安泉寺の千鶴

イジス

第1話 庫裏

 家から川を一つ渡ったところに、安泉寺という寺がある。そこの一人娘の千鶴は三つ年上の高校生だが、小さいころからの遊び友達だ。


 土手を下って墓場の横を行くと、竹藪を越えたところに本堂がある。千鶴の家は、そこと渡り廊下でつながった平屋だ。

 玄関から覗くと、千鶴は居間にいて、一人でテレビを見ていた。


「健ちゃんじゃないの、上がりなさいよ」

 炬燵に足を突っ込んだまま手招きした。

 ちょうどよかった。千鶴もヒマをしていたらしい。この日は朝から霙が降っていてサッカーもできないし、日曜日だというのに退屈でしかたなかったのだ。

 

「住職とお母さんは?」

 俺は炬燵に上がっていた蜜柑を一つとった。

「寄り合いだといって出かけたわ、お母さんも一緒」

 住職は月に一度、家の仏壇にお経を読みに来る。日に焼けた丸顔のハゲである。奥さんは旧家の出だそうで、美人だ。


「これ見て、ほらこれ」

 千鶴がスマホを俺に向けた。黒い画面になにかぼんやりした光の球がいくつか写っている。

「昨日の夜撮った人魂。はっきり写ってるでしょ」

『人魂』というところを強調して、画面の中央にあった一番大きいやつを指でさした。

 昔から、千鶴は俺が怖がるのをよろこぶ。

 小さいころ、墓場を通って行く途中で足が竦んで動けなくなった。すると千鶴はわざと走って行って俺をひとりぼっちにした。

 そのときの意地の悪い目つきのままに、俺の顔をのぞきこんだ。

「本物よ、生きてるみたいに動き回ってたんだから」

「へえ」

 俺は顔が引きつるのをがまんして、答えた。

「ふーん」千鶴は唇をとがらせた。不満そうである。

 俺は自分がとくべつ臆病だとは思っていない。ただ、死やその後に関わるものが好きではない。幽霊とか骸骨とかそういうものは苦手だ。しかし、怖がりというなら蛇を見て鳥肌を立てている奴のほうがよほど臆病だろう。俺はそういうのは平気だ。


「健ちゃん、泣いてこわがるかと思ったのに」

 残念そうな様子をした。

「いい年の中学生が、そんなものでビビるかよ」

 しらっと、言ってやった。千鶴のおもわくを空振らせてやって、気持ちよかった。

「じゃあもっと凄いの見せてあげる。古いお墓から出てきた人骨よ」

 しつこい。どうしても俺を怖がらせたいらしい、なんて性悪な女だ。

 千鶴は高校ではモテモテだという。たしかに見た目はわるくない。顔が小さくて目が大きい、髪の毛はたっぷりあって肩の下まである。上唇がとがっていて、可愛い女子の特徴を絵師が誇張したみたいな女だ。それだけ見れば、男子が彼女にしたいナンバーワンに千鶴を選ぶのも無理はなかろう。しかし、性格を知っている俺からすると、何も知らないとんま共の滑稽な所業としかおもわれない。

「絶対、怖いんだから」

 執念深くぶつぶつ言いながら、スマホの画像を探していた。


 玄関の戸を叩く音がした。

 ガラス戸の格子越しに、黒いコートの影が立っていた。「ごめんください」と言っている。

「誰か来たわよ」

 千鶴が俺をみた。今この寺には俺たちふたりしかいない。俺は黙っていた。

「めんどくさいな」

 炬燵から出されるのがさも腹立たし気だった。そして、俺の後ろを通るとき、まるめていた背中にわざと足をぶつけてきた。

「役立たず、健ちゃん出ればいいのに」

 だって、俺はこの寺の人間じゃないんだし「はい、何の御用でしょう」と応対する義理もないじゃないか。


 頭だけ廊下に出してみると、訪問客は三十歳くらいの、黒縁メガネをかけた痩せた男だった。

 銀行か役所の人間かなとおもったが、よくみるとオレンジ色っぽい色シャツを着ているし、肩から妙にふくらんだ革鞄を提げている。これはカタイ商売ではなく、それより不動産とかイベント会社とか、ヤクザな商売をしている人間にちがいあるまいと見当をつけた。

「こちらは安泉寺さんでまちがいありませんか、私こういう者ですが」

 財布から小さい紙切れを出して千鶴に渡した。

「境内のなかを見て回りたいのですが、よろしいですか」

 外の地面を見たいというのは、きっと不動産屋だろうか。まさか墓場を潰してマンションを建てるわけでもないだろうが、とにかく、他人の家に押しかけてきて『何々させてください』と厚かましいことを言い出す客は、追っ払ったほうが賢明である。

 ところが千鶴は「いいですよ、ご自由に」と、あっさり承知した。

 男が玄関から離れて行ったので、俺は帰ってきた千鶴に寝ころんだまま言った。

「おい、あんなうさんくさいやつに寺中うろつき回らせていいのか。きっとマンションの開発業者とかだぞ」

「考古学者だってよ」

 千鶴はジーパンの足で俺を跨ぎ越しながら、指でつまんでいた名刺を顔に落とした。

『N大歴史学部史学科教授、野島正雄』

 あの干したサンマみたいなのが教授とは、人は見かけによらないものだった。


 雪が降っているので、外へ出る気にならず。ふたりとも炬燵に足を入れて寝そべっていると、チーンとおりんを鳴らす音が本堂からした。

 行って見ると、広い板敷きのなかに小さい婆さんが座っていた。

「御講はまだはじまりませんかの」

 しわくちゃの笑顔を向けてきた。

 

 御講というのは、住職が近所の年寄りを集めて開いている集会だ。ハゲの話は長ったらしい上につまらないのだが、年寄りたちは、坊主の説教よりみんなでする世間話を楽しみに、毎回よろこんでやってくるらしい。この婆さんもその一人なのだろう。

 俺はわからないから、首を横に振った。


「千鶴ちゃん。みなさんはまだお集まりではないかの」

 後から入って来た千鶴を見つけて声をかけた。

「今日はお休みですよ、父がいない日ですから。あらかじめお知らせしてあったとおもいますけど」

「あれま」婆さんは大仰に驚いた。

 が、すぐ「そうじゃった、そうじゃった。うっかりしてしもうた」と、目をぱちぱちした。覚えがあったらしく、それを忘れていた自分の耄碌にあきれたようだ。


 しぼんだ梨みたいな身体と同じく、きっと脳みそも小さくなってしまっているのだろう。俺は終末期の人間の哀れにちと同情した。

「すると、あんたたちは留守番で、今日はあんたたちしかいないのかね」

 小さい目でまじまじと俺たちを見た。

「ええ、そうですけど」

「ありゃま、つまらんのう」いかにもがっかりした様子だ。

 そりゃ、わざわざやって来たのに、俺たちみたいなガキしかいないんじゃ、茶飲み話の相手にもならないのだろう。

 しかし、言い方があんまりあからさまだ。


「これは、茶菓子にでもと持ってきたのじゃが。お前さんたちでおあがり」

 紙袋を置いて帰って行った。

 俺は、門の方へひょこひょこ歩いていく背中へ「くそ婆、博物館のミイラとでも仲良くしてやがれ」と舌を出してやった。こっちだって年寄りの昔話になんか付き合えない。


 千鶴が紙袋に入っていた箱を開けた。有名菓子店の饅頭が十幾つも詰まっている。

「たくさんある、お腹いっぱいになりそう」

「食べていいのか」

 寺がもらった物は、ご本尊に上げてからそのお下がりを人間がいただくものだと思っていた。

「わたしがもらったのだもの、悪いわけないじゃない」

 千鶴は饅頭の箱を炬燵の上に置くと「あの先生を呼んできてちょうだい」と言った。

「先生って、教授とかいうあいつか。どうして」

「みんなで食べたほうがおいしいでしょ」

 意外といいところのある女だった。


 雪は小止みになっていた。庭の松の木がはっきり見える。ジャンパーに手を突っ込んであちこち見回してみたが、教授の姿はなかった。

 ちぇ、どこへ行ったんだ。うすく積もった雪を踏んで本堂の脇から竹藪を越えて裏の方へ出てみた。


 墓場の、大小の墓石が並んだ奥に、周りの地面より少し高くなった場所があって、ヒバの生垣で囲んである。そのかげに教授の細い姿があった。

 しかし、そこは入ってはいけない場所だ。夏の頃、その中にある座布団くらいの大きさの四角い石のうえに寝ころんで涼んでいたら、住職に「入っちゃいかん」とひどく叱られた。


「おっちゃん、いや教授さん、千鶴がおやつくれるって。来なよ」

 教授はビクッとして振り向いた。そんなに驚かせたつもりはなかったが。

「きみ、誰?」

 近所の中学生で、この寺の千鶴の娘の友達だというと、納得したらしかった。

「私は今忙しい、あっちへ行っていなさい」

 せっかく誘いに来てやったのに、ずいぶん愛想のない返事だった。とくにつよく誘ってやる理由もなかったので、俺はすぐ背中を見せて「わかったよ」と返した。

 あとで住職に、そんなところへ入っていたと、告げ口してやろうと思った。

 

 何歩か歩くうちに気が付いたんだが、どうやら教授がじっとこっちを見ている。俺がちゃんと墓場から出て行くのを見張っているようだ。何のために? 


 俺は竹藪のところまで行くと、歩を返して、何をしているのか見てやろうと古い井戸の蔭に隠れた。人の目を気にするというは、見られてはまずいことをやっているのじゃないのか。

 教授は四角い石の前に屈みこんでいたが、何をしているのかわからない。学者がやってることだ、見当がつくはずもない。

 しばらくみていたが、穴を掘ったり、重い石を担いで盗み出そうというまでのそぶりはなかった。


 庫裏の前まで戻ってくると、中からうめき声が聞こえた。とび込んで行くと、千鶴がのどを抑えて足をばたつかせている。

 口に饅頭のカスがついている。なんてやつだ。俺がいないすきにひとりでつまみ食いしたのか。


 背中を叩いてやると詰まらせていたものを飲み込んで、千鶴は正気に返った。

「ずるいぞ、意地汚いな」

「お、お茶ちょうだい」

 十幾つも入っていた饅頭の箱が半分空になっていた。

「おいしい」お茶をすすって、千鶴はしあわせそうな顔をした。

「梅香堂のあんこは仕込みが一流ね、皮も上等だし。知ってる? 毎日あずきを大釜で茹でてるんだって」

 のどに詰まるまで一気に食べて、味がわかるのだから大したものだ。

 俺は残っていた饅頭をほおばって話題を転じた。

「あの男、用心したほうがいいぞ」


 俺が教授のようすを話してやると、千鶴は顔をしかめた。

「『頭塚』に入ってたの、お父さんに怒られちゃう」

「あそこは『頭塚』っていうのか」

「うん。見て回っていいとは言ったけど、何でもずけずけ調べられるのはいやね」

「ところで、千鶴、おまえ饅頭いくつ食べたんだ」

 少なくとも七,八個はなくなっていた。パソコンのマウスくらいの、けっこうな大きさなんだが。

「知らない」

 けろりとしている。

「あ、こんどから知らない人が来たら用心しなくちゃ。目を離してると人間て何をするかわからないわね!」

 そんなこと、じぶんが言うんじゃねえよ、何するかわからないのは千鶴、お前のほうだ。

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