第2話 学校

 次の日、学校へ行くと、ダチの平野豪志が何やら悄然として、黒板の前に立っている。

「おはよ、どうした」

 事情をきくと、漢字テストで学年一位になったのに、だれも注目してくれないのだという。

 俺は町立中学の二年生。テストというのは先週あった学年共通の漢字テストのことだ。

「一番だったのか、よかったな、思い切り自慢すればいいじゃないか」

「してるよ」

 後ろの黒板を見ると『平野豪志が漢字テストで学年一位を確得しました!』と大書してある。

「だれも見てくれないんだ」

 クラスの皆は、いくつかのグループに固まっての雑談中で、こっちへ誰も顔を向けていない。

「ひどいな、大ニュースなのに」

「いいんだよ、別に、俺なんか元々目立たない存在だし」

 平野はいじけて顔を赤くした。

「任せとけ」


 俺は平野の偉業を宣伝してやるべく、雑談の輪から出てきた杉崎モモをつかまえた。

 平野はそんな俺を、友情の感に打たれたようすで「ありがとう」と、目に涙を浮かべていた。


「あら、おはよう、健太。もう、あの話聞いた?」

「なんだ?」

 杉崎は切りそろえた前髪で額をかくした、赤いふちの眼鏡の顔を俺に近づけた。

「変質者らしいのよ」

 学校からそう遠くないところに、秋葉沢公園というのがある。里山と住宅地の間にある公園で、山側の古い神社が残っているあたりは、太い杉の木が多く、昼間でも不気味なところだ。

「鎧みたいなのを着て、徘徊してるんだって」

「鎧って、昔の武将が着けてたあの鎧か? コスプレの変質者みたいだな、どんなやつなんだ?」

「それが、首がないらしいのよ」

 真冬の怪談話だ。

 中学生はこういう不気味な話が大好物である。なるほど皆この話に夢中になって、平野のことには関心を払わなかったというわけか。

 平野を見ると、黒板に書いた『確得』を『獲得』に慌てて直していた。間違いに気が付いたらしい。


 杉崎の話の内容は、次のようなものであった。

 

 二、三日前の夜の出来事ということだ。

『山六マート』の笠井、山六マートは中之川の川ッ淵にあるスーパーマーケットだ。笠井はそこの店主で、よく野菜の詰まった段ボール箱をトラックから降ろしたり、キャベツの黄色くなった葉を取ったりしているところを見かける。血色のよい四十男で、いつも青い帽子をかぶっているのは、円形脱毛症を隠しているという噂である。


 その笠井と、仲間の市民ランナー二、三人が、毎夜つるんで町内をジョギングしているのだという。どうしていい年の大人が徒党を組んで町内を走ったりしているのかはわからない。『中高年の健康づくり』ということらしいが、いまさら脚力つけてどうする気だ。狩猟民族のように獣を追って暮らしているわけでもあるまい。

 

 秋葉沢公園の杉木立の蔭の深いところへさしかかったときだ。道端にうずくまっている人影があった。


『疲れて休んでいる、自分たちと同じ市民ランナーの人かな』と、はじめは思ったらしい。

 ところが、その人は非常に妙な格好をしている。昔の武将が着ていたような鎧を着ているのだ。

『時代行列の催しでもあったのか』おっさんたちは顔を見合わせた。

 暗い夜に、鎧を着た人間がいるのは、不気味であった。


 鎧のコスプレ男は、後ろ姿だった。手探りで地面をさぐっているようだ。

『見なかったことにして行こうぜ、なんだか気味が悪い』

 笠井は肩をすくめて早々に通り過ぎようとした。

 しかし、

「どうかしましたか」

 仲間の一人が、そう言って近づいて行った。

「おい、やめておけよ。関わらないほうがいいって」

「だって、困っているみたいじゃないか。きっと何か落とし物をしたんだよ。おれ、前に一度、コンタクトレンズ落として、探すのに苦労したことがあるんだ」


「何か無くされたのですか、探すのを手伝いましょうか」

 親切に声をかけた。

 鎧を着た人は、立ち上がって、こっちへ正面を向けた。が、その広い肩の胴体には首がついていなかった。そして、切断された首の付け根からは、血が筋を引いて流れ落ちていた。

 夜の闇を引き裂くようなおっさんたちの悲鳴がひびいた。

 坂道を転げ落ちるようにして逃げ出すと、公園から一番近い派出所へ駆け込んだ。


 警官を二人連れて、笠井たちおっさんランナーが秋葉沢公園に戻るまで、十五分かそこらしか、かからなかった。

「ここです、首無し男がいた場所は」

 笠井が声を裏返して、恐ろしい経験をした遊歩道の一画を指さした。

 警官が懐中電灯で照らしてみたが、人影はなかった。道端には茶色くなった杉の落ち葉が溜まっているだけである。

「あんたたち、警察を担いでいるのじゃないよな」

 首無し死体ならまだしも、それだけだってとんでもない大事件だが、その首無しが鎧武者の恰好をして、しかも道端で探し物をしていた。というのは、荒唐無稽の話にしか思えない。作り話ではないかと疑ったのはしごく当然だったろう。

 警官は酒の臭いがしないかと、くんくんと笠井に鼻を近づけた。

「飲んでなんかいませんよ、俺たちはたしかにそういう不審者を見たんだ」

 悪ふざけとおもわれて憤慨した笠井たちは、自分たちで、現場の周辺を調べ出した。なにか痕跡が残っているはずである。


 夜のことで、懐中電灯の丸い輪が照らす場所以外は、深い闇に沈んでいたが、よくよく目を凝らしてみると、ところどころ落ち葉が押し退けられて、地面がむき出しになっているところがある。そして、一部、犬が掻いたように土が盛り上がっていた。まるで、むやみに何かを掘り出そうとした跡のようだ。しかし、そこは冬の冷たい、固い地面である。スコップを使っても弾かれそうなのに、そこには、太い指のあとがくっきりと深く残っていた。

「素手で掘ろうとしていたのか」

 何者のしわざともしれない、無茶な掘削の跡に、異常な執念のようなものを感じて、笠井がぞっと身震いをもよおしたとき。

 突然、声とも言えないような干からびた音声が空から轟いてきた。

「返せ、わしの頭をどこへ隠した。わしの頭を返せ」

 笠井といわず、そこにいたおっさんたちや警官は、まるで身体の芯から凍り付いてしまったように、呆然と、声の主の姿の見えない暗い冬の夜空を仰いだ。

 

「きっと異常者だわよね、あのあたりを通るときは気をつけなくちゃ」

 語り終えた杉崎は、自身の結論を述べて、俺の意見は聞かずに行ってしまった。

 彼女はこの話を、いま俺にしたように、朝から何人にも繰り返しきかせていたのだろう。そのうちに、自分で飽きてしまって、人の反応をうかがうのも面倒になったようだった。


 俺は腕組みを解いて、この事件はいずれその変質者が捕まるか、また冬の夜の寒気による集団幻覚とかで決着がつくのだろうと思った。寒さで神経をやられて現実にあらざるものを見たか、気温差で現れる蜃気楼みたいなものに遭遇したのかもしれない。

 一見神秘にみえるものも、いずれは合理的な説明がつけられて常識の底に転がる。とにかく、奇々怪々な出来事なんて、結局、つまらないこと落ち着くのが世の常である。

 それより、こうした耳目を集めるニュースによって、せっかくの快挙が隅に追いやられてしまった平野がかわいそうだった。世間というのはより強く興味を引くものにだけ寄っていき、ほかのことは顧みないものだ。運が悪かったとしかいうほかない。せっかく漢字テストをがんばったのにな、平野、ドンマイ。


 放課後、下駄箱から靴を出していると、パタパタと平野がやってきた。青白い顔をしている。

「あ、あの」モゴモゴと口を動かす。

 小心者の平野は、思っていることがなかなか口から出てこない。

「健太くん、これから帰るんだろ」

 やっと言った。

 念を押されるまでもないことだ。放課のチャイムは鳴った。五科目の授業を受け、学生の務めは終わったのだ。今は解き放された自由の身である。

「それでさ、一緒に帰ってくれないか」

 用件はそれか、それはわかったが、しかし、平野の家がある五番町と、俺が帰る七瀬町では方向が逆である。

「お前の家のほうまで行く用事なんかないぞ」

「そうか」

 平野はうつむいてしまった。掃除当番の女子生徒が廊下に立ったままの平野を邪魔そうににらんで通っていったが、平野は気が付かなかったようだ。

「なにか問題があるのか、言えよ」

「あの気味の悪い話、聞いたろ」

 早口に言って、さらに言葉を継いだ。

「ぼくの帰り道って、そこを通るんだよ」

 そういえば、五番町の平野の家は、あの気味の悪い変質者が現れたという秋葉沢公園の近くである。

「一緒に帰ってよ」

「いやだよ」

 と、一旦は言ったのだが、平野が泣きそうな顔をしたのでしかたなく首をたてに振った。

 漢字テストで不運な目に会ったうえ、みなが気味悪がっている道を一人でトボトボ帰らなくてはならないというのは、なんとも気の毒に過ぎた。


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