第15話 砂浜

 岸井はバス停がある大通りへは出ず、途中で道を松林の方へ折れて行った。松林は防砂林で、その先には砂浜しかない。学長と会って気が済んだろうに、浜辺になにか用があるのか。しかし、女の単なる気まぐれかもしれなかった。


 波打ち際を歩くのでついて行くと、岸井がふりかえった。

「何かご用? きみ、学長と一緒にいた子じゃない。知り合いなの」

 俺がうなずくと、岸井はやっぱりという顔をして澄ました。

「なにか私に言伝てでもあるのかしら」

 俺を学長の使い走りと思ったらしい、無理もない。岸井にとっては個人的になんの関りもない相手である。

「ちがうよ」

 俺は首をふって、岸井を追い越した。

 岸井はしばらく俺を見ていたが、やがて興味を無くしたらしく、転がっている流木の一つに腰掛けた。

 俺も行って隣に座ると、じろりと見たが何も言わなかった。流木は大きな倒木の根っこが打ち上げられたもので、尻を置くと足が地面から離れた。

 目の前の海には何もなかった。一面の灰色の中から白い波が立って、それが幾筋もこちらへ向かって押し寄せてくる。波は波打ち際で砕け、湿った砂地を這ってすぐ近くまで流れてきた。

「あんた、学長をうらんでいるのだろ。襲った首無し男と関係があるのか」

 カマをかけたつもりだった。身に覚えがあればギョッと反応するのに違いない。が、抜け殻を相手にしたように、岸井には何の変化もなかった。事件はこの女にとって、どうでもいいことなのではないかという気さえした。それでも、首無し男と言ったときには、わずかに睫毛をふるわせたようだった。

 女の無言に、俺はバツの悪い気持ちがした。立子よりずいぶん若い、三十をいくつか越えたくらいか。それで教務主任をしているのだから、優秀な教師なのだろう。整ったきれいな顔立ちをしていた。そして心がまったく読めなかった。神聖な場所へ土足で踏み込んだらこんな気持ちがするのだろうかと、俺は試したことに気後れがしていた。


「岸井先生」と呼ぶ声がして、松林から男が降りてきた。野島だった。びっくりしたが、俺は顔を合わせたくなかったので背中を向けていた。岸井は立って行って、砂浜の中ほどで一緒になった。野島はこっちを見ていたが俺だと気が付かなかったようだ。二人は親しい仲らしく、小声で何言か交わすと岸井が先に立って、松林の向こうへ消えて行った。

 彼らは一組と考えてよさそうだった。すると、この事件は、岸井がにくい学長を殺害するために野島と組み、首なし死体をよみがえらせて、学長を襲わせた。どうやらそういうことだ。ただ、そんなことができればの話だ。

 死体をよみがえらせるというのは不可能だ。しかし、筋みちは通る。大きな冬波が砕けて、暗い泡が足元まで漂ってきた。現実がこの波のように無秩序なら、人知を超越した何かがあるのかもしれない。知らず知らず、俺は苦笑いしていた。AかBかどっちか判断がつかないときに、自然に浮かんでくる、困った笑いだった。

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