第7話 書斎
大学に講義をもっている学者であれば、社会に有益な知識がそれなりに蓄積されてあろうかと思われたが、書棚に並んだ本を見ると、魔術、妖術、預言、錬金術、……、物品棚には天球儀、フラスコ、草の根や昆虫の死骸の入ったガラス壜。まっとうな科学とは無縁なガラクタが詰まっている。どうやら野島先生は筋金入りのオカルトマニアらしい。人が世間に隠している顔はいろいろである。
書斎に入るなり感嘆の声を上げた千鶴は、中央のテーブルに書棚から抜いてきた数冊の本のページを夢中になってめくっている。人間の欲望、黄金の製造だとか長寿の薬、運命を変える魔法、オカルトとはそうした叶うことのない奇跡を欲望のままに求めた不毛の産物である。それがこれだけ山になっていれば、常識のある人間ならさすがに腰が引けるところだが、千鶴は喜々として分厚い本と取り組んでいる。千鶴にはこの知の廃墟に集積した大量のゴミが宝の山に見えるらしい。彼女もまた、奇怪なことが大好物の、隠秘学の亡者なのだ。
千鶴が他人の蔵書から悪趣味な知識を吸収している間、俺は二枚の石刷りの紙、すなわち、頭塚と胴塚に墨を塗って野島が写し取ってきたものだ。平安時代という大昔の碑文である、きっと難しい漢字がびっしり並んでいると思いきや、どちらの紙にも、丸い図形と鳥の絵があるだけである。塚というのは葬られた者の上に建てられた大きな墓だから、碑文には没年や葬られた者の姓名、死亡のいきさつなどが記されているものだが、そういうものとは大分ちがっている。そして、こんな図柄だけの内容ではまったく意味不明である。書斎の壁に貼られた、まるで子供の落書きのような二枚の紙を交互にながめて、俺は当惑というか、少々拍子抜けがした。
「この人、とても危ない人だわ」
野島の日記帳を手に取っていた千鶴が独り言のように言った。その声の調子があまり真剣だったので、俺はつい声を出して笑ってしまった。危ないといってもオカルトで高性能爆弾が作れるはずもない。オカルト亡者が社会に及ぼす害など高が知れているというものだ。
「健ちゃん、神秘学をなめちゃだめよ」
肚の中を見透かしたように千鶴が言った。
「知識だけなら危険はないけれど、この人は実際にいろんなことをやっている『術者』だわ」
「ご主人様、お戻りになられたのですか」
さっきの笑い声を聞きつけられたらしい、身を隠すひまもなく書斎のドアが開き、いつの間にか二階へやって来ていたメイドがポニーテールの頭を覗かせた。とっさに言い訳をしようとしたが、けたたましい悲鳴によって拒絶され、メイドは階段を駆け下りて行った。すぐにも警備会社のおっさんたちが駆けつけて来るであろう。ここは観念しておとなしく捕まるよりしかたないようである。
「逃げよ」
千鶴が身を寄せてきた。
「事情を話せば許してくれるよ、俺たち未成年者の女子高生と中学生だし、大人じゃないから厳しく咎められることはないさ。社会の寛容さに甘えよう」
「でも、人が来たらこれが持ち出せなくなるわ」
千鶴は一冊の本を大事そうに胸に抱えていた。
「だってそれ、ここにあった本だろ、千鶴のじゃないだろ」
「欲しいの」
他人の書斎から黙って本を拝借しようというのだ、無断で借りるのはつまり泥棒と一緒だから、本来なら諭してやめさせるべきなのであるが、相手は千鶴だ。黒い大きな瞳で俺をみつめてイヤイヤをする。果ては二階の窓から飛び降りて逃げようとした。
泣く子と地頭には勝てないとかなんとかである。俺は書斎のカーテンを引き下ろして長い綱を作り、片方を柱に結び付けて外の地面に垂らした。
庭の木立の中を身を低くして逃げながら、振り返ると、野島の屋敷は中世ヨーロッパの建物のように、寒雲の下に聳えていた。
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