第6話 野島の家
野島の住所は大きな屋敷ばかり並んでいる坂の上の住宅地だった。
「健ちゃん、それ押してみて」
鉄柵の門扉が閉められた脇に、呼び鈴のボタンがあった。
俺は即座に首を振った。
不気味な置物が、鉄柵の向こうから睨んでいる。赤や緑の極彩色の翼を広げ、目を剥き、大きな嘴を開けた化け物だ。こんな物を玄関に置いておく住人が良い人間のはずがない。
「いやだ」
「あれはガルーダよ、ヒンドゥー教の神だわ。神様をこわがってどうするのよ」
俺はもう一度その「神」とやらを見てみたが、ギョロ目を剥いたケバケバしい怪物である。気が触れた芸術家が妄想のなかで造ったとしか思われない。
明らかな危険を感じている者に、案ずるな、やれ、というのは無責任であろう。が、千鶴は腕組みをして俺を見下ろしている。
しかたないのでピンポンしてみた。が、返事はなかった。ほっとした。怪しいところからは、たとえそれがお手伝いさんの優しい声でも、何も出てこないのが一番だ。
「留守みたいだな」
千鶴はあきらめ切れないようすで付近を見渡した。
「あれに上ったら塀を越えられそうね」
館の高い壁のそばに、駐車禁止の標識が立っていた。
塀の裏側の冷たい地面に下りて、俺は断然後悔した。これは犯罪である。他人の敷地に勝手に踏み込んだのだ。どうせ止めたって無理だろうと千鶴のあとから標識のポールを上ったわけだが、今や家宅侵入罪の共犯者である。しかし、罪悪感に膝をふるわせている俺を、千鶴はふしぎそうにながめている。この女には罪の意識というものがないらしい。
玄関は鍵が掛かっていそうなので、裏の勝手口へまわってみた。大きなガラス窓の中で、白いエプロンドレスの若い女性がアイロンを掛けていた。そのときはじめてメイド服というものをみたのだが、もうメイド服というだけでポニーテールに髪を結んだその女性は美しかった。
勝手口から千鶴と一緒に入って「ごめんください」と声をかけた。ところが返事をしない。こっちが挨拶をして案内を請うているわけだから「あら、どちらさまでしょう。何かごようですか」と返ってきそうなものだが、メイドさんはアイロン台から顔を上げるようすもなかった。
もう一度と思って近づこうとしたとき、バタバタと足音がしたので、反射的に大きな洗濯機の蔭に隠れた。
入って来たのは野島である。
「みっちゃん、みっちゃん」大声を出した。
ハッとわれに返ったようすのメイドさんは、あわてて振り向いて、耳からイヤホンを引き抜いた。
「また音楽を聴いていたのかね、さっきから何度も呼んだのだぞ」
「すみません、ご主人様」
ぺこりと頭を下げた。やっぱりメイドである、可愛い。
「これから外出をするので、いつものように戸締りをちゃんとしておくように。誰も屋敷に入れてはならない。もし勝手に入り込もうとする者がいたら、警備会社に連絡するのだ。数分もかからず駆けつけてきてくれる」
野島は言いつけて、せかせかと出て行った。
家を離れるときは、それはだれだって通り一遍の用心くらいはするであろう。が、この野島は、尋常ならざる用心を使用人に命じている。警戒するということは、それだけ人に隠したい秘密があるのではないか。と、そう疑うのが自然である。そして、人の秘密は知りたくなるのが人情である。
メイドのみっちゃんが動き出したので、俺たちはそっと後をつけた。広いホールを通り、階段を上って廊下の左側にある部屋に入って行った。しばらくすると、お茶セットを載せたトレーを持って出てきて、階段を下りて行った。
俺たちは野島の書斎に侵入した。
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