好きなアイドルは?
「いやー、よかったよかった」とパイプ椅子から立ち上がった軍人は、医務室のドアのところで振り向いた。
「そうだ。君たちは好きなアイドルはいるかい?」
いきなり。唐突すぎる。さっきまでとギャップあり過ぎ。
「いえ」
「特には」
菊池もオレもアイドルよりはバンド系の音楽が好き。
「じゃ、何かしたいことは? 釣りかね?」
今度は趣味を訊かれる。「軍人さんは怖くないよ」アピールだろうか。
「僕は友達に誘われて釣りに来ているだけで。命が助かった今、したいことは、美味しいものを食べることです。本当にありがとうございました」
「君は?」
今度は菊池が訊かれた。
「黄河やアマゾン川で釣りをしたいです」
「ははは。いいねえ」
軍人は最後、笑いながら部屋を出ていった。
入れ替わりに青い服を着た軍人が入って来て、洗濯して乾かされたオレの服を渡してくれた。靴は若干生乾き。濡れたシュラフまで。そして、オレ達はジープではなく普通のセダン型の乗用車で送られ、最寄り駅から少し離れた場所へ運ばれた。
運転手は先ほど青い服を着ていた軍人に違いないのに、デニムにフランネルシャツ。
「これ以上駅に近づくと色んなところに監視カメラがあるんです」
そこまで気をつけるんだな。
後日お礼の手紙を出したくて、車の中で住所と部署を訊こうとしたら「本当に何もなかったんです。文字に残る手紙や配達記録が残る宅急便は困ります」と教えてもらえなかった。
「お二人は横浜の方ですよね?」
「「はい」」
「横須賀ベースでイベントがあるんです。行ってみてください。お忙しいとは思いますが、ぜひ。戦艦の見学もできますし、お好み焼きや金魚すくいもあります。アイドルも来ます」
運転席から差し出されたのは、1枚のチケット。
「「はい」」
素直にチケットを受け取って、最後、真摯にお礼を言った。
菊池とオレは深々とお辞儀をして、車を見送った。
ブロロロロローーー
2人でチケットを見る。
それは、横須賀ベースで開催されるイベントでの特別企画参加券だった。ゲストとの握手券。チケット2枚で二名まで。
「大和ぉ、握手券で2名までって珍しくね?」
「片手ずつ握手しろってことかな?」
「まさか、アイドルと選挙活動の握手って、基本両手」
だよな。
「なんかさ、すっげかったな」
「びっくり。大和、大丈夫か?」
「驚きすぎて復活」
「スマホ、取りに行くか」
「だな」
てくてくと歩き、交番に行くと、普通にスマホが戻って来た。
「お、コンビニ」
珍しい。コンビニがあるなんて。
「大和、うまい棒買おうぜ」
「ご当地うまい棒あるかな」
「ねぶた棒とか?」
「きりたんぽ棒とか」
そこでオレは、うまい棒のたこやき味と、ポテチを買った。菊池はオレンジジュースやメロンパンを買っていた。
すっかり夕方。民宿に連絡して駅まで迎えに来てもらい、風呂に入ってから死んだように眠った。
次の日、さすがに釣りには行かないだろうと思いきや、菊池は人魚を諦めていなかった。
マジか。
忘れてた。コイツ、女以外のことではしつこいんだった。
オレはシュラフに包まるのはやめ、大人しく体育座り。シュラフは天日干し。
「これでどっかな?」
菊池は嬉しそうに袋に入ったままのメロンパンを釣り針にくっつけてオレに見せやがる。BAKAだろ。
「パン食い競争かよ」
「ワインも買いたかったけどさ、オレら未成年なんだよな」
「ワインなんて、どーやって釣り針に付けるんだよ」
「あ、そっか」
菊池は2本の釣り竿を用意していた。1本が人魚用らしく、それは、三脚型のロッドホルダーで置き竿。海にはぷかぷかとメロンパンの袋が浮いている。もう1本は自分で持っていた。
オレはお地蔵さんのように動かず、ひたすらゲームをし続けた。
昼は民宿のご厚意によるおにぎり。
2人でただ傍にいるだけ。ときどき喋る。
「大和ぉ、昨日さ、すげかったな」
「ん。やっべー体験」
「もう体、平気?」
「へーき。ああやってさ」
「ん?」
「世界の平和が守られてんのかな」
「かもなー。でもさ、オレらがキツネに騙されただけで、ホントは何もなかったかも」
「あった」
「証拠なんてねーじゃん。写真も」
「パンツとTシャツ増えた」
「おお! 証拠じゃん。防衛隊のマークとかあった?」
「ユニクロだった」
そしてまた沈黙。菊池は釣りを続け、オレはゲームに没頭。
「お、釣れた。キンメダイじゃん。小さいけど」
釣り糸の先にはぴちぴちと動く赤い魚。口にひっかかった釣り針が痛々しい。何度見ても慣れない。菊池は「魚には痛点がないから痛がってない」ってゆーけどさ。
「もー、引っかかんなよ」
ぽいっと菊池はは魚を海へほおり投げる。女も魚もキャッチ&リリース。
1日で7匹、キンメダイの他にも釣っていた。人魚は釣れなかった。
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