消去
ぴっ
オレは左の小指の爪に引っかかってきた耳垢を弾き飛ばした。
「ちょっと、せっかく会いに来たのに」
せっかくって言われても、外見だけの女だもんな。中身がないっつーか、実体すらない。
「友達はいる?」
「いっぱい。だけどね、大和のことは秘密」
「なんで?」
「前に一度話したことがあって。でもね、くすって鼻先で笑われたの」
「まーなー。しょうがねーじゃん」
例えば菊池が、土の中に埋まるタイムカプセルから出てきたセピア色の写真の女の子を「運命の人」とかって訳分からんこと言ったら、オレだって笑う。
「そういえばさ、フラウの時代って平和?」
「え? 世界平和にも興味あったんだ?!」
「そこまで驚くなよ」
「平和。異分子は丁寧に取り除かれるの」
「穏やかじゃねーな。おい」
「遺伝子段階で極端に攻撃的だったり闘争的だったり異質だったりするものはまずはじかれて。成長段階で問題が見つかるといなくなる。成長してからもそう。法に触れることをすると、消去されるの。だから平和」
「それって、逆に恐怖政治っぽく聞こえるけど」
「この時代だって、ポリスがいて刑務所があるじゃない」
「でもさ、今の話聞いてると、刑務所はなくて、消去されるみてーじゃん」
消去って表現もなんだかなー。
「ううん。別の場所に送られるの。社会でのデータを消去されて、財産も剥奪されて、別のところでデータを取られて観察されながら暮らすの。そこからの復帰はなし」
「人体実験?」
「実験はないよ。人権は守られるもん。観察とデータ回収だけ。ただ、排せつ物が無臭じゃなくなるって聞いたことはあるけど。詳しくは知らない」
未来は排せつ物が無臭になるのか。いや、そこじゃなくて。聞いてると「消去」って、人権があるとは思えん。
「一回でアウト?」
「この話は怖くて。あんまりしたくないかも」
「だな」
確かに怖い。
「この時代のことを教えて」
いきなり明るい声を出すフラウ。気を取り直したんだろーな。
「例えば何?」
「高校ってどんな授業?」
「どんなって、普通」
「その普通が分かんないの」
「へ? 黒板の前に先生が立ってみんなに教えるくらい。あ、体育や美術もある」
「おおー。ちょっと調べながら聞いてるの。体育って面白いね」
ベッドに腰掛けるフラウはパスリングとやらが作り出した画面に目を向けているらしい。オレからは何も見えない。
「それって、何か見えてるわけ?」
「うん。私の網膜にだけ見えるモードにしてあるの。ふふ。体育」
「体育の授業ねーの?」
「アスリートタイプ以外の人は授業ではないよ」
「逆にフラウのときの授業は?」
「この時代と一番違うのは、特殊な装置に入って知識を身につけるってことかな」
「装置?」
「脳をある状態にして、脳細胞に必要なことを記憶させるの」
「マジで? じゃ勉強しなくていいじゃん」
「知識を身につけるってことだったら、しなくてもいい。でもね、インプットは楽かもしんないけど、アウトプットが大変なの。インプットされる情報量が多いから」
「時代が進む分、技術が進むもんな。それを扱う頭を持った人間を育てるってことか」
「そーゆーこと」
「でもさー、体育がないなんて可哀想、オレ、体育好き」
「体育をしても、楽しめないかも」
「スポーツ苦手?」
「スポーツは好きだけど、遺伝子レベルで、もうそこそこって分かってるもん」
「遺伝子か」
「筋肉の質から血中に含まれる酸素の量まで、ハイスペックな人間は生まれたときに分かってるの。そうやって生まれた人は、アスリートとして生きるの」
「なんか、サイボーグちっく。その人ってアスリート以外の道は許されない?」
「ううん。選べる。アスリートはドーピング禁止だけど、引退すればOK」
アスリートがドーピング禁止なのは分かるけどさ、そうじゃない人間だってドーピングってダメだろ。
「ドーピングって」
オレは訝し気にフラウを見た。
「ドーピングしなきゃ老いを止められないもん」
は? まさかの不老不死?
「歳食わないって? アンチエイジング?」
「成長を戻すことは今の技術ではできないけど、薬で成長を止めることはできるの。グロウドーピング」
「おいおいおい。まさかの、年上?」
「未成年はグロウドーピング禁止なの。私は17歳」
「へータメなんだ」
「あ、大変。勉強の邪魔しちゃダメだよね」
「は?」
「この時代は、記憶のメカニズムが解明されてないから、非効率に長時間勉強するんでしょ? 自然睡眠しか方法がないし」
「なに気にディスるな」
「じゃ、またね」
フッ
消えた。
オレの勉強なんて気にしなくてもいいのに。
またねって、次はいつだよ。
友達との連絡はスマホでできる。でもさ、フラウには連絡できねーじゃん。
言えばよかったな。会いたかったって。待ってたって。
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