるように。だって、大和は生身の女の子を好きになるかもしんないじゃん? そしたら私は、その女の子に会う前の大和に会いに行くの」
「ないと思うけどなー。見たわけ?」
「ううん。今のとこ、ここより先には、うっかり間違えて1回行っただけ」
「そーいえばさ、1番最初、間違えて横浜駅の通路にホノグラフ送ってたよな」
「もー。忘れて!」
「ははははっははは」
分かってる。オレがフラウ以外を好きになるなんて考えられない。
フラウが成長を止めたのは、ザリン湖で17歳の姿で17歳のオレに会うためなんだ。
それはまるで、死の覚悟をしているかのようだった。
フラウは在宅勤務の仕事を選んだ。17歳で止めてしまった姿を人に晒さないために。幸い未来にはそういった仕事がわんさかあるらしい。
友達には会っているみたいだ。
めちゃくちゃ濃い化粧のフラウを見せてもらった。
「老け顔メイク。どお?」
「お面観たい」
「ちょっと。言葉選んでよっ」
「ごめんっ💦」
ある夜、フラウが契約書を見せてくれた。
「あのね、チェルノブイリの土地を買ったの」
「ええええっ。すげっ」
「忘れられた過去って言っても、土地の歴史は残ってるから、めちゃくちゃ安かった。それでもローンだけど」
「ローン!? 大丈夫? オレも助けられたらいいんだけど。だってさ、会うためなんだからさ。……ま、なんもできねーか。オレ」
「うん」
「死ぬこと分かってんだからさ、オレがローン組めたらラッキーなのにな」
通常、不動産のローンを組むときには生命保険に入ることが義務付けられる。支払人が死亡したり、働けなくなったときには生命保険が下りてローンが完済されるという仕組みになっている。つまり、死ぬと分かっているオレが長期のローンを組めば、丸儲け。
ローンか。
そんな何気ない会話の中で「死」を意識する。
ああそっか。フラウも自分がいなくなることを分かってるのか。
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