第5話 胴塚

 次の日曜日の朝早く、俺と千鶴は秋葉沢公園へ向かっていた。

 シベリアから寒気が流れ込んだということで、大気は冷たく、川の水はギラギラし、枯れ枝は凍って折れそうにみえた。俺は手袋をしていても指先が痛いくらいだった。

 それだのに千鶴は「どんなんだろうね、ワクワクしちゃう」と、息をはずませて、ずんずん歩いて行く。

 

 昨日、探検の下調べに、町の観光課が出している地図を広げてみた。すると、公園の中に『胴塚の碑』というのがある。

 幼稚園の頃から親しんでいる町内の公園だのに、俺も千鶴もそんなものがあったとは、それまでまったく知らなかった。俺たちはつい驚きの声を上げて顔を見合わせた。

 しかし、それをうかつと責められるいわれはなかろう。だいたい、公園に銅像や記念碑があっても、わざわざ関心を持って見る者などいるだろうか。たいていの公園には、さまざまの造形物、彫刻や記念のモニュメントなどがあるものだが、公園へ行く目的は、そのようなものをわざわざ見に行くわけではない。遊具やボートが目的か、あるいは四季によって変化する自然の鑑賞、花見や紅葉狩りであるから、そんなものが建っていても目に入らないのがふつうである。俺は入り口にある案内板すらちゃんと読んだことがない。


 それにしても『胴塚』とはふるっている。寺にあるのが『頭塚』だから、胴体と頭である。いかにもペアになりそうな、というか、あからさまに何かありそうな組み合わせではないか。

 千鶴は期待に胸をふくらませて、寒いのなんかちっとも苦にならないようだった。

「きっと首無し男は、うちの寺の『頭塚』を探して、土の下からゾンビみたいに這い出して来たのにちがいないわ」

 単細胞の千鶴のおめでたい空想も、むげに馬鹿にできないくらい、よくできた符合なのだった。

 千鶴がいやな笑い方をして俺を見たので、

「頭塚は石がボロボロだから、きっと胴塚というのも、同じくらい古いんだろうな」

 事務的に答えた。俺は少し震えていたが、それは怖いからではなく、ただ朝の空気が冷たかったからである。


『胴塚』は、丘の林の裏にあった。

 思い描いていた姿とは全く違っていた。

 苔むして古いどころか、太い柱のような四角い大きな石がでんと立った、新しくて立派な石碑だった。間違ったものを見ているのかとおもったが、でかい字で『胴塚』と彫ってある。

 なんとなく、肩透かしを食ったような感じだった。立派過ぎるのがこれ見よがしの威勢のようで『胴塚』という不気味な名前も空々しい気がした。

 千鶴も予想外だったようでポカンとしていた。


「きみたち、そこで何をしているのかね」

 紺色のジャンパーを着て、長靴で箒と塵取りを持っている。ジャンパーには市役所の燕のマークがついているから、公園の管理人らしい。

「おはようございます、これを見ていたんですけど」

 万人に開かれている公園である。どこにいようが特別咎められるおぼえはない。が、管理人は、怪しむような目つきでジロジロ見ている。頭がバーコードのくせして、眉毛の濃い、額の出た、ちょうどソラマメみたいな形の顔だった。

「ちょっと、こっちへ来たまえ」

 言われるまま、石碑の裏側へまわってみると、下が半地下になっていて、短い階段の先に、小さい潜り戸があった。鉄製のその扉はいびつに傾いて隙間が開いている。バールかなんかでこじ開けられたらしい。

「これは、きみたちがやったのではないだろうね」

 俺は、違いますと手を振った。

「中に何か入っていたのですか」

 千鶴がきいたが、管理人はなお疑わしそうに俺たちを見ている。

 なんで疑われるのかわからない。そりゃ女子高生と中学生男子だ。いたずら盛りではある。こんな悪さをしたのは、きっと年ごろの似たような不良であったのかもしれない。

「帰ろう、千鶴」

 なんだかばかばかしくなった。石碑は期待していたような、いわく因縁がある物のようには見えなかった。それでがっかりしていたせいもある。おかしな濡れ衣を晴らそうという気も起らず、さっさと退散したい気持ちだった。

「こら、逃がさんぞ」

 立ちはだかった管理人と、睨み合うかたちになった。

「あら、うちがされたのと同じだわ。墨が塗られている」

 見ると、千鶴が勝手に壊れた鉄扉を引き開けて、中に頭を突っ込んでいた。目を離すと何をするかわからないやつである。


 管理事務所は暖かかった。煙突付きの石油ストーブが音を立てて燃えていた。

「そうですか、安泉寺のお嬢さんでしたか」

 千鶴が地区で一番古い寺の娘であることを知って、管理人はコロッと態度を変えた。一時は学校に通報しかねない勢いだったのに、今はニコニコして、ストーブに掛けた薬缶からお茶を出してくれている。ずいぶん調子のいい男である。自分を「公園の管理をしている岡と言います」と名乗った。


「四日前でしたか、そうそう、木曜の夕方。事務所の前を掃いていたら突然、鉄板を剥ぐような音が、胴塚のほうから聞こえたのですよ。急いで行ってみると、男が立っている。胴塚の壊れた扉を指さして『いま子供が逃げて行ったから、あの子たちの仕業だろう。早く追いかけないと捕まえられませんよ』と言います。

「あなたはどなたで?」と聞くと、名刺をくれました。

「大学の先生でしたか、これはどうも御親切に」

 わたしは頭を下げてから、いたずら小僧どもを追いかけたのですが、結局捕まりませんでした」


「その男の人って、野島さんというのじゃありませんか」

「ええ、お嬢さんよくご存じで。お知り合いですか」

 千鶴が寺であったことを話すと、岡は驚いた。

「安泉寺さんのところに頭塚なんてものがあるのですか、ここにある胴塚と何か関係があるのでしょうかねえ」

「胴塚には、いわれがあるのですか」

「詳しいことは知りませんが、平安時代に、このあたり一帯を荒らし回っていた野武士の一党がいたそうで、そりゃ酷い悪逆非道をしたらしいですが、その首領が恐ろしく強くて、在地の役人では捕まえることができない。そこで都から討伐隊が派遣されてきて、源ナントカという偉い人が、狩猟の首を刎ねたということです。その首無しの胴体をここに葬ったという伝説があるんですわ。詳しいことは案内板に書いてあったのですが、じつはわたしもそれを読んで覚えただけですが、その案内板も何年か前の台風でどこかにとばされてしまいました」


「新しくて立派な石碑でしたけど、その話ってよほど有名なんですね」

「さあて、有名な話かどうかは知りません。ですが、建て直した理由は予算が余ったからですわ。公園整備費は使い切らないと次の年度の予算が減らされますのでな、とりあえずあれが一番古かったもので」

 俺は税金を払っていないからいいが、善良な納税者は自分たちの税金が有効に使われているかどうか、もっと注意を払ったほうが良いかもしれない。

 古い石碑は、捨てるのに困って、新しい塚の下に倉庫を作ってそこに置いてあった。それが頭塚と同じく墨を塗られていたのである。


「それで野島さんには、注意をなさったのですか」

「何をです?」

「古い石碑を墨で汚したことです」

 野島が来て頭塚のもそのような目にあったのだから、こっちのも野島の仕業に決まっている。「父は拓本を取ったにちがいないと言ってましたが」

「まさか、大学の先生ですよ。勝手にそんなことはしないでしょう。子供がしたことでなくても、どこかの歴史マニアじゃないですかね」

 驚いたことに岡は野島をうたがっていない。当然怪しむべき第一発見者の野島の前で、壊れた扉の中を確かめようともしなかったのだ。肩書にだまされるというやつだ。社会的に地位のある者は悪いことをしないと信じ込む。それが間違いであることを証左する事実を並べ立てればきりがないだろう。この世界の、いまや武力衝突にも発展しかねない国家間の危機的混沌の原因を作っているのは、そのえらそうな肩書の連中ではないか。彼らこそもっとも注意しなければならない悪党であるのに、それを明らかな目で見ることができない庶民というのはじつに不憫なものだ。


 灯油ストーブはゴーゴーと音を出して燃え、薬缶の口からは湯気が上って、事務所のなかは春のあたたかさである。冬芽をついばみにきた雀の声がチュンチュンと聞こえ、曇ったガラス窓は朝日に滲んで明るく輝いている。

 コルクボードの掲示板に目をやると、見覚えがある名刺が一枚、ピンで留められていた。よく見ようと顔を近づけると、頭のうしろからいきなり細い手がのびてきて、それをはぎ取っていった。

 千鶴である。「ラッキー、こっちのには住所が書いてあるわ」

 何がラッキーなんだかわからずにいると、

「おじさん、これもらっていいですか」

「おい、千鶴。どうする気だよ」

 俺をふりむいた千鶴の顔は、あふれる好奇心でいっぱいだ。

「健ちゃんだって興味あるでしょ、野島さんがどういう人か」


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