第8話 バス

 野島の屋敷をあとにして、俺たちは坂之上町から帰りのバスに乗った。千鶴は無断で持ち出してきた本をずっと読んでいた。『毘陀羅経』という漢字ばかりの、何が書いてあるのだかわからない古い本だ。他人様の本のはずだが、千鶴は個人の参考書並みにぐいぐい赤線を引いて読み耽っている。理解不能の神経である。

「千鶴、おまえの寺に来る連中って何者なんだ」

「修験者の人たちよ」

「何者だ?」

「知らない。山に入ると何日も帰って来ないけど、下りてきたときは人が変わったみたいに痩せて、目だけギラギラしてるわ」

「山で何をして来るんだ」

「いつのまにかいなくなっているから、聞いたことがないわ」

 安泉寺は檀家の墓を守っている平穏無事な末寺のひとつだが、妙な男たちの出入りがある。本堂の裏に林に囲まれた宿坊があって、年に何度か白装束の妙な格好をしたのが、どこからともなく集まってくるのだ。町の人たちと交流をもたないから正体はわからない。皆、日に焼けたいかつい顔をしている。男たちがやって来ると、安泉寺の本堂の大きな屋根やまっすぐな参道の両脇にある背の高い燈篭が、どこか神秘的な色合いを帯びて見えて、寺という聖域の世間との隔たりを感じることがあった。

 市内バスの窓から、千鶴の頭越しに、男たちが籠るという久麻山の山並みが黒々と見えていた。

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